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第十二章 192.猫の島

 ミルティアデスたちにカクトスを加えた一行は、都の小物を地方におろす行商人に身をやつして街道を下った。


 四人が四頭の騾馬(らば)に乗り、荷物を運ばせるロバが二頭。


 アンドラス五世陛下直々の通行証があるので検問所の通過は容易(たやす)い。

 パンテラスの藩主国に入ってからはやや見咎められることが増えたが、そこは商人の悲しさ、力あるものに通行証を発行してもらえなければ身動きが取れないのだと説明して疑惑を晴らした。


 間もなくリドリス大河沿いの県に入ろうとするところで、


「腹が痛い」


 ミルティアデスは倒れ込んだ。


「怖気づいたか!」


 その手厳しい叱咤にもかかわらず、彼はうめきながらうずくまった。

 下腹に鈍痛があるらしい。

 ミルティアデスはずっと我慢していたという。持ち合わせの吐剤や下剤を飲ませてみたが、いっこうに改善しなかった。


 晩夏に冷や汗をかきながら騾馬に揺られて来たが、ここが限界だった。


 続いて高熱が出た。


「しまった」


 カクトスは呻吟した。

 これでは病気持ちと嫌われて、街に入ることも宿を借りることもできない。


「そうだ、治癒の神の神殿を頼ろう。街外れまで頑張れ」


 無理やり騾馬の背に押し上げて直近の街を探す。


 街の手前、街道から脇道を進んだところに目的の神殿はあった。

 治癒された有力者たちが寄進するので、「病の者が身を寄せる施設」という割にはしっかりした石造りの建物だった。


 片目の無い神官が一行を出迎えた。

 ミルティアデスは、もう呻くしかできない。


「おお、これは……」


 神官は、寝台に寝かせた病人の腹や背を押してみる。

 特定の部位に触れると、ミルティアデスは飛び上がって痛がった。


 神官は残念そうに首を振った。


「お仲間は死病に取りつかれてしまいました」 

「そんな……」

「腹の中が腐る病です。お急ぎの旅ならここへ置いて出発しなされ。手は尽くしますが帰りに骨壺を受け取ることになるやも知れず……」


 カクトスたちは、目を見交わした。


「神官殿、我らはこれから大河を渡り、ルフト侯領へ帝国の恵みを売りさばくつもり。仲間を頼みます」


「あの湿地と大河を越えて外国へ!」


 神官は驚いたようだった。


「皆と同じことをしていては、儲けは出ませんので」


 カクトスの言葉に納得したようだ。


「湿地帯ではブユが出ます。身体には粘土を厚く塗りなさい」


 思い出すように上を見上げて、


「大河を渡るには、ここの地元の漁師の舟を頼りなさい。長い棒で操り底が平らで、泥に乗り上げても前に進む特別な造りをしている」

「ご助言、感謝申し上げる」


 カクトスは革袋から金貨を数枚取り出して神官に手渡した。


「よろしくお願いします」


 余裕をもって出発したのに、もう、満月まで日がない。

 後ろ髪を引かれる思いで道を急ぐ。


 翌一日かけて小川沿いの漁師の寒村を捜し出し、猫の島まで送ってくれるよう頼む。


 見慣れぬ旅の商人を警戒していた漁師だが、神殿の紹介だと言い、金貨を握らせると首を縦に振った。


「この川は湿地帯を通ってリドリス大河に通じる。この辺もブユが出るので川岸の粘土を手足や顔に塗っておけ」


 目の周りには特に黒い薬液を、これは漁師が塗ってくれた。


「荷物は担いで行くこと。大きな獣は舟に乗せられない」


 騾馬もロバも置いていくしかなかった。

 代わりに、ではないが、リドリス大河で捕れた川魚の蒸し焼きを夕食のご馳走になった。


 腕の長さほどもある大きくよく肥えた魚を、香りの良い草で包み、その上から泥を厚く塗ったものを焚き火で焼く。


 火が落ちたところで泥の塊を叩き割って火の通った魚を取り出す。


 腹を空かせたカクトスたちが早速かぶりつこうとすると、漁師の妻が青いレモンを絞ってくれた。


「大河の恵みよのう」


 宮廷の贅に飽いた一行が感嘆の声を上げる美味。


「ミルティアデスがいれば半分はあいつの腹に納まってしまうのだが」


 声を落とすカクトスに、


「カクトス様、誰が使者の役をやるんでしょう?」


 と、従者の当然の疑問。


 カクトスは、自信たっぷりに答えた。


「私がやるんだよ」

「その、お肌の色は? マッサリア人には見えませんが……」

「泥を塗ったこの姿なら月明かりの下バレないさ」

「言葉はどうします?」

「マッサリアは南国に植民市を持っていたろう。それでごまかす」


 と言っている先から、滑らかな南国訛に変わる。


(むしろ、神々のお導きかも知れない)


 懐には、例の外交文書がある。

 身の証は立つ。

 口下手なミルティアデスよりも自分が交渉して皇帝の居場所をつかんだほうが良い。


 ブユに刺された跡を掻きながら、カクトスはそう考えた。


 ブユに悩まされてよく眠れないまま、夜明けに彼らは漁師に叩き起こされた。


 簡単な粥を食べた後、漁師の舟に荷物を積み込み、自分たちも乗り込む。

 舟は案外大きく、なるほどあの大きさの魚を獲物とするだけの事はある。


 小川は見渡す限りの葦原に入った。

 川底は浅く、人の背が立つだろう。


「このまま、猫の島に着くのか?」


 漁師はニヤリと笑った。


「あの魚がこんな浅瀬に住むと思うか?」


 艫に立った漁師の巧みな竿さばきで、小舟はスイスイと葦原をかき分けていく。


 視界が突然開けた。

 泥色の水面が広がり、向う岸は見えない。

 上流下流も判然としない。


「リドリス大河」


 漁師がポツンと言った。


「おお、神よ、無事に目的地に着きますように」


 従者の口から祈りの言葉が漏れる。


「目印も無いのに、どうやって猫の島を探り出すんだ?」


 カクトスが好奇心を抑えかねて尋ねる。


「浅瀬、淵、水面の色が違う。それを頼りに行くんだ」


 心細いのを抑えつつ漁師に命を預けて半日、カクトスらはやっと水平線上に島影を認めた。


「あれか? あれが猫の島か?」

「そうだ。目は良いな」


 それから数刻、小舟は猫の島の周りの泥地に乗り上げた。

 

「ここから歩ける。帰りはどうするつもりだ?」

「満月の夜まで待っていてくれるとありがたい」


 カクトスは、商品を詰めた麻袋を一つ、差し出した。


「今夜か」

「今夜だ」


 漁師は袋の中身を改めてからうなずいた。





急病でバトンタッチのカクトス、頑張ります。


次回、第193話 涼風


木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!

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