第十章 162.エウゲネスの仮面
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「酷いとは?」
マグヌスは穏やかに問い返した。
「正々堂々と戦わず、水攻めにして我らを殺した! 象たちもだ。なぜあんなに苦しむ手段を取った⁉️」
沈黙。
「答えろエウゲネス!」
マグヌスは無表情にアンドラスの顔を見つめ返した。
「戦だからだ」
「戦なら何をしても良いのか!」
「では聞こう。お前の言う戦象部隊がマッサリア軍を踏みにじっているとき、お前は哀れみをかけたか? わずか五百名ほどの村民が村を守ろうとしたとき、無益な戦いだと諭したか? どうだ」
今度はアンドラスが沈黙した。
自分の裁量というよりも、将軍たちの勢いに負けてしまった。
自分はお飾りに過ぎなかったのだと後悔が胸を噛む。
「出陣の際に、この軍勢の何人が生き残れるかと考えたか?」
アンドラスはうなだれた。
「来い。お前でなくては出来ぬことがある」
マグヌスは、剣を手に立ち上がった。
アンドラスは丸腰である。
「五名、ついてこい」
そう言って幕屋の垂れ幕を跳ね上げた。
アンドラスが連れて行かれたのは、死体の仕分け場だった。
「こちらに高級そうな衣類を纏った者がいる。顔を見て身元を教えてくれ」
山と積まれた遺体から、一人ずつ運び出される。
死体はまだ新鮮で硬直しており、死の間際の苦悶を露わにしていた。
「将軍たちの身元が分かれば……」
意気込んで臨んだものの、じきに地べたにかがみ込んで嘔吐した。
次から次へと運ばれてくる死体が、どれも自分を責めているようだ──若いアンドラスには耐え難い苦痛だった。
「誰もかれも分からない。もう止めてくれ!」
アンドラスは弱々しく抗議した。
「探し出さなくても良いのか? その将軍とやらを」
「探し出してどうする。遺体を辱めるのか?」
マグヌスは酷薄な笑みを浮かべた。
「いや、火葬して送り返してやる。お前が見つけなければまとめて一つ穴に葬るか、野ざらしだ」
アンドラスは唇を噛んだ。
「メントール、キクロス、エレンコス、探し出してやる」
彼はツバを吐いて再び立ち上がった。
実際には百人ほどであったが、死者一人ひとりと向き合うのは辛い作業だった。
昨日まで、村で徒競走や力比べを楽しんでいた部下たち。
「私が油断したばかりに……」
「いや、油断ではない。ピュルテス河のはるか上流で堰を切ったのだ。気づかなくて当然」
隣では大きな穴が掘られている。
名もなき戦士たちが葬られる穴だ。
「メントール将軍!」
ついにアンドラスの声が上がった。
目を見開き、最後の一呼吸を求めて大きく口を開けた顔。
「良く戦ってくれた。お前の死にはなんの咎も無い。安心してグダル神にまみえよ」
アンドラスは、お目付け役の一人だったメントールの死に顔を撫でて整えてやった。
「彼は帝国に属する藩主国ムネスタレエのメントール将軍。エウゲネス、丁重に葬ってくれ」
ピシリと彼の背を痛みが襲った。
「何をする!」
「お前たちのせいで、俺たちの仲間がどれだけ死んだと思う!!」
ルフト侯領からはるばる付き従って来た兵士だ。
兜の装飾が、アルペドンのものとは異なる。
「エウゲネス!」
「敬称を付けんか!」
兵士はまた剣を鞘ごと振り上げた。
「良い、止めておけ」
マグヌスが制した。
「生まれながらに尊ばれ、誰にも膝を折ったことのない皇子よ、戦いに負けるとはこういうことだ」
眼の前の有能だった将軍の遺体、背中の痛み、周りを取り巻く冷たい目線。
だが、アンドラスは笑い声を上げた。
「平民から選ばれた王よ、お前には我らのことは何も分からぬ」
怪訝な顔をしているマグヌスに、
「父帝は兄に殺された。姉上も殺されて魂は地下の国にも行けず赤い部屋を彷徨っている。嬰児も含めれば何人が殺されたことか、気が触れたことか」
堰を切ったように言葉は続く。
「折りたくない膝など何度でも折ったわ。あの皇帝の前で……自分は殺されるかマッサリアを攻めるかの二択から、お前たちを攻めるのを選んだのだ!」
そうか、そういう皇帝の命令かとマグヌスは一人納得した。
「アンドラス、敗北の責任を問われるな」
息を呑む音がした。
彼はまだそこまで考えていなかった。
同時に一つのことに思い当たった。
「私を……生かして返すつもりか!」
どうしておめおめ帰れよう。
「王都を攻めている軍を引き上げてもらいたい。軍船もだ。それならば帰還を許そう」
違う、名誉の問題だ……。
アンドラスが口を開く前によろよろと歩み出た者一人。
「シュドルス! 大丈夫か?」
「負け戦の不名誉、みな自分が負いましょう。アンドラス様は生きて……どうぞ生きて皇帝となってください」
シュドルスはボロボロと涙を落として泣いていた。
「手塩にかけた象たちを失って判断を誤り、部下たちも失い、自分こそ責めを負うべき……」
そこでシュドルスは激しく咳き込んだ。
「シュドルス、お前一人の責任ではない……」
アンドラスがその背をさする。
「二人になったならちょうど良い。早く作業を進めよ」
二人のやり取りなど聞こえなかったかのように、マグヌスは無慈悲に命じた。
二人は懸命に運ばれてくる死体の顔を見つめたが、数人の隊長を認めただけで、もう将軍たちは見つからなかった。
「あっちの山かも知れない」
「無駄だ。諦めろ」
「生きているかもしれないし、まだ水底に沈んだままかも……」
「いずれにせよ、諦めろ。これ以上敵に割く労力は無い」
「母殺しの王……噂通りの冷徹さよ」
シュドルスがアンドラスの代わりにうめいた。
マグヌスはピクリとも顔色を変えなかった。
「朝になったら王都に使者を出せ。アンドラスはこちらで捕らえた、包囲を解けとな」
相変わらず無表情のままで、
「海軍にも引き下がるよう連絡を取れ。誰か生き残った者を道案内に立てよ」
テキパキ命じると、
「二人は賓客とみなそう。帯刀も許す。大人しくマッサリアの王都に帰る日を待て」
心なしか微笑を含んだ顔でアンドラスたちに告げた。
【突発更新まつり】実施中にて明日も更新します。
第163話 主従
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




