第十二章 195.私信
コウフォスの追跡は難儀を極めた。
従って旧帝を聖山に送るのにも、厳重に警備が付けられた。
神殿前で髪を剃られる際も、まだ彼は泣いていた。
弟に当たる第五皇子が剃刀を持ち、座ってメソメソと涙を流す兄を励ましながら髪を剃る。
「こんな目にあう日が来ようとは……」
「祖霊神というお方に仕える大切なお役目、罰のように考えるのはお止めなさい」
弟の方が遥かに高位なので、言葉は厳しくなる。
「テオドシウスよ、兄弟のよしみ、余をいたわってくれ」
「あなたはもう皇帝ではない。わきまえなさい」
同時期に神殿に預けられた賢そうな少年たちが、不思議そうに見守っている。
これから一神官の見習いとして、厳格な日課が始まる。
「逃亡を企てれば神官としても生きていけません」
きっちり釘を刺す。
「我々が周辺を警備します」
近衛兵直々の見張りも付く。
「聖域内へは入らないでください」
「かしこまりました」
カクトスは宮廷内で丁寧に看護されていた。
何しろ骨が折れている上に衰弱が激しい。
ミルティアデスの方が先に元気になって見舞いに来たくらいだ。
「私が腹痛などを起こしたために危険な目にあわせてしまって、申し訳ございません」
「誰が行っても危険だったのだ、気にするな」
寝込んでいる間に、カクトスはどんどん昇進して、アンドラスの政治顧問団の長に任命された。
「陛下、昇進させていただいても治りが早くなるわけではございません」
「私の気がすまないのだ」
アンドラスは気さくに笑う。
「まずは歩けるようになりませんと」
「また狩りに行こう。オオカミの被害の訴えが上がっている」
「はい。必ず」
そんな会話から数日経って。
カクトスは杖にすがってよろよろと宮廷の廊下を歩く。
従者はまだ寝込んでいる。
そんなカクトスを遠くから見ている少年がいた。
やや大人びたが、この顔は忘れない。
「……カクトス」
「殿下、馬は人になりましたぞ」
「……カクトス、出世おめでとう」
もじもじして、やっと言葉を絞り出したのは元の主の第八皇子。
作法が身についていない。
「馬にしたのは……ごめん」
「そうです。誤ったら正せば良いのです」
「前の皇帝陛下はそうできなかったから、聖山に送られたの?」
「あれが正しい政とお考えですか」
「……僕には分からない」
「では、お分かりになるように家庭教師の言うことをお聞きください」
少年は下を向いた。
つまらない書き取りは嫌らしい。
「それでも分からなければ、私にお聞きください」
ぱっと少年の目が輝いた。
「良いの?」
「人は学ぶものです。誰でも」
カクトスは立ち話がつらくなって周囲を見回した。
「椅子?」
「このままお話しするのであれば、お願いします」
この少年も、芯から愚かではない。
椅子を持てという声に、急いで大きな椅子が運ばれてくる。
「御前で失礼します」
「許す」
カクトスは皇子の前で椅子に座った。
「まず、殿下は人とはどんな存在だとお考えですか?」
「皇帝に仕えるものだろう?」
「その皇帝も人ですよね? アンドラス陛下は人ではありませんか?」
皇帝というものを余りに特別な存在にした旧帝と、酔っぱらいにしか見えなかったアンドラスと。
少年は懸命に考えていた。
「分からない」
意気消沈した小さな声。
「すぐに分からなくて良いのです。時間をかけてお考えください」
「うん……」
カクトスは疲れて椅子の背に身体を預けた。
この皇子にも良い教師を探してやろう。
南国に誉れの高いメランのもとから、誰か推薦してもらっても良い。
「では、今日はこれで」
カクトスはまた歩き始めた。
彼の大出世を知った南国の実家では、狂喜乱舞して欲しい物は無いかと尋ねて来た。
「無い。私は今、満ち足りている」
感謝と共に、彼の実家に塩の取り引きを東帝国内でも許す勅許状が届いた。
もちろん、あの玉璽の押されたもの。
やっと訪れた平穏な日々。
戦争の惨禍を知るアンドラスが帝位に就いている限り、この平和は簡単には崩れまい。
「マグヌスに手紙でも書くか……」
親友が送ってくれた外交文書のありがたさ。
引退同然というマグヌスが心配でもあった。
「我らを徹底的に痛めつけてくれた友へ……」
癖の強い独特な字で、カクトスは手紙を書き始めた。
長い時と空間を超えて友情は続く。
そんな友が居ることがカクトスは誇らしかった。
カクトスにはまだ、アウティスのような自在に動く部下がいない。
手紙は人手に渡り、大河を横切り、長い道程を経てマッサリア王国を経由して、アルペドン領のマグヌスの手に届いた。
「……どれどれ」
マグヌスは落ち着いて長い巻き物の封を開けた。
「そうか、あれが役に立ったか……」
「ちちうえ、なんですか?」
幼い声に「なんでもないから」と優しく答え、膝に抱き上げる。
「友だちからの手紙を読んでいますよ、テオドラ」
「おともだち!」
「良いものです。テオドラも良いお友だちを持ちなさい」
「あい」
幼女はマグヌスの胸に柔らかな黒髪を押し付ける。
「カクトス、こちらもまた平穏ですよ」
マグヌスは微笑んで、テオドラの頭をなでながら手紙の続きを読んだ。
「あの時名乗れなかったのは、すまないが……」
彼は友が波乱の末に適所に落ち着いたのを喜んだ。
カクトスに比べれば、ほんの小さな平穏。
それを得るためのあれやこれやを、マグヌスは思い返した。
メンテナンス、ビックリでした。
次回、第196話 反抗期
木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




