第九章 140.暗転
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マルガリタは黄金の混酒器から注いだ自分のワインを一口飲んだ。
それを見て、マグヌスも自分の酒杯に口をつける。
(毒を警戒されているのだわ)
マルガリタは寂しそうに微笑んで、そして、一気にワインをあおった。
ヨハネスやルークも、銀の混酒器から薄めたワインを注いでもらって乾杯しようとした。
その刹那──。
「うっ」
マルガリタが口を押さえてワインを吐き戻した。
「急に飲むから……」
と、マグヌスがたしなめたが、マルガリタの姿は尋常ではなかった。
ずるずると体勢を崩し、床に倒れて激しく全身を痙攣させた。
マグヌスはあわてて彼女のもとに駆け寄った。
「どうした、しっかりしろ!」
彼女は震える手を差し出しながら忙しい息の中で言った。
「……ともに、生きられない、なら……ともに、死んで」
「マルガリタ!」
床に倒れたマルガリタにすがりつこうとするマグヌスを、ルークが引き剥がしてがっしり羽交締めにした。
「吐け、お前も飲んだものを吐け」
振り向いてヨハネスに怒鳴った。
「まだ王宮にいるはずだ。テラサを呼んでこい!」
すぐに血相を変えたテラサが駆けつける。
「毒ですか⁉️」
マグヌスはうなずいて哀願した。
「……テラサ、テラサ、マルガリタを助けてくれ」
彼女はまだ痙攣しているマルガリタの蒼白な顔をチラリと見て、ルークに取り押さえられているマグヌスの方に向き直った。
「手遅れです。マグヌス様も同じものを?」
「その混酒器からワインを」
ルークが代わりに答える。
テラサが一瞥した。
黄金……銀と違って毒で色が変わらない。
「薄い塩水を。なるべくたくさん」
テラサが命じた。
「……待っていられない……」
女とは思えぬ強い力でマグヌスは口をこじ開けられる。
「飲んで!」
あてがわれた銀の水指から容赦なく水が口の中に流れ込む。
マグヌスは呼吸するために夢中になってそれを飲んだ。
「吐く!」
口の中に指が突っ込まれ、喉の奥を押した。
反射的に飲んだものが逆流する。
鼻腔にも気管にも入り、激しくむせた。
「ゴボッ、ゴボッ」
「もう一度!」
塩水が届いた。
「支えて!」
ルークがマグヌスの上体を支える。
「飲む!」
飲めるだけ飲んだら、また、吐くの繰り返しだ。
「もう……止めてくれ……」
拷問のような荒療治にマグヌスは音を上げた。
その声に、やっと我に返ったようにテラサは水指を床に置いた。
「マグヌス様、お身体に異常はありませんか」
「大丈夫だと思う」
テラサが大きくあえいで、床に両手をついた。
マグヌスは、身動きしなくなったマルガリタのところへ這って行った。
白い顔が汗と吐物で汚れている。
だが、表情は驚くほど穏やかだった。
「共に生きられないなら共に死んで……」
一言に込められた絶望。
マグヌスの心の底から、憐憫、憎悪、愛情、殺意、あらゆる感情が一気に湧き上がった。
「生きてくれ、マルガリタ!」
彼は、抜け殻となった妻の身体を抱きしめて叫んだ。
「キュロスを子として認める。お前と床も共にする。辛く当たってすまなかった……」
遅い。
もう遅い。
すべてが遅い。
「……マグヌス」
ルークが肩に手を置いた。
それをマグヌスは振り払った。
「私が死なせた……たかがこの胸の烙印のことで!」
マグヌスは、慟哭した。
恥も外聞もなく泣いた。
誰も声をかけられなかった。
二人を取り囲んでいた宴会の参加者たちが、一人、また一人と囲みを解き、重苦しい雰囲気のまま、戦勝祈願の宴は解散となった。
宴会の酒や料理は誰も手を付けぬままに処分された。
テラサはルークの腕を引いた。
「黄金の器を選び、マグヌス様が味や香りに気付かず飲んでしまったところをみると、おそらく砒素でしょう。今のところ別状がなくても、あとから手足がしびれ、命取りになりかねない恐ろしい毒です」
それをマルガリタは一気に飲んだのだ。
「毒消しは無いのか?」
「ニンニクが効くとも言われていますが、気休めです」
テラサは真剣な表情でルークの目を見た。
「きっと異常があってもご本人からはおっしゃらないと思います。気をつけてあげてください」
「わかった」
ルークは、泣くだけ泣いて呆けたようになっているマグヌスを立たせ、彼の寝室まで肩を貸して歩かせる。
テラサは、残されたマルガリタの遺体と二人になった。
「マルガリタ、いかに苦しかったとしても……マグヌス様を道連れにしようとしたあなたを許すことはできません」
そう言いながら、顔や胸に飛び散った吐瀉物を拭って清めてやる。
髪もなでつけて整えた。
そうしているうちに、異変を知らされたマルガリタの侍女たちが集まってきた。
「マルガリタ様!」
老女がテラサを押しのけて膝をついた。
テラサが押し返した。
「砒素は、誰が手に入れたのですか?」
「……マルガリタ様に言われて、私が……」
老女は悔しそうにテラサをにらんだ。
「てっきり要らぬ者に使うとばかり……」
「私やルークのことですか?」
「マグヌス本人!」
老女が金切り声を上げた。
「なぜマルガリタ様が亡くなってあれが生きている⁉️」
言い終わる前にテラサの平手打ちが飛んだ。
「愚か者!」
あっけに取られている老女につかみかからんばかりの勢いで、テラサはまくし立てた。
「人の生命にかかわる毒をもて遊び、主が自死を願っていることに気がつかなかったのか! お前が毒を手に入れなかったら、マルガリタはまだ生きていた!」
「……」
「せめて、元王女としての威厳を保って地下の国に送り出してやりなさい」
老女の目に涙があふれた。
「大切な、マルガリタ様……」
「キュロス……様にはどう伝えるつもりですか!」
老女は言葉が出なかった。
「年はまだ八つ。なぜ産みの母が死なねばならなかったのか、伝えられますか!」
「マグヌス様が頑なで……」
「父と信じている人を悪者にするのですか!」
テラサは、街の女たちに気を取られて王宮を留守がちにした事を悔やんだ。
近くにいれば気づけたかもしれないのにと。
だが、手遅れだった。
華々しく出陣式が行われるはずのこの日は、一転してマルガリタの喪に服す日々の始まりとなった。
【突発更新まつり開始】
まつり開始につき、次話投稿は明日夜8時ちょい前となります。
第141話 遅参
どうぞお楽しみに!




