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第十二章 193.涼風

 大河に沈む太陽は圧倒的だった。

 空を赤々と染め、呼応するように東の空までバラ色に染まる。


 その中に白い満月が昇り始めた。


(小さな島と言ってもすぐに居場所は知れない。どうするんだろう?)


 カクトスが焦り始める頃、うずくまった猫の姿の島のちょうど喉のあたりの葦原をかき分けて、十人ほどの人間が姿を現した。


 彼らは島の一番高い所、猫の肩あたりで火を焚き始めた。


 それはすぐにカクトスたちの目にも入る。


「あそこだ」

「いよいよだ」


 三人は膝ほどの雑草をかき分け、胸を高鳴らせて急坂を登った。


 焚き火を囲んで四方を警戒している。

 落ち着きなく身体を動かしているのは、甲冑の下に潜り込んだブユにやられたのだろう。


「皇帝陛下のお使いはこちらですか?」


 問いかけると同時に、カクトスは焚き火の明かりに全身を晒した。


「私どもはマッサリア王国からの使いの者……」


 従者二人が続く。


 焚き火の異臭が鼻をつく。

 虫除けの薬草も焚いているのだと、焚き火の別の意味も知る。


「おお、やっと……」

「宿敵に一撃を加える好機と、はるばる参りました」

「こちらにも好機、しかし……」


 カクトスは相手の言葉をさえぎって、例の外交文書を差し出した。


「このような親書をいただいておりますれば」


 相手は丁寧な手つきで受け取ると、焚き火の明かりにかざした。


「私はマッサリア王の身近に仕えるカクトラスという者。出身は南国はナイロとなります」


 相手はうなずいて、緊張を解いた。

 金印付きの本物である。


「カクトラス殿、こちらは藩主パンテラスに仕えるストラトス」


 と、名乗りを上げた。


「ずいぶんな身なりですな」


 泥まみれ、顔にも塗料を塗ったカクトスたちに対して、ストラトスは、夏着に軽武装して槍まで持っている。


「ブユ避けの方法を教わりまして」

「なるほど、土民の知恵を学ばれましたか」


 乱暴にむき出しの腕を掻きながら、ストラトスはわずかにカクトスを見下す素振りがある。

 東帝国の西方諸国への無意識の軽蔑をカクトスは感じ取った。


「夏はこの通りですので、兵は出せません。状況を考えれば一刻を争うとは承知しておりますが……」

「詳細は皇帝陛下から」


 これはまずい。

 カクトスは逡巡してから思い切って問いかけた。


「陛下はいったいどこにおいでですか?」


 ストラトスは、一瞬ためらった後、異国の使いには分かるまいとばかりに、


「藩主国の夏の離宮に」


 と、漏らした。


「我々は、皇帝陛下にお目通りがかなうのですか!」


 カクトスが、しめたと思いながら感嘆の声を上げてみせる。


「聞いたか。この栄誉を。我ら二人は皇帝陛下の客となる。急ぎ立ち返り(あるじ)に知らせよ」


 承知いたしましたと、カクトスの従者は見事なマッサリア訛で返事をする。


「ではカクトラス殿と従者の方お一人をご案内いたしましょう」

「夜の河を行くのですか!」


 ストラトスは、フンと鼻で笑った。


「どこぞの河と違ってリドリス大河は穏やかな河。月夜の河下りも風流なもの」

「ストラトス様、ピュルテス河では四万以上の帝国軍が命を落としております。お言葉が過ぎましょう」


 つい気色ばむ従者をカクトスが一睨みして黙らせた。


「暑さとブユに参っておりまして、失礼をいたしました。お供いたします」


 お前は行け、とカクトスは一方の従者に手を振った。


 従者は一礼して焚き火の明かりの届く限りはゆっくりと歩いたが、斜面になると一気に滑り降りた。


「夏の離宮といえば、パンテラス藩主国のアヤル山の山腹。急いでアンドラス様に伝えなければ、皇帝に顔を知られているカクトス様が危ない」


 彼は小舟で寝ていた漁師を叩き起こした。



 

 ストラトスの言った通り、夜のリドリス大河は、満月のもと銀色に凪いで美しかった。時折魚が跳ねて、輝く波紋を広げる。


 無数の州には葦が黒い影を作ってそよいでいる。

 それより黒くうごめくのは、ワニの群れだろうか。


 二十人乗りのこの舟も、造りは大きいがやはり平底で浅瀬をかすめるように進む。

 

「カクトス様……」


 従者が不安げにささやいた。


「すまぬが、お前の生命は私にくれ」


 カクトスがささやき返す。


 皇帝に顔を見られれば生命は無い。

 カクトスは覚悟を決めた。


(皇帝の居場所は知らせたのだ。あとはアンドラス陛下がなんとでもしてくださる)


 彼は捨て石となる悲壮な決意を胸に、せめてもの抵抗をと短剣を握った。



 街道を数日歩くと、堂々とした山が見えてきた。


「アヤル山だ」


 さらに十数日をかけ、アヤル山の麓に着く。

 少し登ると夏なのに涼しく、山腹はいつもさわやかな風が吹いていた。


 カクトスたちは険しい山道を輿に乗って運ばれた。


 衣類はストラトスの好意で、皇帝の目に触れても無礼でないものに改めてある。


 例の外交文書の効力は絶大で、カクトスたちは見咎められずに夏の離宮に入った。



 皇帝は珍しく玉座に座って客を迎えた。


 両側に同じ見た目をした若い女奴隷が立ち、クジャクの羽の扇で風を送っている。

 さらに背後には、あのコウフォスが目を光らせていた。


 カクトスたちは、言葉も届かない下座で平伏した。


「近う寄れ。余は遠くが見えぬ」


 伝えられた言葉に乗じて、カクトスたちは堂々と歩を進める。

 

「皇帝陛下におかれましてはご機嫌麗しく……お久しぶりに存じます」


 カクトスと従者は、同時に短剣の鞘を払った。


「誰が此奴を入れた! アンドラスの手先ぞ!!」


 皇帝の叫びにコウフォスがヒョウのように飛び掛かった。


居場所は知れた。だが、カクトスと従者の運命は……。


次回 第194話 最後の抵抗


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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