第十三章 197.レステスの子ら
マグヌスが気にかけていたレステスの子ら、すなわち三日月湖からの避難者は、彼が帰国するまでテラサと隊長ヨハネスの庇護下にあった。
水攻めの勝利は、三日月湖の住民の犠牲の上にある。
マグヌスは一刻でも早く彼らに会いたかったのだが、宰相ゴルギアスが留守の間に起きた国内のあれこれを相談に来て放してくれない。
「インリウムの僭主が倒れたということは、例の穀倉地帯は我らがアルペドンに返還されると考えてよろしいのでしょうか?」
「穀倉地帯の地主たちや区はどう考えている?」
「それはもう、不安定な飛び地ではなく本国に戻りたいと」
「分かった。マッサリアに掛け合って、インリウムには諦めてくれるように使者を出してもらおう」
ゴルギアスは書類をめくる。
「東帝国軍が通過したあとの被害一覧を……」
「それは、お前の裁量でなんとかならないか?」
「それが、マッサリア王国に損害賠償を訴えている者がおりまして」
「ふむ。避難を呼びかけたのはマッサリア王エウゲネスではなく私だ。そう説明してアルペドンで損害賠償をしてやれ」
「かしこまりました」
ゴルギアスは、さらに話を続ける。
「空席になっていた官職に人を就けたいのですが、マッサリアのように投票にすべきか、マグヌス様が人を見てお決めになるか……」
マグヌスは、目眩がしてきた。
評議会を持たず、王が一方的に統治してきた国。
マグヌスが好きに決めれば良いのだろうが、決めなければならないことが一度に降りかかってくれば、なかなかに辛いものがある。
「推薦の上、関係者の投票で。自分のことは自分で決めるのに慣れてもらいたい」
「承知仕りました。それから、軍制を改革して、これまでの郷里の制に基づく編成から、百人隊長、千人隊長を基として戦陣を組むように変更すると……」
「ヨハネスに任せる。マッサリアのテトスとよく相談するようにと」
パンと手を打つ。
「今日はここまで」
ゴルギアスは一礼して去った。
マグヌスは、早速、ミソフェンガロからの避難民が収容されている幕屋を訪れた。
去就が定まらないので、彼らはまだ幕屋暮らしだ。
食事は兵士たちと同じものが支給されているが、この待遇に不満を募らせてはいまいか?
「遅くなってすまない。今後の身の振り方を相談したい」
「早く来てくれないから婆様は亡くなったじゃないか」
「そうだったのか……レステスには豊かな土地を約束したのに、こんなことになって……」
目の前にいるのは二十人ほどの集団。
老人と子どもに、産まれたばかりの赤ん坊を抱く女もいる。
「親父もおふくろもあの土地を守って死んだ」
レステスの子、ロフォスの簡潔な言葉がマグヌスの胸を刺す。
「皆、王宮で受け入れる。年寄りは安楽な余生を、女たちは侍女に、男児は私の従者に」
「ミソフェンガロには戻れないのか?」
「五万の死者の怨嗟に満ちた湖、ピュルテス河の神の手に委ねたい」
死者はできるだけ回収したが、水底に眠る亡霊を恐れて、漁師たちも近付かない。
「俺も親父たちと戦いたかった」
「気持ちは分かる。だが今はよく生き残ってくれたと感謝したい。私のもとに来てくれ」
ロフォスは疑り深い目でマグヌスを見た。
レステスに似ている。
「もう、小麦は作れないんだな」
「運命は時に人の意を挫くものだ」
マグヌスは成年したばかりに見えるロフォスを抱こうとした。
「よく来てくれた。お前たちは家族同然だ」
力強く抱かれながら、ロフォスはやっと肩の荷をおろした。
「マグヌス様……皆を託します」
「ロフォス、若い身で避難を成功させたお前には頭が下がる」
「そんなでもないです」
「長々と仮の宿、疲れたろう、王宮においで」
キュロスの機嫌がまた悪くなるだろうとマグヌスは思ったが、年頃からすればロフォスはキュロスの兄貴分にちょうど良い。
「キュロスのお手本になってくれれば……」
「キュロスって、誰です?」
「私の息子だよ。ただちょっとわがままで」
「ああ、あの夜の女神の呪いを受けたという……」
マグヌスは絶句した。
マルガリタの軽率な行動が彼女自身の子どもの評判を落としているとは。
そして罪を背負い深い穴に落ちていく女神官の姿が脳裏をよぎった。
「心配無い。俺たちだってグーダート神国ではグダル神を第一に信じない呪われた民だったんだから。あの境遇から救い出してくれたマグヌス様には感謝している」
マグヌスの暗い表情を見て、ロフォスは励ます言葉を選んだ。
「ありがとう。無理にとは言わないが、できれば仲良くしてやってくれ」
そこへ、隊長ヨハネスが顔を出した。
マグヌスが来ていると聞いたのだろう。
「お久しぶりです」
「ヨハネス、留守の間ありがとう」
彼は頭を掻いた。
「ミソフェンガロの皆は立派でした」
「誇り高い一族だからな」
「よしてくれやい。とっちめられた山賊だよ」
ロフォスがあけすけにものを言う。
「言葉遣いはちょっと直したほうが良い」
世話してくれていたヨハネスに痛いところを突かれてロフォスは肩をすくめた。
「この子らが途中で拾ったフリュネたちは、夫のアウティスが来たので渡しました」
「途中まではルークから聞いていたが……」
「別嬪だけれども、妻に欲しい女じゃなかったですよ」
マグヌスは笑ってうなずいた。
「まさかアウティスが連れ添うとは思わなかった」
「次は男の子と威張ってました」
「ルルディ妃を悩ませないなら何をしようと私はかまわない」
「テラサが悩まされましたよ。ただでさえそこにいないマグヌス様がいるかのように取り繕って大変だったんですから」
「テラサは元気になったらしいな」
ヨハネスは我がことのように笑顔を見せた。
「そこの赤ん坊もテラサが取り上げたんです」
「そうか」
「王宮で引き受けてもらえるなら良かった」
「最初のうちはいろいろ気を使うだろうが、確かにこちらで面倒を見る」
マグヌスの周辺はどんどん賑やかになる。
これもまた運命……彼は後悔しなかった。
マグヌスの周囲が賑やかになってきました。
でも、心の中はさみしいかも。
次回 第198話 隊長
木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




