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第八章 132.巻狩り

【突発放出まつり実施中】

 カクトスの言葉にも、結局、アンドラスは心折れなかった。

 現状の戦力と影響力を冷静に分析し、挙兵はまだ先と結論付けた。


 彼らはそのまま数年雌伏した。

 と言ってもただ大人しく酔っぱらっていたわけではない。

 仲間を増やし、その忠誠心を試し、藩主国同士の小競り合いではなくもっと大きな会戦にも備えられるよう、その部下たちを鍛え直しながらの数年であった。


 そしてその静寂はある初秋の午後、皇子の清々しい声で破られた。


「チュンダレオスの野で巻狩りを行う。気が向いた者は付いて来い」


 もはや彼は、酔ってなどいなかった。


 チュンダレオスの野は、宮廷から近いが人の手が入っておらず、野生生物にあふれた地である。

 巻狩りは狩りと呼ばれてはいるものの、数千人の勢子、数百の弓手、槍組で構成される、一種の軍事演習である。


 彼が皇帝に無断でこれを実行に移すのは、すでにそれだけの皇帝に対抗できるという確信を得た(あかし)に他ならない。


「チュンダレオスの野と言いますと、エキドナ山からスーテロス川まで、広うございますな」

「野をすべて使う」

「獲物を追い立てる勢子(せこ)はどのように?」


 アンドラスは考え込んだ。

 人手が入っていないチュンダレオスの野の詳細は分からない。


「地形はともかく、東から西へ追われてはいかがでしょう? 狩りは一日がかり、西にかかった日が獲物を見えやすくするはず」

「よし。カクトスの案を採り入れよう」

「ありがたき幸せ」


 シュドルスが手を上げた。


「では、勢子は我々が引き受けよう。血気にはやる若者たちのもとへ、獲物を届けますぞ」

「それはありがたい」


 カクトスも当然、皇子の近習として参加することになった。

 ただ……。


「お前は私と別の場所で獲物を待ち構えろ」

「その理由は?」

「お前の統率力を実際に見てみたい」

「かしこまりました」


 その日。

 パンやタマネギ、チーズを入れた革袋を腰に着け武装したアンドラス派の一行は、夜明け前からチュンダレオスの野を囲むように陣取った。


 シュドルスたちが、東端から広く展開し「おーい、おーい」と声を上げ、盾や兜を叩いて大きな音を立てて獲物を追う。


 一方、アンドラスとカクトスは、獣道(けものみち)を塞ぐように各々陣を構え、追われた動物たちが逃げてくるのを待った。


 弓隊百人、槍隊五十人、その他二十人をそれぞれ率いていた。


「来たぞ!」


 昼過ぎ、アンドラスのところへ、背の青い美しいカモシカが走り込んできた。


「弓隊、放て!」


 カモシカは長い角を振って矢を避けようと跳躍を繰り返す。


「自分が行こう」

「アンドラス様!」


 アンドラスは槍を握ってカモシカのもとへ走り寄った。

 逃げ場が無いと悟ったカモシカは、頭を低く下げ、アンドラスに角を向けた。


「殿下!」


 槍をつかんで駆けつけるもの数名、だが、アンドラスは横っ飛びにカモシカの突進をかわした。


「そこだ!」


 後ろ足の付け根に槍を見舞う。

 カモシカは引き裂くような悲鳴を上げて横倒しになった。


「楽にしてやる」


 アンドラスは剣を抜いて、カモシカの喉を切り裂いた。

 びく、びくとまだ動くカモシカの角をつかんで、勝利の歓声を上げる。


「一番の獲物は、アンドラスが討ち取ったり!」

「お見事!」

「油断するな、次が来るぞ」


 という言葉も終わらぬうちに、逃げ惑った雄雌のシカ、ウサギなどが草原に姿を現した。


「良き獲物を選べ!」


 アンドラスは余裕の声を上げた。


 一方、カクトスのもとには、とんでもない獲物が現れた。

 獅子(ライオン)である。

 追われて逃げたと言うより、午睡の邪魔をされて猛り狂っている様で、黒いタテガミを背の中ほどまで伸ばした、堂々たる姿である。


 弓隊が懸命に矢を射掛けるが、相手にせず向かってくる。


「槍隊、槍を投げろ!」


 カクトスが叫ぶが、百獣の王の迫力に押されて当たらない。


(来る!)


 目があった。

 槍を構えるカクトスと、唸り声を上げる獅子と……にらみ合って、ジリジリと間合いを詰める。


 後ろからカモシカが飛び出すが、誰も相手にしない。


「来い!」


 カクトスは槍の穂先を下げ、獅子の攻撃を誘った。

 気を取り直した弓隊が距離を詰めて矢を放つ。


「槍隊、横から回れ」


 小声で指示を出す。

 しかし、誰も従わない。


「逃しなされ! それは無理な獲物でしょう」


 イラッと一瞬声の方を向く。

 獅子はその瞬間を逃さず跳躍した。


「うわっ」


 槍の穂先の輝きが交差した。

 届かない。


 獅子はカクトスの頭の上を越えて背後に着地し、槍隊に牙を向けた。悲鳴が上がる。


「この!」


 カクトスが、その背に槍を繰り出すも、獅子はさらに跳躍し、包囲網から逃れた。


「無事か?」

「怪我人が出ました!」

「ワインで傷口をよく洗え」


 はうっと大きなため息をつく。

 槍隊が獅子の横腹を破っていれば仕留められた獲物のはず。


「思うように動いてはくれん」


 初めて指揮する部下である。

 思うようにいかないのは当然といえば当然。

 しかし、彼は知っている。


(マグヌスのやつは、野外演習で必ず私を負かした。机上では互角だったのに……)


 彼のどこが自分より優れているのか、カクトスにはわからなかった。

 ただ、いつも負けた。


「カクトス様、ウサギ!」

「任せる。狩れるだけ狩れ」


 最終的にアンドラスに負けない数の獲物を得たが、獅子を仕留められなかったのは心残りだった。

 アンドラスの方は雌獅子を二頭仕留めている。


「良い、良い。お前が傷を負わなくて良かった」

「はっ」


 アンドラスは乗馬して周りを見回すと


「獲物を宮廷に持ち帰る。今日は下々の奴隷まで肉にありつけよう」

「アンドラス様! 素晴らしい」


 見事に勢子を指揮したシュドルスが褒める。


 日はすでに西に傾き、彼らの帰還は夜になった。

 肉の大盤振る舞いはその翌日になったが、宮廷の皆が第三皇子アンドラスを見直した。




少し時間を飛ばしてしまいました。


次回、第133話 怨嗟


明日、夜8時ちょい前をお楽しみに!

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