第一章 17.消えた部下
マグヌスは、テトスの部下の一兵卒、クリュボスの行方を追っていた。
彼は五日前から点呼に現れていない。
その生まれは、先日攻め寄せようとしたゲランスである。身元を怪しまれても仕方がないところなのだが、逆にマッサリア王の信任を受け、直々の密命を帯びて動いていたという。命令の中身は、テトスにさえ教えられていない。
マグヌスに探索を頼むにあたって、テトスはこう言った。
「今回のゲランスの侵攻とこれとは別物だと俺は思う」
「理由は?」
「もし国際問題にかかわることなら、エウゲネス様は事前にクリュボスの任務を俺に相談しているはずだ」
「なるほど。王の信任厚いあなたならではのお考えですね。しかし、なぜ、私があなたの部下の探索をするのです? 他の部下にいくらでも優秀な人材はいるでしょう?」
よくぞ聞いてくれたと、テトスは意味ありげに笑った。
「聞いて驚くなよ。クリュボスの剣の師はアーナム、南の国でのお前とは兄弟弟子だ」
マグヌスはしばらく口がきけなかった。
「アーナム師とおっしゃいましたか? では、彼は偽物です」
「なぜそんなことがわかる?」
「師は、基本的に自分が師であると語ることを弟子に禁じています」
「お前は例外か?」
「そうなりますね。マッサリアに帰還するにあたって、どこでどうしていたか詳細に明らかにする必要がありましたので」
マグヌスは曲がりなりにも王の異母弟、クリュボスなどの一剣士とは背負うものの重みが違う。
「わかりました。偽物の兄弟弟子……それだけでも私が探索する意義があります。最後に彼が行動を共にしたのは誰かくらいわかっていますよね?」
「バノンズという男だ。あまりいい噂は聞かぬ」
「はい」
マグヌスは最初に兵舎にバノンズを訪ねた。
「すまないが、一緒にクリュボスの足跡を追ってくれ」
「あいつが行くなら王都の小ゲランスだ。いいところですぜ。行くなら一回くらい遊ばせてくださいよ、将軍」
「遊ぶだけの金は弾むから、自分で遊べ」
やったね、と言わんばかりにこぶしを握る。
聞いた通りの遊び人らしい。
小ゲランスはマッサリア城下一の繁華街、流れ着いたゲランス人たちが古くから住み着き、ゲランスで人気のヘビ模様を戸口に飾った店がひしめいている。ここは路地一つ入れば売春宿が軒を連ねる場所でもある。
今回の侵攻を受けて、厳重に警備しているが、それはそれ、人の欲望は抑えられぬもので、賑わいは衰えていない。
「ここのペダルタという店に奴は入った。俺は別の店に……」
扉が開いているが、けばけばしい色の飾り布がかかっていて、中は見えない。
マグヌスとバノンズが中をうかがっていると、
「お兄さんたち遊んでいきなよ。真昼間だけどかまわないよ」
と、少女が中から声をかけてきた。
年のころは十四、五歳、黒髪に珍しい緑の目をした、なかなかの美形。
膨らみ切らぬ乳房が見えそうな薄衣をまとい、目のやり場に困る。
「いや、ただ、人を探しているんだ。悪いね」
マグヌスが平然と言って、銅貨を渡した。
「クリュボスという兵士が遊びに来なかったかい?」
「クリュボス? お兄さん、ここでは誰も本当の名前なんか使わないんだよ」
しなを作ってくすくす笑う。
「そっちのお兄さんは、遊ばない?」
バノンズが明らかにどぎまぎした様子で、答えに窮する。
「あ、あなたの名は何と呼べばいい?」
「んー、ペトラよ」
「……ペトラか、いい名だ」
鼻息を荒くしているバノンズにかまわず、無粋にマグヌスは質問を続ける。
「最近、なにか変わったことはありませんでしたか?」
「そうねえ、六日前に大喧嘩があったわよ」
ペトラはくるりと回って見せ、
「『ここはマッサリアだー、ゲランス風の店なんてもってのほかだー』って騒いでねえ」
くるりと、反対側に回って見せ、
「火をかけようとした馬鹿までいてね、警備のマッサリア兵が取り押さえてくれたわ。あんたたちにもいいとこあるじゃん」
くみしやすしとみて、ペトラはバノンズのほうに口づけを投げた。
(次はここで遊ぼう)
まんまとペトラの言葉に乗ったバノンスの心の中を見透かしたように、マグヌスがバノンズのサンダル履きの足を踏んだ。
「痛っつってっつって!」
バノンスの大声に気付いたのか、奥から店主らしい恰幅のいい男が現れた。
「ペトラ、表に出るんじゃない。余計なことも言うんじゃない」
「ごめんなさーい。お兄さんもね」
両方に形だけ謝り、ペトラは飾り布の奥に姿を消した。
「何の御用で?」
マグヌスがもう一度、クリュボスを探していることを告げた。
「さっき、聞かれたでしょう、六日前の喧嘩。そこで一人マッサリア人の客が袋叩きにされてるんです。その人じゃないですかね?」
「確かですか?」
「確かもどうも、止める間もなくその客は河に投げ込まれて、見つかってないんですから、わかりようがありません」
「持ち物は残っていませんか?」
「それをうちらに聞きますか? マッサリアの守備兵が洗いざらい持ち出しましたよ」
店主の言葉に怒りが混じっているのは、たぶん、持ち出された品に店の貴重品が混じっていたからだろう。
「すまなかったな」
マグヌスは言い、いくらか多めに銅貨を握らせた。
バノンズは、同僚の安否にさして興味は無いようだ。鼻を鳴らして、
「クリュボスの野郎、死んでいたか」
「まだわからない。持ち物を見せてもらいに守備隊に寄るぞ」
「俺もついていかなきゃあならんの?」
「もちろん」
守備隊の詰め所では、マグヌスが名乗るとすぐに、問題の所持品を見せてくれた。
質素な衣類、剣と短剣、財布らしい革袋……。
兵士の持ち物として矛盾は無い。
「あいつ、やっぱり死んだなのかな」
バノンスが腕組みをして言った。
心はもう先ほどの店に飛んでいるのだろう。
マグヌスは慎重に革袋の中を改めた。
「銀の粒だ」
「なんですか?」
「銀は、マッサリアでもミタールでもほとんど流通していない。なぜ、これを持っている?」
謎をかけるようにマグヌスは言い、守備隊にことわって袋を持ち帰ることにした。
「そんな粒なんか持ってたってこの辺の店じゃ受け取ってくれやしない。使うなら金貨か銅貨じゃないかな」
「その通り。これは、慎重に調べなければならなくなった」
マグヌスの手の中で、革袋はちゃらちゃらと鳴った。




