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第十三章 199.すくすくと

 時折熱を出して乳母たちを慌てさせたが、王女テオドラは乳姉妹(ちきょうだい)、イリスと共に健やかに育っていった。


 王宮に迎えられたミソフェンガロの子どもや赤ん坊たちも良い遊び相手になった。


 ()った、立った、歩いたと、そのたびにマグヌスに連絡が来て、彼は忙しい政務の手を止めて様子を見に行った。


 キュロスはどうしても馴染(なじ)めないようで、棟の入口まで行くのだが中には入らず覗いているばかりだ。


 それを見てはルークが武器の扱いを教えようと耳を引っ張って中庭に連れて行く。


「僕も!」


 ロフォスが父の形見の剣を握って飛び出す。


「よおし。まず素振りだ。真っ直ぐ振ってみろ」


 粗末なロフォスの剣に対して、美々しい象嵌(ぞうがん)に彩られたキュロスの剣。アルペドン王家の紋章である絡み合うヘビが描かれていた。


「キュロス、良いぞ、あと五十回」


 ルークが励ます。


 テオドラを抱いた乳母を中心に、ミソフェンガロの女たちが声援を送る。先にマグヌスの配した侍女たちは、ミソフェンガロ出身の侍女たちと交代していた。


 テオドラは父譲りの黒髪を肩先で切りそろえ、黒曜石(オブシディアン)を思わせる深い色の目で、兄貴分たちの鍛錬の様子を見守っていた。


「四十七、四十八、四十九、五十!」


 力を出し切った少年二人は、投げ出す勢いで剣を置いて尻もちをついた。


「よーし、ちょっと休め」


 というルークの声をさえぎるようにマグヌスの声が響いた。


「まだだ。周囲の安全を確認し、剣を納めるまで休んではならぬ」

「それはちょっと厳しくないか? 中庭に危険は無いし」

「戦場ではそのわずかな隙が致命傷になります。癖をつけておかないと」


 ロフォスとキュロスはあわてて剣を拾い、あたりを見回す。

 当然危険は無い。


 ほうっと息をついて剣を納め、改めて中庭の敷石の上に座った。


「ルーク、口を出してすみません。私自身が師にきつく言われたことなので……」

「いいさ。剣の道は高い山に登るようなものだ。幾筋も道はあり、厳しさも違う」

「今後ともお願いします。ところでロフォス、後でその剣を貸しなさい。()ぎ直して鞘も新たに作ってあげよう」

「え、いいんですか?」


 内心、キュロスの見事な剣との差に気後れしていたのだろう。

 声のかからないキュロスは不満だ。


「父上、自分の剣は……」

「それはアルペドンの臣民たちが若様のためを思ってこしらえてくれたものだ。実戦にもまだ使わず、瑕疵(かし)は無いはず」


 キュロスはうつむいた。

 何かといえばまとわりつくアルペドンの影。

 母がアルペドンの王女なのだから仕方がないといえば仕方がないが、父と信じているマグヌスとの間に真夏のくっきりした影のように暗いものを感じる。


(母上はなぜ死んだのだろう)


 お付きの老女が意味有りげな目をしているのが気にかかる。


 ロフォスも同じ孤児とはいえ、その父母はミソフェンガロで戦い、水攻めの勝利をもたらした。


(父上はなぜ血の繋がらぬ子どもたちばかりを愛して、自分を特別扱いしてくれないのだろう)


 考えても結論は出ない。


 思いの丈をどうぶつけたら良いか分からないまま、キュロスはルークの命令にしたがって左右の振りに入った。


 マグヌスが学友カクトスからの手紙を受け取ったのはこの頃になる。


「東帝国も落ち着いたか」


 ここにも馬を贈ると約束していたなと思い出す。


「陸路でも海路でも難しい。馬たちに負担のない方法を考えないと」


「父上、私もロフォスのように剣を学びたい!!」


 テオドラがむちゃを言い出す。


「それよりも、機習(はたなら)いの密儀に備えて糸紡ぎの練習をしなさい。イリスはもうずいぶん上手になったそうじゃないか」

「イリスには負けません」

「そうだな。乳母殿によく教えてもらいなさい」


 男女の別を子どもたちはまずここで学ぶ。

 

 男児は剣技や畑の労働に、女児は糸紡ぎと機織りに。


 茶色の癖っ毛のイリスはとても器用で、()いた羊毛を巻き付けた棒から、くるくると(つむ)を回して糸を紡ぎとる。


「下賤の女たちの技でございます。姫様は(たしな)み程度で十分かと」

「身分なんて関係ないわ。私も上手くなって母上に褒めてもらいたいの」


 短い糸を巻き取っては、ポトンと床に落ちる錘。

 テオドラは涙目になりながら糸紡ぎを繰り返す。


「もう、夕刻でございます。皆様夕餉をどうぞ」


 王宮の厨房では毎日違った食事が出される。


 乳姉妹(ちきょうだい)のよしみで、イリスはテオドラと同じ食卓で夕食を摂った。


「レンズ豆のスープに串焼きの魚、野イチゴでございます。パンはお好きなだけどうぞ」


 一昔前ならこの地域で活きの良い海の魚が手に入ることはなかった。

 マグヌスとメラニコスが協力してルテシアの港から街道を敷いたため、大きな壺に海水ごと生きた魚を入れて馬車に積み街道を疾駆する魚屋が、一つの名物になっていた。


 それに代表されるように、文物の交流は盛んになった。


「東帝国並みに贅沢になったものよ」


 マグヌスはちょうど王宮を訪れたアウティスと一緒に魚をむしりながら言った。


「東帝国の富を舐めちゃいけません」

「フリュネは元気かい?」

「ええ、戴冠式のあとの行列が見物でした。象に乗った若い皇帝、賑やかな音楽、ただで振る舞われる菓子……すっかり気に入ったようでさ」


 そこでアウティスは上目遣いになって、


「マグヌス様、このままアルペドンの代官で満足されるおつもりで?」

「異変がなければそのつもりだ」

「欲のねえこって」

「逆だよ。何かあった日には間髪を入れずマッサリアに乗り込む。そのために重装歩兵も騎兵隊も鍛錬を欠かしたことはない」


 アウティスは魚の骨を出した。


「魚ってのは旨いには旨いが、食うところが少ないな……」

「私にとって今マッサリアに残ろうとするのはそれと同じなんだよ」

「そういうもんかね。ところで、ものは相談なんだが、娘のプリーの様子がおかしくてね」

「どんな具合に?」

「いい歳なのにおねしょをするし、昼間も(ふさ)いだままだ」


 マグヌスは眉根を寄せた。


「避難中に怖い目にでも遭ったのか?」

「何も言ってくれん」

「テラサに相談するか」

「助かる。近いうちに連れて行く」


 どの子も育つ。

 その道程に幸多かれとマグヌスは祈った。

 


 


完結まで毎日更新いたします。

夜8時ちょい前をお楽しみに!


次回、第200話 機習いの密儀

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