第十二章 185.後ろ盾
カクトスが藩主国を廻る一方で、ダイダロスはより困難な問題に取り組んでいた。
皇帝に「死ね」と追い出された宮廷に密かに舞い戻り、顔見知りの近衛軍の上級士官をアンドラス派に引き入れる至難の業である。宮廷に残っていたミルティアデスが手を貸した。至難の業
皇帝派に見つかれば命は無い。喜んで、裏切り者ダイダロスの首を皇帝に差し出すだろう。
だが、以前からアンドラス派に目を付けて牽制していたのが幸いした。
「将軍! なぜ私などのもとへ!!」
突然現れたダイダロスに肝を潰す相手。
ダイダロスは頭巾を取りながらゆっくり話す。
「……知っているのだよ。お前の皇帝陛下への不満は」
「恐れ多いことを!」
「私は今、アンドラス殿下の庇護のもとにいる」
「殿下はどこに?」
「言えない。転々と居場所は移しておられる」
「その先が殿下のお味方……」
二人ともひそひそ声になる。
「お前の別荘を殿下の潜伏先に頼まれてくれないか?」
「……私には難しいかと……申し訳ございません」
「無理は言わん。だが、いざことが起きた日には殿下にお味方して欲しい。ではこれで」
「道中お気をつけて」
玄関先での立ち話として、ダイダロスの姿はたちまち闇に紛れた。
反皇帝を唆す彼の暗躍は、すぐに皇帝の知るところとなった。
「アンドラスの名を出したものは死刑に処す」
厳しい命令だったが、逆効果だった。
そこまでアンドラスは皇帝にとって脅威に成ったのかと、密かに離反する者が増えた。
仲間の援助で、刻々と味方は増えていく。
だが、アンドラスにはまだ不安があった。
「エウゲネス王に援助を依頼しよう」
ついにアンドラスは禁句を口にした。
「内紛に他国を引き入れるのは危険です」
「あのエウゲネスならば……」
「それならば、すでに言質を得ているではありませんか」
アンドラスの弱気を読み取ったようにシュドルスが進言する。
「殿下の後ろ盾ならば、すでに寝返った近衛兵、十五のうち九つの藩主国、それで十分ではありませんか」
「そうだな」
アンドラスは、なぜこんなに敵対した王に惹かれるのか自問自答した。
(あの男から味方するとの返事が欲しい)
実際、もしも本物のエウゲネスであったならば、アンドラスを生かして帰すようなことは無かったろうし、アンドラスの敵対心を解いてしまって、こんなに心惹かれる相手にはならなかっただろう。
東帝国内に内紛を作るというマグヌスの計略に、アンドラスたちはまんまと嵌っていた。
人の心を読む術は、マグヌスのほうが一枚上手だった。
そしてその頃であった。
都に潜入を続けているはずのダイダロスが、大慌てでアンドラスの居場所を探り当てて戻ってきた。
「一大事でございます。まだ船乗りたちの噂話でございますが、我々が会ったエウゲネスは別人であったと……」
その場に居合わせたアンドラス、シュドルス、カクトスが思わず武具の手入れの手を止める。
「……では、誰だったというのだ?」
衝撃から立ち直ったアンドラスがやっと言葉を絞り出す。
「エウゲネスの異母弟、マグヌス将軍」
「嘘だ!」
カクトスが声を荒げた。
「私はエウゲネスと会った……あれは私の知っているマグヌスではない!」
シュドルスは別のことに感心していた。
「王の器にふさわしい者が二人もいるとは……マッサリア王国恐るべし」
水指から一杯水を飲んで、ダイダロスは続けた。
「現在はエウゲネスが王でマグヌスが執政官……」
「では、あの約束はどうなるのだ! 私が帝位を狙うなら援助すると言ったのは、エウゲネス王ではなかったのか……」
「殿下、落ち着いてください。執政官マグヌスもその力は大きいと」
アンドラスを落胆させまいとダイダロスが励ます。
カクトスはつぶやき続けていた。
「マグヌスがエウゲネス、エウゲネスがマグヌス……」
あの手厳しくも人好きのする「エウゲネス王」が別人だったとは。
「マグヌスと戦ってはいけない……お前の言った通りだったな」
アンドラスは苦いものでも噛んだかのような口ぶりだった。
「象といい、水攻めといい、見事にしてやられた」
「まさかあれがマグヌスとは……」
カクトスはまだ未練たっぷりな様子。
それはそうだろう。
何年もナイロのメランのもとで議論を戦わせ、大図書館の隣り合った席で書を読み、老練な指導官のもと模擬戦の好敵手として張り合ってきた仲なのだから……。
「どうして素性を明かしてくれなかったんだ」
「当然でしょう、三万以上のマッサリア王国の軍隊を丸ごとエウゲネスと信じさせていたのですから」
「あの丘の上で、やはりエウゲネスには何かあったのだな」
アンドラスのほうが、理解は早かった。
「マッサリア王国を当てにはできない。自分たちで戦うぞ」
「そうです、殿下。我々を信じてください」
マグヌスがマッサリア王国の中枢から去った経緯までは、まだ伝わっていない。
他国の事情は、国政に関わる重大な事柄でもなかなか知れるものではなかった。
「あの地の馬……惜しいな」
シュドルスがうなずきながら、
「立派に帝位にお就きになり、献上を求めましょうぞ」
「その通りです」
「マグヌスには高価な砂糖を贈ってやっております。その分を返せと言ってやりましょう」
「分かった」
アンドラスは、マッサリア王国に頼ろうとする退路を絶った。
「雌伏一年、お前たちの忠義無駄にはせぬ!」
この場に居ない同志にも届けと、アンドラスは高らかに宣言した。
東帝国動乱の予感。
次回、第186話 一撃
木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




