第九章 144.夜はまだ明けぬのか
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東帝国軍を相手に奮戦していたのは、右翼のグーダート神国のみだった。
ドラゴニアの重装歩兵が隣で支援していた。
本来ここはマグヌスが受け持つはずだったところだったのだが、
「父の代からの縁、この場を大切に守らせて貰うぞ」
ドラゴニアは喜んでグーダート神国との間につけた。
生贄の腹を開いてグダル神に攻守いずれかを問い、なかなか槍を取らなかったグーダート神国だが、戦い始めると鬼神の強さを見せた。
「さすがは……力強い味方よ」
「将軍! 丘の上を!」
彼方に盛り上がった丘、その上を歩く小さな象の姿を彼女は見た。
「まさか……連絡は無いのか!」
どこからも応答が無かった。
「エウゲネス王に異変。後退すると同盟軍に伝えよ!」
彼女は戦列を旋回させた。
グーダート神国軍が盾になってそれを守る。
竜将ドラゴニアの軍は、ほとんど無傷のまま丘を目指して走り始めた。
「王よ、ご無事で……」
日が落ち始め、戦場は赤く染まった。
メラニコスに遅れて、同じ惨状を彼女は見た。
形さえ留めぬ遺体は、戦象に踏みにじられたものだろうか……。
「ウッ……」
十代の若さで父の許しを得て戦場に足を踏み入れてこの方、久しぶりに彼女は吐き気を覚えた。
ドラゴニアは諸王の一族でさえないものの、マッサリアの名門の流れを汲むリュシマコスの子に生まれた。
七人兄妹の末っ子をリュシマコスは可愛がり、お転婆がそのまま成人しても溺愛し、彼女に求められるままに戦場に帯同した。
彼女の剣の才能や統率力が兄妹の中でずば抜けていたのも事実であるが。
「そうだ、テトスは?」
彼が王の側にいたはずだ。
ドラゴニアは、薄暗くなるまでエウゲネス王たちの痕跡を追ったが、何も得られなかった。
「退却の合図も無く……」
月のない夜だった。
武装を解かず、幕屋も無しにドラゴニアの軍勢八千は、戦友の遺体と伴に夜を過ごした。
グーダート神国軍が押し止めてくれているとはいえ、何時敵軍に襲われるか分からない。
「メラニコスも……いったいどうしたんだ」
彼女は危険をおかして明かりを掲げさせた。
万一、誰かが無事なら目標にたどり着けるように……。
これが功を奏してメラニコスからの伝令が届いたのは、長い冬の夜がまだ明けない頃だった。
伝令は、インリウムの裏切りとメラニコスたちが王を追って戦いながら西へ退却したことを告げた。
「ご苦労」
ドラゴニアは伝令に水とパンを与え、休ませた。
自分たちが無事でも、この有り様では帝国軍と戦うのは無謀だと彼女は判断した。
「同盟軍に、退却してメラニコスたちと合流すると伝えてくれ。王の不在は伏せて」
メラニコスたちを、戦象部隊を擁する帝国軍から救うのが急務だ。
朝日が登る前に、ドラゴニアの部隊は西を指して移動を始めた。
同じ夜。
メラニコスとピュトンたちは、先ほど裏切って攻撃をかけてきたインリウムの代わりに、戦象部隊のシュドルスたちに追われながら逃げていた。
戦場の混乱が招いた不幸な衝突である。
「メラニコス、お前は先に行け。囮は儂が引き受けた」
「では、私の軍から重装歩兵千を」
「助かる」
ピュトンはメラニコスの手を握った。
「さらば。王に会うことがあったら、火玉の秘法を伝えてくれ」
「ピュトン、早まってはいけない。夜が明ければドラゴニアが来るかも……」
「夜明けまで」
闇の中でピュトンは笑った。
「朝日を見るまでは死なん。さあ、街道伝いに先に行け。王を守れ」
メラニコスは彼の部隊の中で最も勇猛な部隊をピュトンに託した。
「強き者よ、儂とともにグダル神にまみえようぞ。我らの働きは後々まで語り継がれるに違いない」
手探りで、千人余りの決死隊はその意志を確認し合った。
「隊列を組め!」
ピュトンは馬を捨て、最前列の十人の最も右側に立った。
隣に立つ仲間の盾に左半分しか守られない、最も危険な位置。そこを自ら選んだ。
「先の妃よ、喜べ。儂は死ぬぞ」
そして、闇に響き渡る大声を上げた。
「異形の獣を操る卑怯者! マッサリア五将の一人、ピュトンはここじゃ! 討ち取って手柄にせよ!」
その声は、戦象部隊のシュドルスの耳に届いた。
「松明を、ありったけ灯せ!」
彼は命じた。
闇が払われていく。
火を恐れる象は下がらせた。
「ピュトンなる者よ、恐れ知らずの勇者と見た。自分は帝国軍の一将、シュドルス!」
彼は馬上で槍を構えた。
松明に照らされ、伝説の半人半馬の神に見える。
ピュトンたち千人は、闇に潜んだ。
「出て来い! どうした」
「そちらこそ来い!」
時間稼ぎ……。
メラニコスよ、逃げのびてくれ。
程なく部隊の位置はシュドルスに察知された。
相手の戦力の分からぬシュドルスは、象以外の全軍に攻撃を命じた。
千人はたちまち囲まれ、四方から攻撃を受けた。
こうなっては自慢の戦列に意味は無い。
寸断され、一人ずつ倒れていく。
「お前、いたのか」
ピュトンは彼の背中を守ってくれる若い男に気付いた。
とっくに逃げたと思っていたのに。
解放を拒んで従軍した奴隷。
戦場の名誉を許されぬはずの卑しい者。
戦いの心得はどこで身に付けたか、その身を盾に敵の槍からピュトンを守る。
「お前の魂は自由だ。儂と一緒じゃ」
目前の敵に斬りつけながら、ピュトンは宣言した。
その声が届いたかどうか。
多勢に無勢、いかに千人が勇猛であろうと結果は見えていた。
「夜は、まだ明けぬのか……」
空は仄白く明るんでいた。
だが、深い傷をいくつも負ったピュトンの目は、その明るさを捉えることはできなかった。
やがて、南よりの東の地平線から差した曙光は、大地に倒れたピュトンを照らした。
彼はもう息をしていなかった。
隣に、彼の息子の鎧をまとった若い奴隷が、それと知られることなく倒れていた。
馬上のシュドルスには、どれが誰か分からなかった。
「埋葬してやれ。その間にアンドラス様が追いつかれるだろう」
朝日が、彼の精悍な顔を照らした。
シュドルスは顔をしかめた。
討ち取った敵の余りの少なさに愕然としていた。
勝つには勝ったが、本隊は取り逃がした。
その中にエウゲネス王がいたかもしれないと思った。
「深追いしてはアンドラス殿下に叱られる」
シュドルスは、言い訳するようにつぶやいた。
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第145話 敗走の終わり
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!




