第八章 135.出陣
【突発放出まつり最終日】
皇帝の矢のような催促を受けても、アンドラスは初冬になるまで動かなかった。
すでに、ここまで皇帝に逆らうだけの力と人望を得ていた。
代わりにマッサリア人を呼び出して話を聞いている。
「セレウコス、マッサリア王は普段何を食べている?」
セレウコスは自分が受けた不当な扱いの愚痴を言いたくてうずうずしている。
それをはぐらかして、アンドラスはマッサリア王エウゲネスの人となりを分析していく。
人柄は必ず用兵に影響する。
自分より年上、少年の頃から小国マッサリアの主となり勢力を拡大してきた男。
「母殺しの王」と呼ばれ、配下の将軍たちを自在に使いこなして勝利をつかむ。
「兵士たちとほとんど同じものを。贅沢は好みません」
「なるほど。これは確かに心してかからねばならぬ相手だな」
日当たりの良い自分の部屋の、外へ向かう階段に並んで腰掛け、白湯を飲む。
セレウコスも倣ったが、酒や茶でないのを不満に思った。
「質素な生活に慣れておけ。お前たちに一兵卒以上の待遇は与えん」
セレウコスはギョッとした。
雌伏していた間に、アンドラスは人の心を読む名人になっていた。
セレウコスは故郷での贅沢三昧が懐かしい。
このアンドラスという若者がエウゲネス王を破ってくれれば、再び自分にも良い賽の目が出るだろうか。
「では、マグヌスという将軍は?」
「非常に狡猾な人物です。エウゲネスのために外国勢力を国内に引き込むのも厭わない、敵にすると厄介です」
「一時期、ナイロに留学していたのだな」
「留学などではありません。死刑囚の烙印を押されたにもかかわらず逃げ出しただけです。追放されたことになっています」
「死刑囚の烙印?」
「恥じて常に隠しておりますが、衣服を剥ぎ取ってみれば明らかでしょう」
カクトスが語るマグヌス像と、一致するようで、しない。
「捕らえる機会があれば試してみよう」
東帝国では、強い北風は吹かない。
冷え込みもさほどではない。
セレウコスにさがるように言ったあとも、アンドラスは日向ぼっこしながら階段に座っていた。
「失礼いたします」
青い吏服をまとったカクトスが、セレウコスの代わりに座を占める。
「アンドラス様、まだ出陣しなくて大丈夫ですか?」
「ムネスタレエの動きがまだ分からない」
ムネスタレエは十五ある藩主国の一つで、低い丘陵を挟んで帝都の隣に位置する。はっきりと皇帝派の藩主国だ。
「ムネスタレエの将軍は、私の手駒ではなく皇帝からのお目付け役だろうがな」
アンドラスは伸びをした。
大戦を控えている割に落ち着いて見える。
ただ、お気に入りのカクトスの前では内心をさらす。
「いかに戦象部隊がいるとはいえ、五万でマッサリアを征服できるだろうか?」
「冬は兵士を集めにくくなります。マッサリア一国を討つには十分かと存じます」
「セレウコスの話によれば、近国と強固な同盟を結んだばかりだそうだが」
「近国とは?」
「グーダート神国」
「まさか、あの気難しい国が……」
カクトスは首をひねった。
「セレウコスが実際に見てきたことだそうだ」
「……しょせん同盟国。兵の数が増えてもまとめ上げる力量が指導者になければ……」
そよ風を受けてアンドラスの薄茶色の巻き毛が揺れる。
「エウゲネスは侮れない」
彼は言い切った。
「私に軍をまとめる力が無ければ、藩主国も近衛兵も背くだろう。同じことだ」
アンドラスは聡い。
それは戦場においては臆病と紙一重だ。
「アンドラス様、兵たちはアンドラス様を慕っております」
それは嘘ではない。
ただ、初陣となると……。
「ご安心ください。戦象隊のシュドルス様がいらっしゃるではありませんか」
そういうカクトスも本格的な遠征は初めてだ。
「皇帝にとって、この遠征は成功しても失敗しても得になる。悔しいがこれは認めねばならない」
忌々しそうに吐き捨てる。
「勝ちましょうぞ。勝って、皇帝陛下に目に物見せてやりましょうぞ」
「そうだな……カクトス、私のこの弱音、お前の胸一つに納めておいてくれ」
「かしこまりました」
それから間もなく、宮廷の広間に各部隊の指揮官が集まって戦略を練った。
酒食のもてなしもなく、殺風景な会議である。
何かと華美を好む東帝国においては異例だった。
「大河の向こうにはルフト侯領があるが、まず、五万全軍で襲い、圧倒する。腕試しだ」
マッサリアの庇護を受ける小国、総動員しても一万も兵はいないだろう。
「次は?」
当然の質問だ。
失敗するなど想定していない。
「マッサリア領内に軍を進め、レーノス河付近で、二手に分かれる。一隊は私とともに内陸の街道沿いに進んで北から、もう一隊は海岸沿いを進んで南からマッサリアの王都を攻める」
「挟み打ちですか」
ムネスタレエの軍を率いるメントール将軍の言葉。
この藩主国からは、藩主自身ではなくメントール将軍が率いる一万の軍勢が出ている。
「そうだ」
アンドラスたちは計算を誤っていた。
戦慣れしたマッサリアの進軍は、帝国に比べて圧倒的に速い。
王都にたどり着く前に迎撃される可能性を忘れていた。
いや、戦象を含む五万の精鋭に野戦を挑む気にはならないだろうと侮ったか。
「攻城には数が足りませんな」
ほんのわずかにアンドラスを軽んじる響きを含んで、精鋭中の精鋭、近衛軍のダイダロス将軍が反論した。
「わかっている。カクトスがこの三倍は無いと無理だと言っている」
ダイダロス将軍の鋭い視線を受けて、カクトスは少し動揺した。
「城から誘き出して、各個撃破いたします」
「どうやって誘き出す?」
「あちらの軍は元は農民です。周辺の農地を荒らし、村々に略奪を仕掛ければ、黙ってはいますまい」
ダイダロス将軍は腕を組んだ。
「ふむ。一理ある。だが、アンドラス殿下、戦いというものは、その場にならなければ分からぬことも多いものですぞ」
「諫言、ありがたく頂戴する」
アンドラスは、素直に礼を言う。
「半月以内に、各々出陣。まずはリドリス大河を無事に渡れ。そしてその先の平地に集合せよ」
かくして、東帝国の西方面への侵攻は始まった。
【突発放出まつり】お付き合いくださり感謝いたします。今日で最終日、第8章もおしまいとなります。
次回、第9章 激突 第136話 過ちの代償
来週木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!!




