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第十二章 190.両帝並立




 見物客の整理で疲れ切ったカクトスが常宿にしているダイダロスの別邸に帰ると、来客があるとの知らせである。


「誰だ、こんな日に……」


 不機嫌そのもので客間に顔を出すと、あっと思わず声が漏れてしまった。


「お前は、アウティス……」

「覚えていただきましたか。顔を作らずに来て良かった。光栄です」


 今度は金細工師に化けた密偵が、とろけるような笑顔を見せた。


「このお屋敷の皆様にも贔屓にしていただきました」

「マグヌスは元気か?」

「お元気かそうでないかと言えばお元気です」

「どういうことだ?」


 カクトスは、侍女に茶を頼んだ。

 めでたい日、酒にすべきだったかもしれないが、飲んだら潰れてしまいそうなほど疲れていた。


「マグヌス様から贈り物です」

「まさか、馬か?」

「違います」


 アウティスは懐を広げて見せた。


「運べるわけがないでしょう」

「では何だ」

「あの皇帝は海外にはいません」


 思わず立ち上がる。


「どこだ!?」

「東帝国内のどこか。インリウムの可能性は捨ててください」

「なぜ、そう言い切れる」

「マグヌス様がシデロスを失脚させたのです」

「なんと。マグヌスは今どうしている?」


 アウティスの表情が少し翳る。


「執政官の職を捨てて、アルペドンでのんびり暮らしておられます」


 マグヌスの声が聞こえるような気がする。「それが国の習いなのですよ」と。


 一番の功労者に、なんと酷い扱いか。

 用が済めば打ち捨てられる薄紙のように。


 その前に聞かねばならぬことがある。


「マッサリア王国は、なぜ祝賀の使者を送ってくれなかったのだ?」


 アウティスは茶の器を口に運んで、


「これはマグヌス様の決めたことじゃないんですが」

 

 ゴクリと喉仏が動く。


帝国(くに)の中にもう一人皇帝が生きている。そんな状態で新帝が立ったと言っておいそれと祝えますかね」

「マグヌスは我らの味方をすると言ってくれたはずだが?」


 アウティスが薄ら笑いを浮かべた。


「もう一人の皇帝から『侵略者アンドラスを討つなら協力する』って手紙が、山のようにエウゲネス王の所に来てるんですぜ」


 ドキリとした。

 確かに、エウゲネスとマッサリアに打撃を与えたのはアンドラスだ。


「中立を守るだけで評議会が大騒ぎになりました」

「そんなこととは知らずに……」

「実物を一枚、お渡しします。皇帝の印は持ち出したようですな」


 カクトスはあわてて広げて見た。


「これは……」


──味方してくれるならリドリス大河の猫の小島で会おう、満月の夜ごとに待っている──。


「これをくれるのか」

「皇帝の居場所の猫の尻尾でさ。せいぜい引っかかれないように気を付けて。ああ、それから。マッサリア配下の他国にも手出しはさせねえ。帝国内で決着をつけてくだせえ」


 アウティスは立ち上がった。


「夜間の外出禁止令が出てますが、許可状をいただけませんか? 妻子のところに帰らなきゃならねえもんで」

「マグヌスに、礼と息災にと……」

「かしこまりました」


 カクトスは紙とペンを運ばせると、夜間の通行を許す旨、さらさらとしたためた。


「妻も娘もいい場所で見物できて満足でさぁ。さすがはアンドラス五世陛下。栄えあれ!」


 案内されて去っていくアウティスを見送ると、カクトスはしゃんと背が伸びた。

 新皇帝も疲れているだろうが、これは火急の要件だ。


 酒を食らって寝ぼけている厩番を叩き起こすと、今日誰も乗っていない馬を選び、人っ子一人いない暗い夜道を、宮殿に向けて蹄の音を響かせた。


「アンドラス陛下に急ぎの用あり! 通るぞ!」


 番兵たちはカクトスの背だけ確認できた。


「カクトス、用向きを述べよ」


 アンドラスはまだ、昔の部屋で寝起きしていた。

 皇帝の寝室はあれ一つで、とても使おうという気にはならない。


「マグヌスが密偵を送ってきました。これをご覧ください」


 差し出すのは、皇帝の印が金色に輝く書状。

 一読して内容に驚き、


「どこで手に入れた?」

「同じく、アンドラス様を排そうとする手紙が、無数にマッサリア王エウゲネスのもとに送られているそうです」

 

 アンドラスは拳を握った。


「それでマッサリアやその属国は、祝賀の使節を送って来なかったのだな」

「その通りでございます」


 爛々と、アンドラスの両目は輝いた。


「リドリス大河の猫の島……わかるか?」

「申し訳ありません、私には……」


 生粋の東帝国人ではないカクトスでは、細かい地名はわからない。


「よく伝えてくれた。これを手がかりにあの皇帝を追うぞ。今日はもう帰らず、ここで休め」


 アンドラスは不寝番の奴隷に部屋を一つ用意するよう命じた。


「帝国の印章、焼けたかと思っていたが、あれが持ちだしていたか……」

「アンドラス陛下、マグヌスは陛下を裏切ってはおりませんでしたぞ」

「確かに」

「マグヌスは今やマッサリアの国の中枢を追われ、属国アルペドンの代官として暮らしているとか」


 ほうっと若い唇から息が漏れた。


「あれだけ有能な指揮官を追い出したのか? 私がマグヌスならば一矢報いるところだが」

「そういうつもりも無いようです」


 アンドラスには理解できなかった。

 皇帝の座を狙ったからこそ、道化にもなろうし馬鹿にされても耐えた。

 それが、あのマグヌスは一切見返りを求めず、静かに退いたのだ。


「あの戦いは、何だったのだ……」

「戦いで得られる栄誉は虚構……マグヌスと私の師はそう申しておりました」


 それを態度で示したというわけか。

 どの軍でも論功行賞は荒れる。

 それをどう捌くかに指揮官の腕はかかっているとも言えよう。


「今一度マグヌスに会ってみたい」

「皇帝陛下として、マッサリアにマグヌスを使者に立てよとお命じになれば簡単でしょう」


 その時、寝室の準備ができたという声がした。


「カクトス、よく休め」

「ありがたき幸せ」


 アンドラス自身も横になり、頬の傷に触れた。


「猫の島……捕らえてやるとも」


  




しぶとい前帝、追うアンドラス……


次回 第191話 外交文書


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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