第十二章 182.命がけの報告
帰国に先立って、アンドラスは敗北を伝える使者を皇帝に送った。
「五万もの兵、三百もの三段櫂船を預かりながらの敗北。死ね。恥知らず」
予想通り痛烈な言葉が返ってきた。
「……」
「殿下に代わって私が死にます」
「言うな、シュドルス」
「しかし……」
「私は死なん。死んで兵たちが生き返るか!」
アンドラスの両目は輝いていた。
「責任は無謀な遠征を強いた皇帝にある」
「よくぞおっしゃった」
「カクトス、帰ったら働いてもらうぞ」
「何なりと」
「まずは皇帝にお目にかかる」
カクトスは何重にも守られた皇帝の寝室へ至る道の遠さに目がくらんだ。
「そこでお前と練り上げた皇帝弾劾の文言をぶつける」
「アンドラス様、それはやはり港に着いたときがよろしいかと」
「命じたのは皇帝陛下、彼にぶつけないでどうする」
カクトスは、狭い部屋の戸を開けて、誰も立ち聞きしていないのを確かめ、
「先にシュドルス様に上陸していただき、皇帝陛下に不満を持つ者を集めていただきましょう」
明らかに肌の色の濃いカクトスは外国人と見られて信用を得にくい。
「寝所に籠もり、姿を見せることのない皇帝は、支持を失っているはず」
「うむ、父帝は事あるごとに民草の中に入り、施しものをしていた」
アンドラスは、懐かしむように目を閉じ、柔和な表情になった。
「アンドラス様が思いの丈を皇帝陛下に投げつけても礫の数は一つ。不満を持つ者が集まれば、その数は十倍、百倍と増えましょう」
「確かに」
「お言葉を演説用に書き直します」
「私もともに書く」
「自分も協力を」
揺れる船内。
三人は頭を集めて文を練った。
「皇帝陛下、アンドラス殿下が港に入られました」
取り次ぎの宦官の声に皇帝は癇癪を起こした。
「誰が許した! 死ねと言ったのだぞ」
自分に死ねと言われれば死ぬはずだ……皇帝は謎の全能感に満ちていた。
「帝国に敗北をもたらした愚か者、恥を知れ!」
「それが……そもそも、この遠征が無謀だったのだと主張しているらしく」
「何だと……」
「敵はマッサリア一国ではなく、多数の属国同盟国、五万で足りる相手ではなかったと」
皇帝は癇癪を起こそうとして止めた。
「小賢しい真似を。戦象部隊まで動員して敵わなかったのか」
「詳細は自分が説明すると殿下がおっしゃっているそうです」
「ぬけぬけと」
「恐れながら、早々に殿下をこちらにお呼びになられた方がよろしいかと。港では殿下のご主張に賛同する者がいるそうです」
今度こそ、皇帝は癇癪を起こした。
「あんな恥知らずに賛同する者がいるわけが無かろう!」
それは、ぬくぬくと絹の褥にくるまっている者と命をかけて戦ってきた者の差である。
皇帝の無謀な命令に従って善戦虚しく敗れた者……アンドラスの評価は、そう定まろうとしていた。
「急いであやつを呼び寄せよ。余が直々に自害を命じてくれよう」
「はっ」
宦官が御前を去る。
じきに、賑わう港で自らの善戦を訴えていたアンドラスのもとに、皇帝の金印の入った召喚状が届いた。
「……というわけだ。政務官ソストス殿。敵はすでに戦象を無力化する残忍な罠を仕掛けていたのだ。そのうえでこれだ」
大きな宿屋の一室で、アンドラスは皇帝の召喚状を見せた。
「世間知らずの自分を省みることなく、責任は下々の者に取らせる。こんな為政者で良いのか?」
「お話の中の敵王エウゲネスとの差が際立ちますな」
実際はマグヌスが演じていたのだが、マッサリア王エウゲネスの姿は、より美化されて伝えられた。
曰く、常に騎兵の先頭に立ち、兵と同じ食糧を口にして満足する。
曰く、水攻めにした相手も生き残りは救助、手当し、名の知れた死者は遺骨を送り返した。
曰く、敗北したアンドラスを辱めることなく、逆に友誼を結びこれ以上無駄な戦いは避けようとした。
「小国の王と侮るなかれ」
歴戦の強者シュドルスの言葉が重みを加える。
「失礼ながら、我が帝国の皇帝陛下は見劣りするな」
アンドラスが引き出したい言葉が、ポロリとこぼれる。
「皇帝陛下もご立派なのですが、あの病身では……」
まだだ。まだ「帝位を狙うならマッサリアは支援する」という密約を漏らしてはならない。
「命をかけて帝国に奉仕した私の身の安全を祈ってください」
アンドラスは頭を下げた。
「これから皇帝陛下に申開きに参ります」
「どうぞ、ご無事で……御身に何かあれば政務官ソストスが動くと皇帝陛下に申し添えてくださって構いませんぞ」
「ありがたく……心よりありがたく……」
演技ではなく、涙が流れた。
ソストスを見送り、
「シュドルス、会わせてくれて感謝する」
「この老体の身にできることなら何なりと」
アンドラスに同情的な声は徐々に増えていった。
カクトスも、商業施設で銅貨を投げ、人を集めてはアンドラス支持を呼びかけた。
「港周辺はこれくらいか」
「左様でございますな。人が行き来する地、効果は大きかったかと」
アンドラスは表情を引き締めた。
「では、行くぞ」
もちろん皇帝に会いにである。
「私が参ります。シュドルス様は港にてお休みください」
カクトスの配慮である。
皇帝に責められればシュドルスは、また責任は自分にあると言い出しかねない。
味方は残しておきたかった。
もう一人、海軍の代表プロイオスが同行することになった。
「港を制圧できなかった詫びを皇帝陛下に」
アンドラスはうなずいた。
「陸から支援できていれば良かったのだが」
「いえ、殿下の働きは十分」
カクトスが椅子から立った。
「馬の手配をして参ります」
「帝国の馬に期待はしていないが」
アルペドンの馬の良さに慣れた三人が含み笑いをした。
遅れて申し訳ありません。
次回第183話 誰が為に。
木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




