第十章 161.皇子探し
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161 皇子探し
第三皇子アンドラスの捜索は困難を極めた。
三日月湖が巨大な上、溺死、半溺死状態の者は非戦闘員を加えて五万にのぼる。
もはや東帝国軍に反撃能力は無いとみて、アルペドン兵は大声で指示し合いながら死体の山を何ヶ所かに分けて積んだ。皇子かもしれないと疑われる豪華な着衣の死体は、これもまた別に積んだ。
「絹を着てやがる。こっちか」
「何人目だよ」
「念のため、そっちに入れとけ」
文字通り何の勲もなく斃れていった無念の形相。
突然の水攻めに驚愕の表情を浮かべたままの死体。
逃げ切れなかった馬の溺死体。
「エウゲネス様も恐ろしいことをなさるもんだ。四万の軍隊が一晩で全滅だ」
「ああ、マグヌス様ならこんな酷えことはしないだろうよ」
戦闘とは別の緊張感を帯びた声が行き交う。
アンドラスは生きていた。
我が物顔に岸を行き来するアルペドン兵から、水についた薮に身を隠して。
左腕にシュドルスを抱えている。
「死ぬな、シュドルス、もう少し待てば敵も諦めるだろう」
水を飲んだシュドルスは蒼白な顔で、
「アンドラス様、自分に構わずお逃げください」
「できるか!」
シュドルスを抱える腕はだんだん痺れてくる。
「生き残り! 生き残りはいないか?」
上等な馬に乗った軽装の騎兵が呼ばわった。
「名乗り出れば助けてやる。ピュルテス河の神威を恐れるものは出てこい!」
薮にすがる右腕も限界だった。
アンドラスは、騎兵に答えた。
「ここにいる!」
わらわらと歩兵が駆けてくる。
「私より先に、この者を……」
「おお、人一人抱えてあの濁流を泳ぎきったのか、剛の者よ」
賛辞に応える余裕はアンドラスには無かった。
まずシュドルスが引き上げられ、ついでアンドラスもやっと乾いた大地の上に立つことができた。
「お、しっかりしろ」
ふらつき倒れたアンドラスをアルペドン兵がいたわった。
「二人とも、宝石付きの夜着か。名乗る名があるなら名を名乗れ」
アンドラスはためらった。
皇子と知れてこんなところで雑兵に命を奪われてはたまらない。
「エウゲネス王の前で名乗ろう」
「いい度胸だ。承知した」
シュドルスは、水を拭われ、手早く乾いた衣装に着替えさせられていた。
「……どっちかが皇子かもしれない」
騎兵がささやいた。
「エウゲネス様に報告を」
本陣ではちょっとした混乱が起きていた。
「これで五人目だぞ……」
アンドラスの名を名乗った者の数である。
「高位の者なら害されないとでも思ったのか?」
ルークが呆れ顔でぼやく。
「王都はまだ包囲されてるんだ。王都を囲む敵の目の前で全員、磔にしてやりたい」
レステスとは顔見知りのヨハネスもそう声を荒げる。
「とにかく奴に報告しないと……」
報告を聞いたマグヌスは少し思案して従卒たちを呼んだ。
「風呂の用意はできるか?」
「これからお入りになるんですか?」
従卒たちは数少ないエウゲネスの本性を知る者たちで、マグヌスの入浴の面倒もみていた。
「いや、違う。アンドラスを名乗る捕虜たちを湯に入れて洗ってやれ」
「は…はい」
腑に落ちない様子の彼らに続けて、
「その中で一番堂々としていたのを連れて来い。それが皇子だ」
やっと心得て従卒は風呂の準備にかかる。
そこへ、
「エウゲネス様、アンドラスではありませんが、気になる者を捕えました」
「誰だ?」
「かつて王を追い落としたセレウコスです」
ヒクッとマグヌスのこめかみが動いた。
「会おう」
「はっ」
セレウコスは、惨めな濡れ鼠の姿でマグヌスの前に引き立てられて来た。
マグヌスは立って迎えた。
「セレウコス、久しぶりだな」
「……」
「余のものは溺れ死んだか……生き残ったお前に聞こう。平和を説いていた口でマッサリア征服を先導したのか」
言葉も出ない。
「亡命者が故郷に弓引くのはままあること」
「……王よ、王の慈悲にすがります」
「勘違いするな。ここでは殺さぬというだけだ。」
表情が再び凍りつく。
「そなたの処遇は王都の市民に任せよう」
「エウゲネス様、私が間違っておりました。どうかお慈悲を」
「どこをどう間違っていたのだ?」
あくまで冷酷なマグヌスの目。
東帝国軍の侵攻を手引したと知れれば評議会は彼を縊り殺すに違いない。
「アルペドンの案内はしておりません! マッサリア領内は無傷で抜けたはず……」
「ふざけたことを。エウレュクチュスの戦いで智将テトスを失ったことを無にできるとでも思うのか!」
「そこは案内しておりません!」
「黙れ!」
マグヌスは一喝すると衛兵を呼んだ。
「この者の監視を厳重に。その前に見張りを買収されぬよう身につけた貴重品はすべて取り上げろ」
「……エウゲネス様!」
取り乱し騒ぐのを三人がかりで押さえ付け、指輪、腕輪などをすべて取り上げる。
「服だけは乾いたのを与えてやれ」
春風に震えているセレウコスにわずかな慈悲が与えられた。
「さて、そろそろ終わったかな」
一転、生徒の答案を見る教師のような笑顔に戻って、マグヌスは「風呂の試練」の結果を尋ねた。
「一人、秘所を隠しもせず、のんびりと長湯に浸かった者がおります」
「それだ。良い衣装を着せてこちらに連れて来い」
東帝国軍のものほど豪華とは言えないが、それなりに贅を尽くした本陣の床几に座って、マグヌスは待ち受ける。
そこへ、茶色の髪の青年が案内されて来た。
エウゲネスの衣装の予備を着せられているが、一回り細い。
「名を名乗れ」
「前東帝国皇帝の第三皇子アンドラス。現在の皇帝の弟にあたる。お前はマッサリア王国のエウゲネスか」
「そうだ」
「頼みがある。風呂の準備があるなら私とともに……助けられたシュドルス将軍を入れてやってくれ。春の冷水は老体に堪える」
「良いだろう。部下思いの良き主だ」
周りはずらりと武装したマッサリアの兵士に囲まれている。
しかしその中でもアンドラスは叫ばずにはいられなかった。
「エウゲネス、なぜ、あんな酷い殺し方をした!!」
【突発更新まつり】実施中にて明日も更新します!
第162話 エウゲネスの仮面
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!




