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第十一章 170.ルルディ

【突発更新まつりフィナーレ!】

 マグヌスを称賛する万雷のような歓呼の声の中で、彼女だけは心から喜べないでいた。


「エウゲネス様のことは忘れられてしまったようだわ」


 彼女のお腹は膨らんでいた。

 三人目の子どもを妊娠している。

 攻城戦の苛烈さのせいで、悪阻(つわり)にも気付かず、お腹が大きくなって初めて我が身の一大事に気付いたのだ。


「新しい子が産まれるのに、お父様は行方知れず」


 マグヌスが王になるのかどうか、世間はそればかり。


「いいえ、エウゲネス様は生きている」


 彼女は寝台に今も刺さったままのマグヌスの黄金の短剣を見つめた。


「王が生きているという確信が無ければ、マグヌスは私を奪ったはず」


 彼女は侍女もテオドロスも遠ざけて、一人で北の塔に登った。


「エウゲネス様……」


 彼が行方を絶った東の方角を眺める。

 どうしても無惨な禿山になった果樹園が目に入る。

 そこでは農民たちが枯れた根を掘り上げて代わりに苗木を植えていた。

 真夏の日照りが来る前に根付かせてしまおうというのだろう。


 枯れて用無しになった切り株が、人の口の端にも登らなくなったエウゲネスと重なって見え、ルルディは嗚咽した。


 マグヌスが王位に就けば、誰を妻に選ぶだろう?

 自分ではあるまい。

 あのテラサという侍女か。

 やるせない。


 とりとめのない思考は、聞き慣れた声で破られた。


「おやおや、またここですか、王妃様」

「マグヌス!」 


 彼女は慌てて目をこすった。

 化粧が台無しだ。


「そのまま。今日はお話だけ」


 少しホッとする。


「エウゲネス王の大規模な捜索隊をエウレクチュスに出します」

「王は生きていらっしゃるの?」

「そう信じています。亡くなられたという確証が出るまでは」

「そう……」


 心の中を冷たい風が吹くような気がする。

 この捜索が空振りに終われば、夫は死人となる。


「国の指導者の不在を、評議会が心配しています」

「あなたを王にって声が大きいのは知ってるわ」

「そうですね」


 マグヌスらしい、他人事のような返事。

 それに対して、ルルディは自分でも思っていなかった言葉を口走って、自分で驚いた。


「マグヌス、私の息子たちから王座を奪わないで!」

「王妃様……私にそんなつもりはありません」


 ルルディの言葉は続いた。


「マルガリタは亡くなったけれど、あなたにはキュロスという息子がいるわ。息子が可愛くないはずないじゃないの!」


 マグヌスは深い息を吐いた。

 確かにキュロスを自分の子とするとマルガリタに誓ったが、マッサリアの王位は血脈だけでは決まらない。

 王の器にあらずと評議会が判断すれば新たに諸王の一族から広く選ばれる。


 だが、夫の不在に動転しているルルディに説明しても冷静に聞いてもらえるか?


「私に忠誠を誓うと言ったわね」

「言いました」

「あの誓いは今も生きているの? それともあなたも人の身の常、言葉は誓ったが心は誓っていないと言うつもり?」


 取り乱しているとはいえ、ルルディの言葉は耳に痛かった。


「王妃様、私が王位を辞退すれば、野心はないと信じてくださいますか?」

「辞退なんてできる訳がないじゃない。評議会が指名するのよ!」

「落ち着いてください」

「……マグヌス、助けて。私はどうしたら良いの?」

「王のご無事を信じてください」


 ルルディは絶叫した。


「それだけ!!」


 叫びはマグヌスの沈黙の前に無力だった。

 やがて彼は、穏やかな声で話し始めた。


「ご安心ください。私は王位には就きません」

「本当に?」

「我が母ラウラにかけて誓います」


 ルルディは塔の階段を駆け下りた。


「マグヌス、ごめんなさい、私……」


 胸に飛び込んでくる小鳥のような存在を、マグヌスは優しく抱きとめた。


「王妃様、あなたはこのマッサリアの太陽です。苦しい包囲戦の中で、あなたが果たされた務めを皆が知っています」


 何が言いたいのかと首を傾げる。


「それに敬意を表して、あなたと息子たちがここに住まう権利を、評議会が保証しました」


 おそらくマグヌスの働きかけが無かったら成立していないだろう。


「……ありがとう。子どもが産まれるから助かるわ」

「またにぎやかになりますね」

「今度はおとなしい女の子がいいわ」


 ルルディはやっと落ち着いたようだ。


「私も早くアルペドンに帰りたいのです」

「本当?」

「ええ、母親を亡くしたキュロスが待っていますから」

「子どもは可愛いものね」

「……そうですね」


 マグヌスは空を見上げた。

 随分日が長くなっている。

 戦乱の被害を受けなかった土地からの収穫はどれほどあるだろう。


 王都の市民たちが勝利に酔っている間も彼は冷静だった。


 また、南の大陸からの輸入穀物に頼るか。

 そうなれば、ゲナイオスの海軍の損害が少なかったことが幸いする。


 マグヌスが考え込んでしまったのに気付いて、ルルディはそっと身を引いた。


「ごめんなさい、取り乱して」

「お立場を考えれば無理ないこと、明日あたり戦女神の神官に王のご無事を祈らせてみては?」

「ええ、ええ、そうするわ」


 ここまで情報が無いのだ。

 生存の可能性は薄い。


 だが、マグヌスはあの義兄が戦死したとは考えられなかった。


「知恵のあるテトスが付いていますし、エウレクチュスは彼の故郷。戦象部隊に襲われた時のことを多少なりとも知っているメラニコスとドラゴニアが捜索の指揮を取ります」

「テトス将軍も、よね。奥方のメリッサはどうしているかしら」


 マグヌスは頭を振った。


「家に閉じこもったきり、会ってくれないのですよ」

「まあ……」


 あの気丈なメリッサがとルルディは不憫に思う。


「私から何か差し入れておきますわ」

「あなたからなら、受け取ってくれるかも知れません」


 マグヌスは一礼して北の館から去った。

 何人の家族が死者のために泣いているだろう。


「その怨嗟を一人で受けるのかえ?」


 先の王妃の怨霊である黄色いオオカミの声を聞いたような気がしたが、あたりには誰も居なかった。



いよいよあとわずか!!

応援よろしくお願いいたします。


第171話 空の王座


明日朝8時にお会いしましょう!!

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