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第十二章 186.一撃(クー・デタ)

 それからさらに半年、季節にしては早い雪が降った。

 ちょうど冥府の支配者グダル神を祀る祭礼の前日。人々は凍るような水で身体を清め、この日のために設けられた市場で、神に捧げる生贄を買い求めた。

 黒いウシ、黒いヤギ、黒いヒツジ。


 地下の神は黒い贄を求めるのだ。

 貧しい者は、親戚同士、隣同士で金を出し合い、生贄の獣を求めた。


 女たちは手をかじかませて家の中を掃除し、鏡は倒し、花瓶の花を捨てて水を空けた。


 この日から三日は個人が火を使うことも忌むのでその準備もしなければならない。


 明日は、生贄の血を大地に注ぐ儀式が待っている。

 その後は神殿の聖なる火で生贄は焼かれる。


 




 そんな日に、雪降る静寂を破って、蹄の音が響いた。

 薄く降り積んだ雪に、黒い足跡を残しながら、武装した一団が都に続く街道を駆け抜ける。


「止まれ! グダル神の聖なる日を穢すつもりか?」


 帝都の門で衛兵が制止する。


「違う! 我々は帝国の不正を正さんとするものなり! 中に入れろ!」

「何を言うか! 止まらぬならばお前たちが暗き神の贄となれ!」


 武装集団と衛兵は互いに槍を振るった。

 倒れた衛兵の血の中に、ぼとぼと重い雪が舞い落ちる。舞い落ちて、赤く染まる間もなく溶けていく。


「宮殿へ! 突撃!!」


 雪は止まない。

 厚い灰色の雲から終わることなく降ってくる。


「反乱だ!」


 生き残った衛兵が叫び、急を告げようと馬に飛び乗る。

 

「反乱ではない! 正統な帝位継承者がここにいらっしゃる!」

「もしや、アンドラス殿下……」

「だったらどうする!」


 会話の間に弓に弦を張り終えた歩兵が、駆け去っていく衛兵の背中に狙いを定める。


「放っておけ」

「しかし……」

「騒ぎは大きくしたほうが良いのだ」


 歩兵は弓を下ろした。

 馬は雪の中に消えてゆく。


「では、行こう! アンドラス殿下のために!」

「おう、殿下のために!」







 異変を知らされた皇帝は、報告に入ってきた近衛兵たちに、例によって甲高い声をあげた。


「ええい、まだ取り押さえられんのか!」

「ご心配なく。間もなく宮殿の門で袋のネズミとなりましょう」

「アンドラスめ。大切な神事の日を穢しおって」


 皇帝は表に立つのは嫌っていたが、この日のために前々から見事な黒毛の雄牛を準備させるほど、祭事には熱心だった。

 ことに死者を支配するグダル神をひどく怖がっていた。


「アンドラス、追い詰められてヤケを起こしたか……大人しくしておれば、死に方くらい選ばせてやったものを」


 皇帝は含み笑いしながら、布団をかけ直させた。


「しょせん岩に卵をぶつけるようなもの。散り果てよ」


 彼は枕に頭を落とした。

 ところが……。


「残念だったな。私ならここにいる」


 近衛兵の武装に身を包んだ若者が、一歩進み出る。


「表門の騒ぎは陽動だ。それも気付かぬほどに衰えたか」


 若者は兜をとった。


 ふわりと薄茶色の巻き毛が肩に落ちる。


「アンドラス! なぜここに……」

「私がお入れしました」

「その声はダイダロス!」


 皇帝は思わず上半身を起こした。

 それを守るかのように宦官たちが割って入る。


「皇帝よ、これ以降あなたの命令は誰も聞かぬ」


 アンドラスが、宦官を突き飛ばして皇帝の寝台に迫った。


 引き裂かれた薄絹が、風も無いのに揺れている。


「近衛兵! この無礼者をつまみ出せ!」


 皇帝は、癇症(かんしょう)な声で命じた。


「……遅い。近衛軍はもはやあなたのためには動かぬ」

「不敬な! 剣を捨ててひざまずけ!!」


 意にも介さず、アンドラスは皇帝を威圧する。


「皇帝の名を借りて命令するばかり。それがいかに不当なものであったか、ここでよく考えろ」


 アンドラスは寝室を見渡した。


「火を使っているではないか。皇帝は敬虔な神々の下僕ではないのか?」

「よせ、消すな、闇は怖い」


 皇帝の寝室に窓は無い。

 アンドラスの目配せに従って、別の近衛兵が端から一つずつ壁の灯りを消していく。


「やめてくれー!」


 威厳も何も振り払った弱い男の声が寝室に反響した。


「姉上がこちらにいらっしゃるやも知れず」


 ふふふとアンドラスは笑った。

 薄明かりの中、皇帝の顔は引きつっている。


「侍女一人を除いてこちらに付いてこい。元皇帝のお世話にはそれでも十分なはずだ」

「待て、侍女と宦官は残せ。見ての通り、余は病身……」


 アンドラスに同情は無かった。


「立て、歩け。自分のことは自分でしろ」


「わ、私が残ります」


 勇気を振り絞った侍女の声にうなずいて許可を出す。


 最後の灯りが消された。

 部屋に闇が満ちる。


 アンドラスたちは前室へ通じる扉を開けて明かりを確保すると、真っ暗な中に皇帝とその侍女を残して外へ出た。


「ダイダロス、ここへ残ってくれ」

「心得ました」


 廊下側の扉を慌ただしく開ける、顔を知らぬ近衛兵。彼は異様な雰囲気に一度立ち止まったが、


「表門の騒動は収まったぞ」


 と、アンドラスたちに伝えてきた。

 アンドラスは室内から見えぬ天を仰いだ。


「ああ! 全滅か……一歩遅かった」

「何を言っているんだ?」

「私は先帝の第三皇子アンドラス。これより皇帝として帝国(くに)に君臨する。ひざまずけ!」


 ジリっと近衛兵は後に下がった。


「帝位を奪ったのか⁉️」

「そうだ。前皇帝の身柄もすでに押さえた。命が惜しければ我々に協力せよ」


 近衛兵は剣を外して足元に投げた。


「従います」

「よし」



 襲撃は宮殿だけでは無かった。

 皇帝派に属し、ダイダロスやカクトスの説得に応じなかった上級軍人や政治家も対象となった。


「神を恐れぬ愚か者!」


 あちこちでそう罵倒されたが、アンドラス一派は笑って相手にしなかった。


 帝国暦二二九年、重い雪の降る日の、国家への一撃(クー・デタ)は、ほぼ成功した。


 


アンドラスついに動く!!


次回 第187話 脱出


木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!


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