第八章 128.出会い
【突発放出まつり実施中】
その年の春、約束通り第八皇子には小馬が贈られ、カクトスはやっと馬係をお役御免となった。
第八皇子の勉強嫌いは相変わらずで、カクトスは老教師を誘っては茶を飲み、帝国の情報を聞き出した。
「藩主たちはそんなに忠誠心が強いのですか?」
「皆、外面を飾っているだけじゃ。ことに象部隊を指揮するシュドルスには気をつけねばならん」
「シュドルス?」
「第三皇子の母方の親戚じゃよ」
「ああ、あの酔いどれ皇子」
「シッ。皇帝の一族のことをそんなふうに言っては首が飛びますぞ」
カクトスは首筋を押さえた。
まだ離れ離れになって欲しくはない。
そこへ、
「誰だ、誰だ、隠れてヒソヒソ話をしてるのは?」
大きな声がかかり、植え込みをバリバリ踏み荒らして乱入してくる者があった。
二人は飛び上がる。
次いで地べたに平伏した。
「アンドラス殿下!」
「ん? 家庭教師に用は無いぞ。誰かの逢瀬かと思って脅かそうとしたら、なんだ、男が二人。つまらん」
「殿下、初めてお目見えいたします」
カクトスがつっかえながら自己紹介しようとした。
「はあん、お前がメランの弟子のカクトスか」
「失礼ながら、我が師を呼び捨てにするのは止めていただきたい」
「ふうん」
アンドラスは尊大な態度で、カクトスの座っていたベンチに腰掛ける。
酒臭い。
「殿下、失礼ながら、その、少々お控えなさっては?」
「この病んだ宮廷で、酒無しで正気を保てるのか?」
老教師が茶を勧めた。
「薄荷と甘蔓の茶でございます。酔いざましにはうってつけかと」
小ぶりなカップに満たされた淡い緑色の茶。
少し湯気が立っている。
アンドラスはカップをつかむと一気にあおった。
「美味いな」
満足気に彼は感想を述べた。
ふらつきながら立ち上がる。
「明日また来る。茶の用意を頼む」
「かしこまりました」
深いため息が老教師の口から漏れた。
「健康な男児はもはやお二人だけと言うのに」
「第八皇子は、小馬に夢中」
「第三皇子は……」
体躯は立派である。
加えて先帝が健全であった頃は学問にも熱心だったという。
それが突然、酒浸りの毎日に変わった。
「あれではとても帝国を治めることはできますまい」
「ですが、茶は気に入られたようですぞ」
老教師は肩をすくめた。
「私はごめんこうむります。明日のお誘いは無用に願います」
はっきりこう言われてしまえば、無理にとは言えない。
翌朝、カクトスは一人で例の茶を準備させ、緊張して第三皇子アンドラスの訪れを待った。
名を知らぬ小鳥が歌うようにさえずる。
姿は茂みに隠れて見えない。
「どこにいるんだろう?」
声を追って四阿を囲む樹木を目で追っていると、ガタンと音がしてベンチが揺れた。
「……殿下!!」
アンドラスはベンチの背に両腕を掛け、脚を投げ出してだらしない姿をさらしていた。
相変わらず酒の臭いがする。
「皇帝陛下から良い酒を賜ったのでな。いただかなければ不敬にあたろう」
カクトスは黙って茶を淹れた。
昨日より大きめのカップになみなみと注いだ。
「酔いざましか」
「はっ。せっかく言葉を交わす栄を得たにもかかわらず、人と話しているか酒と話しているかわからないようでは……」
ばしゃっと、カクトスは頭から茶を浴びせられた。
服の袖で顔を拭って見ると、アンドラスが空のカップを持って真顔でにらんでいた。
(しまった。言葉が過ぎたか……)
「これのどこが酔っている?」
「は?」
先程までとは別人のように、背を伸ばし言葉もはっきりしたアンドラスがいた。
「殿下、これは……」
「改めて茶をもらおうか」
「はい」
小刻みに手が震える。
なんとかこぼさずに茶をアンドラスに差し出すと、今度は彼は美味そうに飲んだ。
「酔っぱらいの真似も大変でな」
「……」
「色のない酒を取り寄せて服に染み込ませている」
「……殿下!」
あの猜疑心に満ちた皇帝を騙すための芝居か──。
「カクトス、お前が黙々と馬になっていたのと同じだ。宮邸で生き残るには何かしら装わねばならぬ」
カクトスは膝が擦り切れた自分の服に目を落とした。
「騎兵隊の構成法を述べよ」
「はっ。まず、最も優れた者を騎兵隊長に任命します。そして彼に次ぐ者の中から、隊長に信任の厚いものを副隊長に任命します。全体の人数が示されておりませんが、一つの小隊の規模は十人を基本とし、供回りの者を各々おおよそ三から五人付け……」
話はアンドラスが手を振ってさえぎった。
「騎兵隊の最大の役目は?」
「敵の陣の最も弱いところを突破し、背後から襲い掛かることでございます。同時に前面は味方の重装歩兵が押さえ……」
アンドラスの目が満足気に細められた。
「馬の代わりに、私の手足になる気はないか?」
カクトスの心臓がはち切れんばかりに動悸を打った。
「それは……殿下にお仕えするということですか?」
「くどい」
「──喜んで」
「当分は酔っぱらいの看病だぞ」
「薬草の知識もございますれば」
「便利な男だな」
「必ずやお役に立っておみせします」
そんなに気張るなと言いたげにアンドラスは手を振った。
(あの甘ったれた皇子の側から離れられるなら、たとえ鍋から弾け出して熾火の中に飛び込むような冒険でもしてやる)
久しく忘れていた燃えるような心のざわめきを感じながら、カクトスはアンドラスの目を見返した。
「お前も酒を飲め」
「私も、ですか?」
「皇帝には飲み友達として貰い受ける」
なるほどと納得する。
果たしてその日の午後、カクトスの部屋には最上級のワインが黄金の酒杯、混酒器とともに、山と運ばれて来たのだった。
カクトスの運命が変わる……。
次回、第129話 深淵の皇帝
【突発放出まつり実施中】
約1週間、毎日更新に挑戦します。
明日夜8時ちょい前をお楽しみに!




