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第十一章 172.群狼

【突発更新まつりフィナーレ!】

 時間は少し遡る。


 辛くもマグヌスの手を逃れたインリウムの僭主シデロスは、同様に逃げ延びてきた十人ほどの部下とともに陸路インリウムにたどり着いた。


「母国は良いものよ。もう二度と遠征などしない」

「シデロス様、それが賢明なご判断かと」

「アンドラスめ、あいつと一緒に北に向かっていれば楽勝だったかも知れん」


 知らぬということは恐ろしいもので、彼はその四万の兵を見舞った水攻めを知らない。


「なに、海軍は無事だ。市民たちも許してくれようよ」


 追手も無し、気候も良しで、彼らは野宿しながら帰国の道をたどった。


 国境の峠を超えた頃だろうか、空気が変わったように感じた。 

 それまで彼は敗戦を楽観視していたが、帰国を歓迎するものは誰一人現れず、食糧を乞うても冷たくあしらわれた。


「これは……まずいかもしれんぞ」


 シデロスは馬の脚を早めた。


 彼の胸騒ぎは現実のものとなった。

 首都の門に近付くと、シデロスは驚きのあまり大声を上げた。


「フレイア! これは何としたこと!!」


 閉ざされた城門の右扉には妻フレイアが、左扉には愛する子どもたちが磔にされていた。


 あたりには鼻をつく腐臭が漂っている。


 呆然と立ち尽くすシデロス。


 城門の上から声がかかった。


「シデロス、遅かったな」

「これは……どういうことだ」

「お前の罪だ!」


 ゆっくりと城門が開いた。

 死者がゆらゆらと揺れる。


「入れ」


 まだ自分の見たものが信じられないシデロスは、頭の中が真っ白なまま、家族たちの死体の間を通って入城した。


「シデロスよ、我が夫はどこにいる」

「我が息子はどこにいる」

「我が父は」


 日頃、物の数とも思っていなかった女子どもが髪を振り乱し、頬や胸を掻きむしって狂乱していた。


 彼を出迎えた市民が突き放すように言った。


「エウゲネスの使者が告げたのだ。彼らはもう生きていないと。まだ生あるものも鉱山に送られ遠からず死ぬと」

「シデロスよ、お前はなぜ生きている!」


 まだ暑くもないのにシデロスの顔から汗が滴り落ちた。

 唸るような怒りの声が、悲しみの声が、インリウムを満たしている。

 

 シデロスより先に敗戦の詳報を伝えたマグヌスは、どんな戦闘よりもあっけなくシデロスを僭主の座から追い落とした。


 もとから法にも慣習にも依らない「僭主」という立場を熟知していればこそである。

 僭主は民衆の熱狂により頂点に君臨するが、それを失えば瞬時に転落する。


 妻子は巻き添えを食ったが、民衆の期待に応えられなかった僭主の行く末など、このようなもの。


 シデロスは、それでもなんとか市民たちをなだめようとして馬から降りた。


「待ってくれ、たしかに騎兵や重装歩兵は失ったが、船はまだ健在だ。間もなく帰ってくる」

「嘘だ!!」


 激しく罵り返された。


「船員たちは皆、ゲランス鉱山に送られた……裏切り者は死ぬまで働かせると言われてな!」


 年長者が杖を持つ手を上げた。


「戦いは時の運、思い通りに行かぬこともある。だが」


 そこで彼の杖は激しく地を打った。


「なぜ裏切り者と呼ばれねばならぬ!?」

「……しかも盟友のマッサリア王から……」


 シデロスは、一言も返せず、真っ青な顔で立ちすくんだ。


「恥知らず!」

「お前がマッサリアを裏切り、我らが同胞を辱めたのだ!!」

「責めを負う覚悟はあるのか、シデロスよ」


 彼は目を上げて城門の内側の広場を見渡した。


 敵意に満ちた顔が並ぶ。

 女たちの悲鳴が遠くで尾を低く。


 彼は計算した。

 この場を逃れる術は無い。


「責めは負う」

 

 うめくように声をしぼり出すと、シデロスは剣を抜いて逆に持ち、剣先を腹に当てて地面に身を投げた。


 血の花が咲いた。


 詰め寄っていた群衆が身を引いた。


「……殺してくれ」


 うつ伏せになったシデロスが懇願した。

 剣先は背中から突き出している。


「お前たちも、なぜ生きている?」


 年寄りの指が、シデロスの部下を指差した。


「助けてくれ! 俺たちは何も知らずに……」


 弁明の言葉は途切れた。

 何本もの槍が、彼らを貫いていた。


 重い音がしてちょうどシデロスの眼の前に倒れる。


「お……お前たち……」 


 シデロスの血塗れの唇が死者たちを呼んだ。


「……痛い、痛い……頼むから一思いに……」


 誰も、シデロスにとどめを刺さなかった。

 彼は自分の剣に貫かれたまま、のたうつ芋虫のように広場の石畳の上を這った。


「……殺してくれ」


 最後の願いは無視された。

 代わりに雑言が浴びせられた。

 ツバが吐きかけられた。


「この者は死ぬにまかせよう」


 年寄りが再び杖を掲げた。


此奴(こやつ)にたぶらかされて、(わし)らは悪い夢を見ておったのじゃ」

(いにしえ)の法に(のっと)った指導者を選ぶべきだ」

「俺たちは俺たち自身で俺たちを治めよう」


(俺はそんなに悪い支配者だったのか?)


 薄れゆく意識の中でシデロスは自省した。


(いや、あの裏切りは別として、俺はインリウムの繁栄をもたらしたはずだ)


 一度の失敗で切り捨てられていく。


(同胞よ、このシデロスを見捨てるのか?)


 冷酷な、あまりに冷酷な、という心の中の繰り言が、彼の最後の言葉となった。


 彼の遺体もまた、城門にさらされた。

 

 一家の遺体が腐り果てて地面に落ちると、葬られもせずに藪の中へ投げ入れられた。




 一時の栄華を誇ったインリウムの僭主シデロスは自死して果てた。

 マッサリアへ向かった使者は、インリウムが旧来の議会による自治を取り戻したことと、マッサリアとの同盟関係を違えぬことを告げた。


 まだエウゲネスに扮していたマグヌスは、エウゲネス王としてその誓いを受け入れ、これ以上インリウムを攻めることはしないと約束した。


 エウゲネス王なら間違いなくインリウムを攻めていただろう。

 だが、その方針の違いに気付くはずのメラニコスら側近は、エウゲネス王を探してエウレクチュスの野を彷徨っていた。


 この奇跡的な巡り合わせにマグヌスは安堵した。



あわてものです。

1つ投稿を忘れていました。

前後の流れに関係ないお話だったので、ぎりセーフ?

申し訳ありません。

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