第九章 147.偽装
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エウゲネスの武装を解いたマグヌスは自分の幕屋に戻った。
テラサが、豚の脇肉を炙ったものとパン、リンゴを準備していた。
炙り肉は温め直したのだろう、脂が滴っている。
「ありがとう、テラサ」
床几に座ってかぶりつきながら、マグヌスはテラサに頼んだ。
「この髪を切ってくれ」
「えっ」
驚きつつもテラサは思い出した。
初めて烙印を隠さず彼女の介助で入浴したとき、髪を拭いてもらいながら、マグヌスは随分上機嫌で言ったではないか。
『よほどのことが無い限りこの髪は切らないでおこう』
マグヌスの雰囲気も違う。
「マグヌス様、何か起きたのですね?」
「エウゲネス王が行方不明だ。テトスもいない」
「そんな!」
「この髪を、エウゲネス王そっくりに切ってくれ」
「身代わりを?」
「そんなところだ」
テラサは不安を拭えない。
エウゲネスの代わりになると言うことは、危険な最前線に立つことを意味する。
「マグヌス様、お気をつけて……」
「……早く切ってくれ」
豚の脂をパンで拭きそのまま丸めて食べながら、マグヌスは頼んだ。
テラサはエウゲネスに会ったことがある。
マッサリアの王宮で、マグヌスと別れるよう宣告された時だ。
一生懸命思い出しながら、
「分かりました」
「それから、私の不在をなんとか誤魔化してくれ」
「毒の具合が悪くなったとでも言います」
「それが良い。それとこれを」
肌身離さず持っている長刀を手渡された。
刀身の重みは信頼の重みである。
テラサは医療道具箱からハサミを取り出し、思い切りよくマグヌスの長い黒髪を断った。
パサリ。
パサリ。
悪戦苦闘して、細かい部分までなんとかエウゲネスに似せて切ると、首筋の毛を払った。
「よし……そうだ、ヨハネスを呼んでくれ。アルペドン軍は彼に任せなければならない」
火急の要件と聞いて、ヨハネスは飛んできた。
武装したまま、剣を握りしめている。
「ヨハネス、アルペドン軍すべての指揮権をお前に委ねる」
床に散らばった黒髪、別人のようなマグヌス、涙を隠そうと目をこすっているテラサ……ヨハネスにはすぐに事態が飲み込めなかった。
「……全軍の指揮、ですか?」
「そうだ」
「……それは、あのカイ隊長でさえおやりにならなかったことでは……」
「私の目に狂いがなければ、お前ならできる」
「マグヌス様は?」
「エウゲネス王とテトスが行方不明だ。私は王の影武者を演じる」
「では、先ほどのエウゲネス様は……」
「私だよ」
マグヌスは素っ気なく答える。
ヨハネスは目を丸くした。
「同盟軍とともに、帝国軍を迎撃してくれ。なに、本格的な戦闘は要らない。退却しながら翻弄してやればいいだけだ。」
「戦象が……」
「騎兵隊を左右に分けて正面からぶつかるな。象の足が止まったところで背中の象使いを狙え。それに、象を止める方法は教えてあるだろう」
それでも不安そうなヨハネスに、
「象にだけ気を取られて、全体を見失うな。お前ならできる」
「はっ。で、マグヌス様は……」
「マッサリア兵を率いて、王都に向かったインリウム軍を殲滅する」
この時、マグヌスの表情が普段にない冷酷なものになっていることに気付いてヨハネスは戦慄した。
(別人だ……)
戦場で見たエウゲネス王そっくりである。
「最善を尽くします」
言葉遣いが自然と変わる。
「任せたぞ」
マグヌスは短い仮眠を取り、日の出前に姿を消した。
ヨハネスは緊張のあまり眠ることはできなかったが、不思議な夢を見た。
彼は騎乗し、強力な敵騎兵と戦っていた。
「重装歩兵の隊列が崩れるまで……」
突然馬が跳ね上がり、彼の視界は上下逆転した。
「カイ隊長!」
聞き覚えのない叫びと落馬の恐怖に、ヨハネスは飛び起きた。
「夢か……準備しなければ」
彼は急いで部下の方に向かった。
テラサは、マグヌスの残した髪をまとめ、布に包んで長刀と一緒に櫃に隠そうとした。
(髪は早くどこかに埋めないと)
焼けば、ものすごい臭いがする。
迷っているうちに、幕屋の入口で咳払いの音がしたと思うと、ズカズカとルークが入ってきた。
「エウゲネスは無事だそうだな。良かったな、マグヌス」
「ルーク!」
「ん、マグヌスはどこだ?」
テラサの唇が震えた。
「マグヌス様は、具合が悪く……」
「どうした」
「具合は悪くありません。ただ……」
腕の包みに目を落とす。
彼には伝えてかまわないだろう。
「エウゲネス様の影武者として、マッサリアの陣地へ行かれました!」
ルークは口を開けたが、言葉が出てこなかった。
「……あいつ……俺に相談もなく……」
「お心はすでに決めていらっしゃいました。昨夜のエウゲネス様は、マグヌス様です」
ルークは、再び沈黙した。
敗北一色だった全軍の士気を、一気に立て直したあの胆力。
そう言えば初めて会った時も彼はエウゲネス王を演じて、自分はまんまと騙された。胸の烙印によって識別されるそっくりな二人。光が当たるのは常にエウゲネス王であって、影となり義兄を支えるマグヌスの孤独な姿を知るものは少ない。
「アルペドン軍の指揮はヨハネス様が取られます」
「……こうしちゃおれん。俺も奴のところへ行く!」
「ルーク!」
彼は背中の長剣を背負い直した。
「アルペドンとの連絡役だ。不思議は無いだろ」
「……あなたまで……」
珍しく弱気なテラサに、
「お前さんがしょぼくれてると、奴の具合が悪いと誤解されるぞ。元気を出せ」
「……ルーク」
テラサは泣き笑いした。
「ええ、それが良いです。付いて行ってあげてください。あの方はいつもお一人なんです」
「……一人とは……」
「いつも、いつも、お一人で抱え込んで」
親友と信じる相手にも見せぬ顔がある。
妻にも裏切られ、眼の前で死なれ。
想う人とは隔てられ。
「王族の生まれのなせる業かとも」
「そうかも知れない」
あの時も彼は一人だった。
たった一人で、ルルディを救い出しに来た。
「奴の考えにはついて行けんが、側にいてやることはできる」
テラサが目をこする。
「心配要らん、俺が連れて帰る」
「お願い」
テラサは、今ほど盾持たぬ女の身を恨んだことはない。
せめて近くに居られれば、身の回りの世話もできようし、傷を負えば手当もしてやれるのに。
「ルーク、頼みます」
「任せとけ」
彼は静かにマグヌスのいない幕屋をあとにした。
【突発更新まつり開催中】にて、明日も更新いたします。
行けるところまで行くつもりです!
次回、第148話 立て直し
夜8時ちょい前をお楽しみに!




