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第十二章 183.誰が為に

 港から皇帝の住まう都までは、ほぼ一本道だった。


 石の敷かれた道路は幅広く、商業施設(エンポリオン)に入れない小売商たちの間口の狭い商店が並んでいた。

 

 絨毯(じゅうたん)、ガラス器、装身具、絹やら麻やらの布、香水。


 店を持てぬ菓子売りや水売りが、大きな荷物を抱えて行き来する。


 空は爽やかに青く澄み、白い雲を背にこんな所までカモメが飛んでいる。


「見ろ、何も変わらない」


 アンドラスの言葉。

 自分たちは遥か彼方まで遠征し、生死の境を彷徨ったというのに、母国は何もなかったように賑やかに栄えている。


「アンドラス様、それだけ帝国は大きいのです」


 カクトスが帝国を讃える。

 そして大声で、


「マッサリアまで遠征された第三皇子アンドラス殿下のお帰りだ。道を開けよ」


 通行人は怪訝そうにしながら乗馬した三人連れを通す。

 この道では身分の高い者しか馬や輿(こし)には乗れない。


「アンドラス殿下……生きて帰られたのか……」


 密やかなざわめきが聞こえる。

 敗戦の噂は千里を駆けてすでに伝わっていたのだろう。


 カクトスが銅貨を撒いた。

 子どもたちが、ワッと集まる。


「アンドラス殿下だ。無謀な遠征にもかかわらず無事帰国された。神々のお助けにより!!」

「五万の兵は……」

「近衛軍のダイダロス将軍が陸路帰還されている。誰だ、全滅などと不吉な噂を撒く者は!」


 アンドラスは王族の身分を示す赤い服ではなく、落ち着いた薄緑の衣装を着ており、茶色の髪によく似合っていた。


 カクトスは浅黒い顔に高位の宮仕えを示す青の吏服。


 二人は栗毛の馬に乗っていた。

 プロイオスは粕毛の年老いたおとなしい馬。

 もう一頭、荷物を振り分けにした芦毛。


「アンドラス殿下の無事帰国を祝って!」


 花冠が手渡された。

 アンドラスはそれを馬の頭に乗せた。


「敗北は嘘ではない。これから皇帝陛下にお詫びに参るのに花冠はふさわしくない」


 沈んだ声。


「皇帝陛下のお怒りは恐ろしい。どうか神々の守護があるように、私たちのために祈ってくれ!」


 歓声が上がった。

 カクトスの情報操作が効いている。


「殿下に差し上げます」


 お守り売りの青年が、青銅でできた戦女神の護符を差し出した。


「ありがとう。カクトス、礼を」

「礼はいりません。神々のご加護がありますように!」


 三人は、ゆっくりと皇帝のもとに向かった。

 途中、宿屋に数泊したが、どこも宿賃は請求されなかった。


 商業地区はプツリと終わり、そこからあとは広い帝都の敷地に入った。


 道幅は変わらず、ただ、両側は見通しの良い空き地になっており、所々に細く実をつけないヤシが植えられていた。


「殿下、ご覧ください」


 帝都の敷地に入った初日の夜、簡素な幕屋に三人、パンと水の簡単な夕餉を済ませて、いざ寝ようとするとき、カクトスは袋を空けた。


 手燭の小さな灯りの中に、お守り、先帝のときの硬貨、汗を拭く布切れ……貧しい人々の精一杯の好意がそこにあった。


 アンドラスは、ギュッと唇を噛んだ。


「負けられぬ」


 彼の新たなる戦いの決意を耳にし、カクトスは、主の手を握った。



 アンドラスたちは、北門から入れと命じられた。

 北門は女たちの門、罪ある女たちの晒される門。

 皇帝は、まずこれでアンドラスの心を折ろうとした。


「馬鹿を言うな。負けたとはいえ、第三皇子である。正門から入らせてもらうぞ」


 たった三人の主従であるが、プロイオスの厳しい言葉とアンドラスの威厳に門番は折れ、槍を引いた。


「さあ、ここからだ」


 見覚えのある陰気な巨大建築。


「参りましょう」


 入口で剣を預けるように言われたが、アンドラスはそれも突っぱねた。


「マッサリア王エウゲネスとの友誼の証なれば、この身から離すことはできぬ」


 カクトスとプロイオスも帯剣したまま従った。


「案内? 要らぬこと。それより皇帝陛下にアンドラスが来たと伝えよ」


 宦官が転がるように走っていく。


 アンドラスは二人を従えて、勝手知ったる廊下を歩む。


 歩いて、歩いて、例の長い廊下にたどり着いた。

 この奥に例の「赤い部屋」が、そして皇帝の寝室がある。


「殿下、さすがにここから先へは勝手に入ってはなりません」


 宦官が「赤い部屋」の前で立ちふさがった。


「待たせることでおのれを権威付ける手法とは、もう知れているのだ。通せ」


 アンドラスは、宦官を押しのけた。


 真っ直ぐに前室を横切り、黒く重い木の扉に取り付く。


「殿下、お待ちを……」


 宦官たちの哀願もものかは、たくましく成長した腕で、軽々と扉を開け放った。


「皇帝陛下、ただいま帰りました!」


 癇症な声が返ってきた。


「邪魔をするな!」


 見ると、皇帝は侍女とサイコロ遊びをしていた。

 これが終わるまで待たせるつもりだったらしい。


「馬鹿馬鹿しい!」


 アンドラスは、青い薄絹の垂れ幕をかき分けてずかずかと中に入り、剣の柄頭でサイコロ盤をひっくり返した。


「こ、皇帝陛下の御前ですぞ!」


 侍女が悲鳴をあげた。


「我らが冬の霜を踏んで行軍している間も、荒波に苦しんでいるときもこうやって遊んでいたのか!?」


 アンドラスの怒りが、皇帝のそれに先行して爆発した。


「我らが雪解け水に襲われ、もがき苦しんでいたときも、絹にくるまって安らかに眠っていたというのか?」

「出ていけ! 無礼者。五万もの兵を持たせたのにおめおめと負けて帰るとは!」

「マッサリアは同盟軍含めて七万の兵で挑んできた。情勢を見誤った責任をどうとる」

「無敵の戦象部隊は……」

「敵の策にはまり、我等の手で処分した。その無念がわかるか!?」

「インリウムが味方したろう」

「インリウムは勝手に王都を包囲した挙げ句、エウゲネスに追い散らかされた。何の役にも立たなかったぞ」

「……」

「戦はその場になってみないとわからないことだらけだ。兵たちはサイコロの駒では無い!! 誰のために我らは戦ったのだ?」

「ぶ、無礼者……」

「それしか言えぬのか。虚しい権威にすがる者よ」

「……」

「私たちは、叔父であるシュドルス将軍のもとに身を寄せる。異論があるならいつでも輿に乗って参られよ」


 カクトスが口を挟む余地も無かった。

 

 アンドラスは言うだけ言うと、部屋の隅で震えている宦官たちには見向きもせずに足音荒く立ち去った。

 


戦場を経験したアンドラスを、皇帝の権威だけでは抑えられない……。


次回 第184話 密やかなる逆転


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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