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第九章 145.敗走の終わり

【突発更新まつり実施中】

 マグヌスは喪に服していた一ヶ月を取り戻そうとエウレクチュス方面へ急いでいた。

 そして、遅れはほとんど取り返していた。


 それもそのはず、彼の約二万の兵は戦闘を専業として鍛錬を積んだ、ある意味で常備兵と言える者たちだったからだ。


 十分に訓練された一万五千の騎兵と五千の重装歩兵は、装備と自前の食糧三日分を担いで行軍し続けた。


 アルペドンはすでに離れ、旧ルテシア領を横断し、マッサリア領内へと入る。


 その速度は、東帝国軍のおよそ三倍になり、戦場での機動性にしてみればもう、比べ物にならないレベルだった。


 結果論から言えば、エウゲネスはこの強力な援軍を待つべきだったのだ。


 マッサリア国内の半ばで、白昼、街道をバラバラに逃げる騎兵がマグヌスの目に入った。


 彼らも整然と行軍を続けるアルペドン軍に気が付いた。


「おお、祖霊神よ、神の助けよ」


 マグヌスは、おびえきった騎兵たちに救いの手を差し伸べた。


「もう大丈夫だ。いったい何があった?」

「象に、やられました。」

「エウゲネス王は?」

「エウゲネス様は戦死されたと」

「確かか?」

「……皆がそう言っております」


 確証は無い。

 しかし、噂というものは恐ろしい。

 見たものがいなくても戦死の凶報は軍の中を駆け巡る。


「テトスはどうした? エウレクチュスは彼の故郷ではないのか?」


 彼がいればこんな無責任な噂が流れるままにはしておかない。


「テトス様も姿が見えません」


 ズンと重いものを感じた。

 まさか二人とも……。

 否、とマグヌスは首を振った。

 確証が上がるまで信じない。


殿(しんがり)は誰が?」

「メラニコス様」

「ドラゴニアは」

「わかりません」


 マグヌス率いるアルペドン軍は進軍を続けるのが難しくなった。

 街道を潰走してくるマッサリア兵を次々と受け入れなければならなくなったのだ。


「……負けたのか……」


 腕を組んで立っていたルークがポツリともらした。


 まずは騎兵たち、馬は乗り潰されて(ひづめ)が裂け、のろのろとあがくように走る。

 愛馬の無惨さにも気付けぬほど、なにかに怯える馬上の兵。


「仕方がない。ここで野営する。間もなく日が暮れれば恐慌(パニック)も収まろう」


 不満顔なヨハネスに、


「強行軍のお前たちにも、休憩が必要。休め。命令だ」


 アルペドン軍はすべての幕屋を建て並べ、自分たちも休みながら敗走するマッサリア兵を受け入れ、手当した。


 活躍したのはテラサと彼女に医術を教わった侍女たちだ。


「傷の手当は自分たちでできる。女は邪魔だ」


 意気がるのをしかりつけ、傷を洗って油を塗り、包帯を巻く。


「あ、ありがとう……」


 手際の良さに、しまいには感謝の言葉を口にする。


「水をどうぞ。たくさんありますから、ゆっくりと」


 人心地ついた彼らは、戦象の恐怖を訴えた。

 矢も槍も効かず、ずしりずしりと迫ってくる樣、背から打ち出される正確無比の矢。


「そうか、矢も槍も効かぬと」


 マグヌスは、自分の部隊の千人隊長たちを集めてその話を聞かせた。


「側によれば、鼻でなぎ倒されます」


 隊長たちは、緊張して貴重な体験談に耳を傾けた。

 恐ろしい話を聞いても、彼らは動揺していない。


「我々なら勝てる」

「何か策があるのか?」


 マグヌスが、ゆっくり言った。


「策と言うほどのものではなく……ただ、私達は象を相手にするにはどうすれば良いか研究し、鍛錬してきました。開戦に間に合わなかったことをお詫びします」


 およそ八千の敗残兵を救ったが、哀れなのは馬たちだった。大半が足を壊しており、治療不可能と見なされて処分された。


 馬を愛するアルペドンの兵たちには、話に聞く象よりも、眼の前のこの現実の方が胸に迫った。


 その後、夕刻になってメラニコスの一隊が姿を見せた。


「遅いぞ、マグヌス!」


 第一声はこれであった。


「インリウムが裏切った」

「やはり」

「お前のせいだ」


 メラニコスの声は上ずっていた。


「お前のせいで、ピュトンが……」


 マグヌスの心臓がドクンと脈を打った。


「……ピュトンは、俺を逃がすために(おとり)になって……」


 残忍冷酷な男が、歯を食いしばって泣いていた。


「メラニコス、遅参はお詫びいたします。その分の働きはいたします」

「王はお見えか?」

「いえ。そちらには?」

「いない。右翼のドラゴニアとグーダート神国軍も分からない」

 

 やや落ち着きを取り戻して伝える。


「西へ向かうことはドラゴニアに伝えた……伝わったはずだ」

「ここで待ちましょう」

「悠長な事を。いつインリウムや東の連中が来るか分からないんだぞ。王がいらっしゃらないのに!」


 それをなだめるように柔らかな口調で、


「東帝国が勝ったのなら、戦功や褒賞を論じる時間を取るでしょう。大丈夫、すぐには来ません」


 その言葉を信じた訳では無いが、メラニコスはもう立っていられなくなり、地べたへ座り込んだ。

 

 

 とっぷり日が暮れた頃になって、戦象部隊をかわしたドラゴニアの部隊、そして追撃を振り切ったグーダート神国軍が姿を現した。


 インリウム軍と途中で接触したドラゴニアたちは貴重な情報をもたらした。

 インリウム軍は追撃して来ず、王都に続く道に進んだという。


「追おうと思ったが無理だった。皆と合流するほうが先だと思って……」


 ドラゴニアは、悔しそうに言った。


 それもそうである。

 かろうじて集団の形を保っているものの、皆が疲れ果て、王の不在を(いぶか)しんでいる。


「エウゲネス王が戦死なさったのは本当か?!」


 皆が口々にマグヌスに問う。

 問われても困るのだ。

 戦場に居たわけでもなく、行軍の途中でたまたま敗残兵を手当していたに過ぎない。


「エウゲネス王が戦死なさった……マッサリアはもう駄目だ」

 

 止めても止めても噂は広がる。


 グーダート神国軍に至っては、離脱して帰国を言い始めた。


「誓約した王が亡くなっては、もう参戦の義務は無い」


 ついに、マグヌスはある決意を固めた。


「王はご無事です──」



【突発更新まつり実施中】につき、明日も更新します。


第146話 星空に輝く


夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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