序章 15.次なる予感
金貨は、公平に分配された。
騎兵隊には手厚く、歩兵たちには少なめに。
高利貸しに返してもまだ余る額だった。
「将軍、これを、カイ隊長の奥さんに……」
給金の一部を差し出す者もいた。
「それは、お前の働きの分だ。カイの分は別にしてある。遠慮はいらん」
「じゃあ、将軍も取ってください。鎧兜くらい良いのをあつらえてくださいよ」
マグヌスは苦笑いして断った。
「身軽なほうが性に合ってるのでな」
分配が済むと、マグヌスはもう一人、忘れられた男の救助に部下を走らせた。
「死なせるにはもったいない男……」
暗黒の内で、その男は死を覚悟していた。周りにある丸い手触りは、彼と同じ運命をたどった者たちの頭蓋骨だろう。
ほんの少し明かりが差し込むことがあり、それを一日と数えていたが、もうあきらめた。命綱は、一本の酒瓶だが、中身は尿に代わっていた。
ここはチタリス城の「忘却の小部屋」と呼ばれる石牢の中である。
城主の気分を害したものを放り込み、泣こうが喚こうがそれっきりにする……そんな小部屋である。
(アルペドンに味方した報いか……)
自分の選択である。
それを無様に泣き喚かないだけの度量を、彼は持っていた。
自分の呼吸の数を数えながら、最期までの時を計る。
体力を消費しなかったのが、あとから考えれば勝因であった。
天井の扉が開いたとき、彼はそれを幻覚だと思った。
「ルーク殿、出てきてください」
呼びかけられて、正気に返る。
「足が、立たぬのだ」
仕方がないと縄梯子で降りてきた兵士数人でやっと担ぎ上げられる。
「どうして、俺を助ける? もしかしてアルペドン側が勝ったのか?」
「いいえ。マッサリア側の勝利です。救助に来たのはマグヌス様の命令です」
「マグヌスだと……」
ルークは険しい顔をした。
果たし合いをした敵同士、情けをかけられる理由が思い当たらなかった。
「乗馬も無理ですな」
石牢の扉の上に座り込んで濡れた海綿から水をすすっているルーク。
「両将軍は間もなくメイを立たれる。なるべく早く送らねば間に合わない」
結局、荷車が用意された。
「俺は荷物じゃねえ!」
口は達者だが衰弱したルークは、藁を敷いた荷車に強引に乗せられた。
チタリスからメイまで、数日の行程だが、その間にルークは目覚ましく回復し、粥ではなくパンを食べられるまでになった。
チタリスから荷車で送られてきたルークと、マグヌスはメイ城の中庭で対面した。
「やはり戦いは済んだのか。アルペドン側の敗北と聞いたが、俺をどうするつもりだ」
「私には、あなたが、芯からアルペドンの味方をしたとは思えないのです」
マグヌスの口調は穏やかだ。
「わかったような口をきくな」
「私は、あなたに、マッサリア王のために働いてほしい」
「本気か?」
命懸けで剣を交えた相手に言う言葉か。
「簡単にはいかないでしょう。ですが私はあなたの剣の腕をかっています」
「今は足も腰も立たんぞ」
「あなたに肋を折られて、戦闘に参加できなかった私もいい勝負ですよ」
マグヌスが笑い飛ばした。
とはいえ、彼が騎兵隊の先頭に立っていれば、命を落としたのはカイではなくマグヌスの方だったかもしれないのだ。
「メイでゆっくり養生してください。答えは急ぎません」
マグヌスという男、ただ者ではない──その思いはルークの胸に深く刻まれた。
テトスとマグヌスの軍は、それぞれ、帰還のための隊列を組んだ。
相変わらずテトスの隊は一糸乱れず、マグヌスの隊は損耗の跡も甚だしく。
「改めて感謝申し上げる」
メイ城主の言葉に、軽く礼をして、一行は出発した。
マグヌスはテトスと馬を並べていた。チタリスの厩から拝借してきた、灰色の葦毛馬である。
「なあ、マグヌス、噂で聞いたんだが、お前と姫君が宝物蔵で二人きりになったというのは本当か?」
「本当です。ですが、二人きりというなら、姫君をお助けしてこれまでに、何度もありましたよ」
「……マグヌスなあ、お前、まさかとは思うが、姫君と何かあったのではないだろうな?」
マグヌスは大笑いした。
「テトス殿は、戦だけでなく、男女の仲についても策略家と見える。お考えのような下世話なことは、何一つ起こらなかったと天地の神々にかけて誓います」
「下世話だと! 俺はお前を心配しているのだ。五将の中には明らかにお前を敵視している者もいる。気付いていないわけはあるまい」
「私は王のために働いているのです。将軍仲間のためではありません」
「うむ……」
「それから、また、私の部下を頼みます。ちょっと寄りたい所がありまして」
「またか!」
「カイの故郷です。給金を届けてやろうと思います」
今度は反対させないぞという強いまなざしがテトスを黙らせた。
いつの間にか、例のロバも、荷物を積んで傍らにいる。
「なるべく早く帰ってきますよ!」
マグヌスは駆け去りながら、叫んだ。
青空のもと、黒髪をなびかせて去っていく。
彼の心には、決して言えない一言があった。
「ルルディ姫、私の心は、義兄の幼い婚約の日に、あなたの肖像画を見た時から、あなたに奪われているのです」
思いを振り切るように駆けていく。
溜息をつきながらマグヌスの軍も率いて帰途についたテトスのもとへは、マッサリアからの伝言が届いた。
「隣国ゲランス王国が蜂起、マッサリアに続く峠を超えたとの事」
「よし、急いで城に戻るぞ」
テトスは天を見上げた。
「マグヌスの奴め……」
青い空には、白い蝶が二つ、舞いながら高く高く吸い込まれていった。
この素晴らしい地図は、梶一誠様の作品です。
ご堪能くださいませ。




