第十章 164.反抗の種
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「交渉中なのに夜襲をかけるか、卑怯者!」
バサリと幕屋の厚い布を切り裂いたルークが乗馬したまま幕屋に踏み込んだ。
「カクトス、逃げろ! そいつは熊殺しのルークだ!」
その二つ名をカクトスは知らない。
「殿下の前に騎乗して現れるとは無礼!」
「敗軍の将にいかな礼を求める!」
ルークは剣をかざした。
カクトスもスラリと剣を抜く。
「来い!」
「おう!」
いつの間にか、幕屋の周囲は槍を携えたアルペドンの歩兵に取り囲まれていた。
ルークが馬ごと体当たりして斬りかかる。
カクトスは夢中で馬の首にすがり、左肩に斬撃を受けた。
落馬は免れたが腕がしびれ、手綱を持つ手に力が入らない。
二度目の衝撃は兜で受けた。
目がくらむ。
夢中で右手の剣を振り回すとかすかな手応えがあった。
「やるな!」
右腕に浅い傷を負ったルークがうめいた。
三度馬を励まして剣を振り下ろす。
彼は、しっかりと鐙を踏んでいた。
ぶれることなく上体を保持してからの一撃は、膝で身体を支えるカクトスとは比べ物にならないほど強力だった。
「勝負あった!」
体重を乗せたルークの重い一撃を受け止めきれず、カクトスの剣は弾き飛ばされた。
このとき初めて、カクトスは鐙の存在に気付いた。
「マグヌス! どこにいる……鐙はお前の案だろう!」
彼は姿を終始見せない学友を呼んだ。
「マグヌスはいない。エウゲネス王がいるだけだ」
すべて知っているルークの宣告。
「戦象部隊を翻弄した騎兵の技、あれも鐙か?」
「だったらどうする?」
「象を殺さずとも、勝敗は付いていたろう?」
カクトスは剣を諦め、両手で手綱を握った。
「殿下、必ず参ります!」
後ろ髪を引かれる思いで主に背を向ける。
「はいやー!」
馬は一度棹立ちになって槍兵を威嚇してから駆け出した。
「逃がせ! アンドラスの言葉を伝えさせるのだ」
ルークの言葉が微かに届く。
「行ったか……」
マグヌスが暗闇から姿を見せた。
「エウゲネス、マグヌスはどこだ。先程の者は彼の学友、私に『マグヌスとは戦うな』と助言してくれたのだ」
アンドラスが緊張を解く。
「そんなことを……」
マグヌスは意外に思った。
常に張り合ってきた好敵手、カクトス。
マグヌスが南国ナイロのメランの元を去るときは「そんな小国へ帰るのか」と非難したはずだが。
「マグヌスは体調を崩して彼の幕屋から出られない。戦術のことなら、隊長ヨハネスに聞くが良かろう」
「マグヌスという男のことを知りたいのだ。セレウコスは散々な悪評だったぞ」
「その亡命者が祖国を裏切って東帝国軍の走狗に成り下がった件は、評議会に任せる」
アンドラスは口をつぐんだ。
鋭い感性が「マグヌスのことはエウゲネスの前では話題にしてはいけないらしい」と告げていたのだ。
それは当たっていた。
マグヌスは切り裂かれた布を持ち上げて外を覗いた。
歩兵たちは元の持ち場に帰っている。
「幕屋を移そう。ルークのせいで大穴が空いてしまった」
話題にされた男はひたすら薄笑いを浮かべている。
「俺が使っているのと交換したらいい。春風に吹かれて眠るのも風流だぜ」
彼は、マグヌスがカクトスとの斬り合いを避けた理由をわかっている。
二人が立ち会えば、カクトスは剣捌きの癖からマグヌスだと悟るだろう。
「ヨハネス隊長に聞きたいことがある」
シュドルスがしわがれた声を発した。
「鐙なるものは、マグヌス将軍の発案か?」
「それはヨハネスも知らんよ。そんなつまらないことを聞きに忙しい隊長を呼びつけるんじゃねぇ。マグヌスが追放されて南国にいた頃拾った知識だ」
代わりに答えるルーク。
「アルペドンの騎兵には広がってるよ」
「馬上での貴殿の剣の腕、まことに見事」
「鐙のおかげでって言いたいなら、馬から降りて立ち会ってもいいぜ、将軍さんよ」
アンドラスが一歩前に出た。
「私の残り少ない部下を奪わないでくれ」
「いい加減にしておけ。もう夜明けだ」
マグヌスの低い声に、皆が思わず幕屋の穴から空を見上げた。
星々は白んだ空に明かりを消し、間もなく太陽が登る東の山々がその対比でひときわ黒く見えた。
「皇帝の子よ、今日も兵たちと同じ朝餉だ」
「エウゲネスがそれを好むことは知っている。勝者にまさる贅を好む敗者はいない」
ふっとマグヌスは笑った。
この皇子、負けはしたがなかなか見どころがあるではないか。
先程も誓約を守って、カクトスの伸ばした手に触れようともしなかった。
(親兄弟を殺して成り上がった今の皇帝に殺させるのは忍びない)
「位高き者よ、お前がさらに上を目指すならば、私は協力しよう」
アンドラスは、仄暗い幕屋の闇に浮かぶマグヌスの顔をまじまじと凝視した。
わずかにためらったあと、
「断る。我が帝国のことに手を出すな」
「しかし、インリウムとは手を組みましたな」
「それは……」
「時間はある。将軍ともよく相談されよ。それにこちらも評議会の同意を得なければならない」
「考えておこう」
カクトスの乱入という事件はあったが、マグヌスはそれを不問にしてダイダロス将軍に王都の解放を迫った。
「殿下の御下命ならばやむを得ない」
ダイダロスは側近にそう言った。
「こちらに勝ち目があるなら、殿下には尊い犠牲になってもらうところだが……カクトスめ、臆病風に吹かれよって」
実際、数の上でも、練度でも勝ち目は無かった。
それにカクトスが鐙などという馬具の話を持ち出した。
「自分が一騎討ちで負けたというだけで」
ダイダロスは顎をなで、ひとしきり考えてから結論を出した。
「包囲を解け。全軍南の耕地に集合。殿下の次の命令を待て」
【突発更新まつり】実施中にて、明日も更新します。
第165話 解放
この章最終話となります。
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!




