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第九章 136.過ちの代償

 アルペドンの内政を仕切っている宰相ゴルギアスは悩んだ。

 神々に祈ってみたり神託を受けたりしてみたが明確な指針は出ず、とうとうマグヌスにすべてを打ち明けることにした。


「まことに申し訳ございません。以前私めが良からぬことを企てた件、ご記憶と存じます」

「ん?  ああ……」


 あっさりとマグヌスは答えた。


「その際、インリウムから派遣されていたオレイカルコスが命を落としました」

「あれは事故だ」


 あの場に居た者は皆知っている。

 マルガリタとの姦通の場から素裸で逃げ出し、高い屋根から転落して死亡した。


 マグヌスは弓を止めさせたし、降りてくるよう呼びかけていた。


「インリウムから、私めに事の真相を知らせよと圧力がかかっております」


 自業自得だ、と言う言葉を覚悟して目を閉じる。


「それで?」

「恐れながら、彼の死の責任者として、マグヌス様を引き渡せと数年前からマッサリアのエウゲネス王に働きかけている様子でございます」


 一気に言い切って主人の顔を見上げる。


「それは困るな」


 他人事のような返事に拍子抜けする。


「義兄上を煩わすつもりは無い。マッサリアに立つので、後を頼む」


 晩秋の旅になる。

 ルークと二人、毛皮まで着込んで準備したところ、同様な旅支度の女性たちがいるのに気付いて驚いた。


「テラサ、無理をするな」

「テラサではありません。私です」


 今度こそ驚いた。

 マルガリタが、旅支度をして立っていた。

 そして膝にすがる七歳の男の子がいる。

 マルガリタがキュロスと名付けた彼女の子どもだ。


 マグヌスは、命名の儀式に参加していない。

 ただ「その名を付けるか」と瞑目した。


 守ってやれなかった少年の笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。

 ここでもマルガリタはマグヌスの心の傷に塩を塗った。


「着いてくるな!」


 つい声が大きくなる。


「私もマッサリアに参ります」

「厳しい旅だ。物見遊山とは違うぞ」

「私に何かあれば、あなた様の不名誉となりましょう」


 ルークがとりなす。


「連れて行って証言させてやれば良いのでは?」


 結局、マグヌスが折れた。

 輿を用意させ、護衛の兵と追加の食料も準備した。


 大掛かりな旅行に、


「いよいよキュロス様がエウゲネス王にお目見えする」


 と、王宮も街もどよめいた。


「育てると決めたなら、役目は果たせ」

「わかっている。もう言わないでください」


 ルークが相棒で良かったと思う。

 マグヌスは気持ちを奮い立たせてマッサリアの王都を目指した。




 義弟(マグヌス)夫妻が来る──それは、使者によって一足先にエウゲネスに知らされた。


 王妃ルルディは、なぜか機嫌が良くなり、マルガリタの母を身近に呼び寄せた。


「お前の娘が来ますよ。孫とともに」


 彼女は感極まって声も出ない。


 エウゲネス王は、いまさら蒸し返されたマグヌスの失態にけりを付けるちょうど良い機会だと歓迎した。


 インリウムが多島海を通じて東帝国と交渉があることは前々からわかっていたことだが、今になって、帝国の威光を背景に交渉してきた。

 シデロスいわく、


「東帝国には一つ貸しがある。マッサリアに対して軍を動かしてくれと頼めるほどのものだ。我が子オレイカルコスと守備兵たちの死の責任者として、マグヌス将軍の身柄を渡せ」


 エウゲネス王は王の間にマグヌスを通した。

 義兄弟の仲である。

 仰々しい歓迎の宴も無く、二人は直接話し合った。


 エウゲネスは王座から降り、座り心地の良い小さな椅子を二つ、王の間の中央に準備させていた。


 マルガリタや供回りの者の面倒は、まとめてルルディがみている。


「本当にお前がオレイカルコスを手にかけたのか?」

「違います。事故でした」


 どこまで話したものやらと口ごもりながら、


「それ以前に、オレイカルコスはマルガリタと密通し、宰相まで巻き込んで私を排除しようとしたのです。兵士たちはその犠牲になりました」

「──そんなことが」

「オレイカルコスは逃げようとする際、屋根から落ちたというのが真相です。なんでしたら、ルークに確かめてください」


 エウゲネスが声をあげた。


「ルークを呼んでこい」


 すぐにルークが来るかと思っていたら、王の間にまろびこんで来たのは別の人物だった。


 黒髪の美しい、少しやつれた女性……。

 マルガリタだ。


 彼女は子どもを抱いてエウゲネスの前に飛び出す。


「私が道を間違えたのです。この子は私とオレイカルコスの間に。マグヌス様はただ捕らえようとしただけです。姉たちには、私が詫びねばなりません」


 あっけに取られたエウゲネスだったが、判断は早かった。


「真実と誓えるか?」

「はい」

「よし。ではマグヌスとともにアルペドンに帰れ。インリウムとは自分が話をつける」


 マルガリタはマグヌスを見た。

 (おのれ)の恥をさらす告白、夫はどう聞いてくれたのか?


「マルガリタ、礼を言う」


 万鈞の重みを持ったマルガリタの証言にも、マグヌスは冷たい。


「マグヌス様、お許しを。あなたは、ゴルギアスまで許されたではありませんか」


 一瞬にしてマグヌスの脳裏に、烙印を指摘して面罵された初夜の光景が蘇る。


「……ゴルギアスがこの胸のことに触れたか?」


 ハッとマルガリタは息を呑む。

 あれ(・・)は、決して触ってはいけない禁忌だったのだと。

 謀反を企て命を狙われるより彼の心をえぐるものだったのだと。

 

「も、申し訳ございません」


 冷や汗を垂らしながら、マルガリタはわびた。

 マグヌスはギュッと唇を噛んで、無言で立ち去った。


 この世には取り返しのつかぬことがある。

 一度口から出た言葉は奔馬のようなもの。

 心を入れ替えたと言ってももう遅い。

 人に憎まれる辛さを、マルガリタは生まれて初めて思い知った。


「お母様、オレイカルコスって誰?」


 キュロスが、つぶらな黒い瞳を向ける。


「お前の従兄弟ですよ」

「お父様は、どうしていつも僕に怒っているの?」

「お前のせいではない。母がすべて悪いのです」


 マルガリタは、息子をかき抱いてむせび泣いた。

 夫に許される日はもう来ないのか。


 この時、人々の抱く儚い夢も小さな憎しみも、東帝国の侵攻の前に、枯葉のように(もろ)く崩れ去ってしまうとは、誰一人考えていなかった。




マグヌスとマルガリタのすれ違い……許せないマグヌスの気持ちもわかるのですが……。


次回、第137話 警告


木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!

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