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第十二章 181.西風

潮風に茶色の髪がなびく。


 カモメがにぎやかに鳴き交わしながら帆柱の周りを回っていた。

 きつく張られたロープを握って、アンドラスは船縁から身を乗り出していた。


「殿下、危のうございます」


 左右の甲板の間から顔を出したカクトスが、這い上がりながら注意した。


「分かっている。子ども扱いするな」


 反論だが言葉づかいは優しい。


「あれを見てみろ」


 指差した先には、どこまでも青く澄んだ波と戯れるイルカの群れがいた。


「イルカは自由で良いな。見ていると心が慰められる」

「イルカは音楽を解するそうですな」

「聞いたことがある」

「拍子取りの笛を持ち出してきましょうか?」

「あれは軍を進めるために必要なものだ。馬鹿をいうな」


 アンドラスは少し笑った。


 三段櫂船の櫂は太鼓の拍子に合わせて規則正しく海面を打っていた。


 春の西風は幸いにも追い風で、帰途を急ぐアンドラスの意を受けて、櫂で進む船を助けていた。

 その数およそ二百隻。

 あの水攻めを生き残った兵百人ばかりが分散して乗り込んでいる。


 「お、引き返していきますぞ」

 

 警戒にあたっていたマッサリアの提督ゲナイオス率いる三段櫂船十隻が、向きを変えるところだった。

 帆を巻き上げ、片方の櫂だけが飛沫を上げる。

 一糸乱れぬ船列は練度の高さを物語っていた。


「真珠岩……海の国境だ」


 アンドラスが近くの白く輝く岩を指差した。

 丸く小さな石灰岩の岩礁で、所々に低木の緑が見える。

 周囲の海に島はなく、これだけがポツンと目立っていた。

 マッサリア海軍はこれを確認して警戒を解いたらしい。

 

「海の神が愛でる岩らしいですな」


 いつの間にかシュドルスが並んで立っていた。

 彼も、帆柱を支える太い綱で身体を支えている。


「いよいよ、我らの海です」

「……帰って、来てしまった……」

 

 順調な航海とはいえ大敗の後である。

 アンドラスは当初酷く落ち込んでいた。


「自分は総大将の器ではなかったのだ」


 と、自分を責め、


「四万もの兵を無駄死にさせてしまった」


 と、失策を悔いた。


 戦いに慣れたアンドラスの叔父、戦象部隊を指揮していたシュドルスが慰める。


「戦争に勝敗は付き物。教訓になさるほかございません」

「いや、あんな戦争はこりごりだ。皇帝陛下の気分次第で攻め込んで良いわけがあるか。次に戦うなら、自分の意志で戦い、賛同する兵にともに剣をとってもらう」


 アンドラスは、マグヌスにやらされた死者の判別作業が精神的に(こた)えていた。実際、思い出しては吐いていた。


 無造作に積まれた死体の山。

 それを埋める深く暗い穴。

 三日月湖(ミソフェンガロ)湖岸の数ヶ所にそれは設けられた。


 そして、身元の分かった者を火葬にする薪の台の煙。


「船酔いはつらいな」


 そうごまかしてはいたが。


「アンドラス様、敗戦の責任はすべて私が負います」


 シュドルスは、当初そう言い張っていた。

 かわいがっていた象たちも、部下も、すべて失い、自分にできるのは若いアンドラスの盾になってやることだけ。


「シュドルス殿、僭越ながらそのお考えは短慮に過ぎます」

「大敗を喫したアンドラス殿下を、皇帝はほっとかんぞ」

「どうでしょう。自分は安楽な寝床から、殿下を死地へ向かわせた卑怯者……」

「言葉が過ぎるぞ、カクトス」

「敗れたとは言え殿下の誇りを守ってくれたエウゲネス王と比べれば器の違いは歴然」


 マグヌスから思わぬ厚遇を受け、後援の申し出まであった。

 アンドラスたちの失意は、徐々にこの戦を強いた皇帝へ怒りとして向かった。


「そもそもあの水攻めが無くても勝てたかどうか」


 最強を誇った戦象部隊を破られたシュドルスの弁である。


「マッサリアの馬術の巧みなことよ。馬も良い。帝国(わがくに)にもあれほどの騎馬隊は無い」

「アンドラス殿下が帝位に就けば献上しようとエウゲネスは言っておりましたな」


 一見華奢だが、乗り手の意図を汲み、鋭敏に反応して恐れを知らず動く馬。

 速度も文句なく、持久性にも優れる。

 アンドラスは自身で乗ってその素晴らしさを知った。


「連れて帰ってやりたかったな」


 それはシュドルスも同じだった。

 自身がかつて乗っていた体格ばかり大きく鈍重な馬にはもう戻れない。


 優しい西風に送られ、目に珍しい海の風景に心を癒やされ、アンドラスは徐々に立ち直った。


 幸いに忠臣二人は生き残っている。

 東帝国に残ったアンドラス派と合わせれば、まだそこそこの勢力は保てるだろう。


「ダイダロス将軍が皇帝にどう報告するかな」


 陸路を取って帰国する将軍に思いを馳せる。

 海路より早いということはあるまい。


「ダイダロスも部下を失っております。殿下を責める力は無いでしょう」

「うむ」


 アンドラスは中途半端にうなずいた。


「ところで、お前が心配していたマグヌスは現れなかったな」

「策だけ上げて従軍しなかったやも知れず……」


 マグヌスがエウゲネス王を装っていたことを、まだ彼らは知らない。

 カクトスは「毒にあたって」と言われたのを気にしていた。

 あれだけ人当たりのよいマグヌスである。

 毒を盛られるほどの恨みをいつ買ったのか。

 気にはかかるが知るすべは無い。


「……(あぶみ)。敵はマグヌスが研究していた鐙を使っておりました」


 その威力はルークとの対戦を通して、自分で知ることになった。


「我々もそれを取り入れるべきか?」

「いえ。反発が大きいでしょう」


 マッサリア軍も皆が使っていたわけではない。


「……皇帝陛下に報告する言葉を考える。カクトス、シュドルス、来てくれ」


 アンドラスは特別に設えられた船尾の狭い空間に二人を呼んだ。




お久しぶりです。

最新話お届けいたしました。

第12章、第三皇子アンドラスの帰国から物語は始まります。


次回、第182話 命がけの報告


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!

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