表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/255

第八章 133. 怨嗟

【突発放出まつり実施中】

「一人、二人、三人……」


 床についたまま、皇帝は倒した政敵の数を数える。


 病身の皇帝のやせ細った指が、次は誰を指すのか、宦官たちは息を飲んで見守った。


「アンドラス……生かしてはおかぬ」


 細い声が、色を失った唇から紡ぎ出される。

 これで彼の運命は決まったと、宦官たちの吐息が漏れる。


「狩りの獲物だと」


 皇帝の寝室の薄暗い灯りの中に浮かぶ、丸々と肥えた雄鹿と牝鹿、珍しい白いウサギが数羽、そして矢羽根を採るための鷲。


「これほど大きな狩りができると、余に示したいのか」


 明らかにアンドラスからの挑戦状だった。


「アンドラスに謀反の疑いあり。近衛兵を送れ」

「統率者は誰に」


 皇帝は少し考えた。

 腕の立つ、捨て駒になっても構わない軍人。


「アレクシスを。酔いに乗じて切り刻め」

「承知いたしました」


 病で身動きもままならぬ自分に、と舌打ちする。


「その獲物はすべて下働きの奴隷どもにくれてやれ。ああ、矢羽根はお前達で使ってよい」


 重い獲物が運ばれていく。


「床を清めよ」


 侍女たちが慌てて雑巾を絞る。


「マッサリアもこのままにはしておかん。帝国の金貨を食い潰すネズミどもめ!」


 もともと、金貨と銀貨は重量にしておよそ一対十五の比率で交換されていた。


 だが、マッサリア王国がゲランス銀山の開発を進め、大量に良質な銀貨を生産するようになって、銀の価値は下落した。

 商人たちはマッサリア領内に赴いて、金貨で安い銀貨を買い、金貨の大量流出を招いた。


 マッサリアの銀貨は、禁じたにもかかわらず東帝国内でも流通し始め、金の価値に国家の経済的基盤を置いている帝国を揺るがしかねない。


 それだけならまだ良い。純度の高いマッサリアの銀貨は、帝国の発行するやや質の劣る銀貨に鋳造し直されて混乱に拍車をかけた。


 見つかれば死罪だが欲は人を動かす。


「忌々しい銀貨よのう」


 皇帝は、横たわったまま、鈍く輝く大きな銀貨を見つめた。

 表に王と王妃の横顔、裏にマッサリア王国の紋章である鷲が刻印されている。


 帝国には三つも金の鉱山がある。

 だが、帝国の威信に挑戦しようとする小癪(こしゃく)な小国が許せなかった。


 皇帝は、寝台を囲む薄絹の間から、壁めがけてマッサリアの銀貨を投げつけた。


 重い銀貨は壁まで届かず、力無く分厚い敷物の上に落ちた。


 それを見やった皇帝は頭をもたげて、勅令を発した。


「アレクシスかアンドラスか、生き残った方をマッサリアに送れ。兵は五万ほど付けてやる」

「海軍はいかほど」 

「別に三段櫂船三百隻を」


 宦官が手を揉みながらへつらった。


「さすがは皇帝陛下、どちらが負けても陛下の利になりましょう」


 皇帝は返事もせずに背を向けた。

 軍を束ねる大将軍には、皇女のうちの一人を嫁がせ、機嫌を取っている。

 だが、その下は?

 さらに下は?

 一兵卒は?


 身動きさえままならぬ自分より、たくましいアンドラスに味方しようと思いはしないか。


「アンドラスめ。酒に溺れて死ねば良かったものを」


 演技と見抜けなかった自分が許せない。


「マッサリアから帝国(ここ)に来た者どもを呼べ」


 背を向けたまま命じた。


「お前たちの恨みを晴らすときだと」


 程なく二人のマッサリア人が案内されてきた。一人はルテシア王国との内通が暴露されて追放された元評議会議員スキロス、もう一人は政争に敗れた元評議会議長セレウコス。


「余はそなたたちとインリウムの要請に応え、マッサリアに兵を出すと決めた」


 二人は顔を見合わせる。


「行く先ざきで道案内をせよ。また、軍の先頭に立って降伏を呼びかけよ」

「かしこまりました」


 セレウコスがきっぱり言った。


「故郷の同胞の血が流されるのは見たくありません。戦好きな王に代わって、寛大な皇帝陛下の善政のもとにひれ伏すのがふさわしいかと」


 皇帝は満足げなため息を漏らした。

 善政?

 そんなものは考えていない。

 先帝から内政を引き継いだ宦官たちに任せているだけだ。


「もう一人。返事が無いが、嫌か?」

「私めが帝国(ここ)に参ってからずいぶん年が経っておりますれば、どこまでお役に立てるか」

「家族ごと、仲間ごと我らが庇護を受けていながら、いざとなると先頭に立つのは怖いか」

「いえ、決してそんなことは……」

「この間に、山が姿を変えたか?」

「いいえ」

「河が流れを換えたか?」

「いいえ」

「ならば勝利に向けて道案内くらいできよう?」

「──かしこまりました」


 宮廷での安穏な暮らしに慣れたスキロスには辛い道だが、妻子を質に取られているとも言える。


「下がれ」


 そして皇帝は、宦官たちに声をかけた。


「アンドラスとアレクシス、いずれが勝ち残るか、賭けをせよ」

「恐れながら、皇帝陛下、アレクシスは先頃金山での反乱鎮圧に手を焼きましたが、陛下に忠実な軍人かと。今回公然と反抗なさったアンドラス殿下と比べて良いものか……」

「余の命にも関わらず失敗したものは、反抗とみなす」


 宦官たちは沈黙した。

 

「賭けよ。余はアレクシスに金貨十枚」

「私めも、アレクシスに金貨一枚」


 宦官たちは、競ってアレクシスに賭ける。


「これでは賭けが成り立たんわ」


 皇帝は満足半分、不満半分の表情である。


「では、アンドラス殿下に銅貨(・・)一枚」


 すかさず言ったものがあって、どっと宦官たちは湧いた。


「よく言った」

「はっ」


 皇帝は、日々不安に怯えながらも刺激に飢えていた。

 人の命のかかった賭博、こんなものでもやらなければ満足できない。


「陛下、お身体をさすらせていただきます」


 賭けには参加しなかった侍女が絹布を手に垂幕の中に入った。


「おお、もうそんな時間か。賭けの結果は明日じゃの」


 突然、皇子暗殺を命じられた愚直な軍人がどう狼狽(うろた)えるか。

 口の端に笑みを浮かべながら、皇帝は侍女の手に身体をゆだねた。



アンドラスの挑発に乗る皇帝……どちらが生き残るのか?


次回、第134話 報復


明日は都合によりおそらく夜8時更新となります。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ