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第一章 18.クリュボスという男

 マッサリアでは、軍に入るにあたって、簡単な身元調査が行われ記録に残される。マグヌスは、その軍の登録簿をめくりに一人で記録庫へ足を運んだ。


 後回しにしていたのは、登録簿はすでにテトスの配下が調査済みだからだ。


 イッススの息子クリュボス、25歳。

 ゲランス生まれ、南国ナイロ育ち。剣の師はアーナム。二十歳の時から母とともにマッサリアの小ゲランス住まい。

 忠誠の誓いは滞りなく済んでいる。


「ナイロか。懐かしいな」


 マッサリアを追放されていた間、マグヌスが住んだ地でもある。

 何本もの大河に囲まれ、ナツメヤシの茂る国。

 諸国から追われた叡智英傑を受け入れる地でもあった。


「マグヌスよ、よく学べ」

 

 ナイロの地でマグヌスは文武の道を修めた。剣の師がアーナムならば、知識の師はクリュサオルだった。

 彼はナイロの大図書館の館長を務め、亡命してくるあらゆる有能な人材を受け入れていた。その高名は国境を超えて、慕うものは数しれず。

 マグヌスは彼を父のように慕い、同じく彼を師とする学友たちと少年らしい知恵比べをして、子供時代を過ごした。


「いや……」


 感傷に浸っている時ではないと、彼は現実に戻った。


「……母がいるのか。訪ねてみよう」


 わずかな手がかりを求めて、彼は、再び小ゲランスへ足を運んだ。


 バノンズと訪れたにぎやかな場所とは違い、同じ小ゲランスでもクリュボスの母の住まいは、裏通りのさびれた一角にあった。


 疲れ切り、何もかもあきらめた風な老婆が一人、マグヌスを出迎えた。


「あの子は、侵攻にはかかわっておりませぬ。ゲランスを統べる神に誓って……」

「いや、母上、私が訪れたのはそのことではない……」

「居所なら知りませぬ……」

「では、これは、彼の物ですか?」


 マグヌスは、銀の粒の入った革袋を見せた。


「おう、おおう……」


 彼女は声にならぬ声を出して、革袋をマグヌスの手からひったくった。


「間違いない、息子の物です……中は銀の粒……」

「その通りです」


 老婆は泣き崩れた。


「わしらは、これに(たた)られておる……。銀など、銀など出ねば良いのだ……」

「詳しく話を聞かせていただけますか?」

 

 老婆はひとしきり泣いた後、目をこすりながら、ポツリ、ポツリとしゃべり始めた。


「わしらは、もともとゲランスのマッサリア国境近くに住んでおった……。近くの山から銀が出ての、男衆は、銀の出る石を山から切り出して銀を取り、王に納めておった……」


 老婆はあたりを見まわして、声をひそめた。


「先の王が、銀をもっと欲しがり、わしらに求めた。わしらは、先祖伝来の掟で決まっている以上は採れぬ……。立腹した王は、わしらの村を襲い、わしらは逃げた。逃げて、逃げて、気が付けば、わしと息子は南国まで来ておった……」

「そこで息子さん……クリュボスは剣を学んだのですね?」

「いいや、あいつは、学んでなどおらん」


 老婆は溜息をついた。


「学べば学べるものを、真似しただけじゃった」

「そんなに言っては、息子さんがかわいそうですよ」

「息子は、今、どうしておるんじゃ?」

「それを私は調べているのです」

「逃げおったわ。わしも逃げたが、あれは、一人で逃げおったわ」

「息子さんから何か知らせが来たら、私に知らせていただけますか?」

 

 立ち上がろうとするマグヌスに、老婆はすがりついた。


「そちらでも何かわかったら、わしに知らせてくれるかの?」

「もちろんです。五将の一人、マグヌスと言えば、兵なら、だれでも私に取り次いでくれます」


 老婆は眼をむいた。


将軍(ストラテゴス)が直々に……あの子はそんな大それたことをしたんですかの?」

「先走った心配は身体に毒です。今、調べているところですから」


 立って見送る元気もない老婆を置いて、マグヌスは傾きかけた小屋から出た。

 向かいの小屋から様子をうかがっている女を目にとめ、


「あちらの年寄の面倒をそれとなく見てやってはくれないか?」


 そう言って、銅貨を数枚渡した。

 女はうなずいて、銅貨を受け取った。


「家族か……」

 

 マグヌスは、先の戦いで亡くなった騎兵隊長カイの妻マーナを思い出した。

 彼自身で戦死を知らせ、給金の小袋を手渡した。

 栗色の髪を短く切り、豊かな胸がなければ男と見まがうたくましい女性だった。


「勝利は彼のおかげです」

「死んだ……のですね」

「残念です」


 マーナは子供らを呼び寄せた。


「お父さんは、もう、帰ってこないよ」


 子供らは、理解できずに突っ立っていた。


「お父さんがこの金に変わったと……」


 渡した金は、この一家が一生食べていくのに十分な額だった。


「マグヌス将軍、あなたはこの地に言い伝えられている死神そのものです。長い黒髪、灰色の衣」


 キッとマグヌスをにらみ、


「お帰りください。私たちがカイのことを静かに嘆くことができるように」


 彼は深く礼をして振り返らずに帰った。

 不幸を知らせる自分の役割をそれと納得しつつも、やはり辛いものがあった。


「戦いのない世界か……」


 若いころ、南国で学友と語り合った理想郷。

 追放を解かれて故郷のマッサリアに帰ってからは、血塗られた戦いばかりだ。


 異母兄であるマッサリア王は、帝国再統一の戦いのために気心のしれたマグヌスを南国から呼び戻した。マグヌスはそれを承知で帰国した。

 戦いは避けられぬ。


 マグヌスは父王も、側室だったという実母も知らない。

 現在の王エウゲネスと共に、今は亡き先の王妃に育てられた。


(自分が死んだらメイの公女ルルディは悲しんでくれるだろうか?)

  

 死んでもあれほどまでに悲しんでくれる者はいないかもしれないと思うと、彼はなんともやるせない気持ちになった。



いろいろ修正を加えてみました。

お気に召したら、ポイントを入れていただけると嬉しいです。

よろしくお願い申し上げます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] カイ隊長にも家族がいて、クリュボスさんにも家族がいて……そういった家族のこともマグヌスさんが気にかけている。本当に素敵な人だなと思いました。
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