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第十章 160.何の勲もなく

【突発更新まつり実施中】

 かつてピュルテス河の治水工事を行い、見事に広大な耕地を得たディオルコスが、王の命令と聞いて転ぶように駆けてきた。


「ご、ご、ご命令とは……」

「そなたは、かつてピュルテス河の流れを変え、ミソフェンガロの湖を干拓した事があるな」

「は……はい、ございます」

「これからその逆をやれ。急げ!」


 ディオルコスは目を見開いた。


「逆と言いますと?」

「ピュルテス河の水で、再びミソフェンガロを満たすのだ」


 口をもぐもぐさせたまま、ディオルコスは固まってしまった。


 土地の高低差、築いた堤防の強度、そして何より費やした労力。


「どうしても、やらなきゃ……」

「やれ!」

「……マグヌス様に聞いてみないと……」

「構わぬ。やれ!」


 マグヌスは剣を抜いた。


「五千の兵をつけてやる。今すぐ現場へ出立せよ」

「承知しました。わかりました。すぐ行きます」


 その言葉の割にノロノロと歩みを進めた。


「せっかく作ったものを……」


 ぼそぼそ愚痴る。


 暑い夏が思い出される。

 照りつける太陽、喉を潤すビール、とびきりのヒツジの肉……。


「五千人、総掛かりで掘って三日か……」


 愚痴をこぼしながらも淡々と計画を立てるところは一流の土木技師らしい。


 現地の地形を熟知したディオルコスに先導されて、鎧を脱いだ五千人の歩兵がミソフェンガロのはるか上流、元々の河の分岐点にたどりついた。 


「さあ、みんな、この谷筋を掘り返すんだ」

「どれほどだ⁉️」

「良く見ろ、土の色が変わっている。元の谷川の姿に戻すんだ」


 何だかよくわからないが、エウゲネス王直々の命令である。


 五千人が這うようにして、いったん埋めた急峻な谷筋を掘り返す。

 出た土砂は柳で編んだかごに入れて手渡しで遠くに空けられる。


 夜に日をついで作業は進められ、みるみる空の水路が出来上がった。

 幸いに月夜で、かろうじて足元は見える。

 支給されたパンとチーズは立ったまま食べた。


「さあ、残りはこの堤防だけだ」


 三日目の夜、ディオルコスは、堤防に最後の(くわ)を入れ始めた。

 

「みんな、危ねえぞ、ここから離れろ!」


 そう言いながら、彼自身堤防を掘り続ける。

 やがて、冷たい春の雪解け水の流れが、彼のくるぶしを濡らし始めた。


「マグヌス様! すべて無くなってしまいます。申し訳ありません!」


 叫んで、ひときわ大きく鍬を振るった。


 どっと水が(あふ)れた。


 ディオルコスは逃げようとしたが、水は、彼の膝をとらえ腰にまとわりつき、その勢いのまま彼を押し流した。


「助けてくれー!」


 彼の悲鳴に、他のものは後も見ずに走って逃げた。

 ()められていたピュルテス河の流れはそれほどまでに強かったのである。


 流れる水はそれ自身の力で徐々に残りの堤防を押し流し、ピュルテス河は本来の奔放さを取り戻して月光に白い飛沫を上げた。


 

 


 最初は小さな流れだった。

 幕屋を濡らされ、東帝国軍の兵士たちは濡れた尻と背中に文句を言いながら起き出してきた。


「なんだこの音は?」

「夜襲か⁉️」


 轟く水音は、蹄の音に似てそれよりもはるかに大きかった。


「水だ!」

「水攻めだ!!」

「逃げろ!!」


 彼らのうちに、ここがかつて巨大な湖の底だったことを知るものはいない。


 レステスたちに約束された土地として、数年がかりで見渡す限り豊かな小麦畑に姿を変えたことを知るものもいない。


 自分たちがどれほど巨大な水攻めの罠にはまったのかを悟った者もいない。


 少しでも高い所を求めて右へ左へ月明かりの中逃げ惑う。


 どこへ逃げても水だった。

 ただの水ではない。

 倒木や岩石を巻き込んだ危険な急流だ。


 膝まで浸ればもう走ることはできず。

 絶望の叫びを上げて水中に倒れ込む。


 磨き上げた剣も、ずっしりした盾も、なんの役にも立たず、ただ打ち捨てられるばかり。


 必死の伝令が、アンドラスに急を告げる。


「殿下、水攻めです!」


 そのアンドラスたちも、やや小高い村に拠点を置いていたとはいえ、元の満々たる湖に帰ろうとするピュルテス河の神威に打たれ、水中へと沈んで行った。


 武勲でならした将軍たちも、鎧を脱ぎ捨て木片に捕まり、運命の神に慈悲を乞うた。


 四つの軍団約四万の兵と、荷駄隊ら、そのおこぼれにあずかっていた無数の男女が水中に消えた。




 彼らの苦悶する姿を、マグヌスはかつての湖岸沿いに単騎立って見下ろしていた。

 いや、聞いていた。


 月夜とて夜。人の姿、馬の姿は見えず、魂切る悲鳴がいつまでも続いていた。


「なんの(いさおし)もなく……」


 彼はつぶやいた。


「ピュトン、レステス、仇は討った。安心してグダル神にまみえよ」


 あたりを走ってきたらしいルークが、恐ろしいものでも見るかのようにマグヌスを見た。


「こんなもの、果たし合いでも戦争でもない」

「では、なんと呼びます?」

「虐殺だ」


 非難がましい親友の声を、マグヌスは聞き流した。


「人はいつか死ぬものです」

「戦士にこんな死に方があるか」

「レステスたちを殺した時に彼らの運命は決まったのです」

「……」

「エウゲネスならばこんなことはしないでしょう」

「義兄の仇討ちのつもりか?」


 ふうっとマグヌスは深いため息をついた。


「いや。王もテトスもまだ死んだとは決まっていない」


 そこはマグヌスはかたくなだった。


 夜明けを待たず、悲鳴は途絶えた。

 溺死を免れた者もやっと岸に這い上がり、力無く倒れていた。


 翌朝、マグヌスは舟と馬を出して溺死者を集めるように命じた。


 首魁たる第三皇子アンドラスを、生死を問わず見つけ出し、勝利を宣言するためである。


 彼はエウゲネス以上に容赦なく敵の残存勢力を狩った。




【突発更新まつり】実施中にて明日も更新します。


第161話 皇子探し


夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!


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