第八章 127.シデロスの野望
急遽予定変更、本日から1週間、毎日投稿させていただきます。
一晩ゆっくりと思案して、翌朝に僭主シデロスは彼の庇護のもとにあるセレウコスを呼び出した。
マッサリアの王位を巡る政争に敗れた彼は、シデロスに保護され、贅沢はできないものの穏やかな暮らしをしている。
今日も、シデロスの居室にはめられた窓の外は吹雪いている。
セレウコスは、両手を擦り合わせながら、その部屋に入った。
絹の上に、蛮族の装いさながらに毛皮を羽織っている。
寒ければ炭火を焚いて部屋ごと暖めていた故郷マッサリアの豊かな暮らしと大きく違う。
「こちらの暮らしには慣れましたか」
「お陰さまでと言いたいところだが、マッサリアが恋しい」
「そうでしょうとも。評議会会長にまでなられた方が異国暮らしでは」
静かに、それとなく、セレウコスの心に踏み入る。
「マッサリアでは、王と将軍たちの結束が強いと聞きます。ことに、エウゲネス王と父を同じくするマグヌス将軍」
「いや、そうでもない。恐るべきは智将テトス」
「ほう」
「女を巡る兄弟喧嘩で、エウゲネスがマグヌスを殺そうとしたことがあるくらいだ。二人の関係は盤石ではない」
「そんなことが」
「他国民には分からないことも多いだろう」
セレウコスは、寒さを忘れ悦に入って話し続けた。
「マグヌスは所詮南国育ちのよそ者。アルペドンあたりに飛ばされるのがちょうど良い。おっと、奥方はアルペドンの王女でしたな」
「お気遣いなく」
「老将ピュトンは将軍の座を降りた」
「ほう!」
「多島海の戦を勝ったと言っているが、漕ぎ手の反乱で海軍は今やものの役に立たぬ」
これはシデロスも知っている。
なるほど、マッサリアを支えている体制は弱体化していると言えるかもしれない。
「ところで、現在マッサリアを支配している者たちに一矢報いる手があるとしたらご協力願えますでしょうか?」
「むろん。エウゲネスに痛い目を見てもらうためなら、何でもする」
「彼から異母弟を奪えるとしたら?」
セレウコスは目を細めた。
マグヌスは兵士たちに人気がある。
「かなりの痛手となるだろう」
「協力願えますか?」
セレウコスは首を横に振った。
「すべて捨てて亡命した身。お役に立てるとは限らぬ」
シデロスは舌打ちした。
かたりと、彼の心のなかの歯車が動きを変えた。
「シデロス殿、このような田舎ではなく、いっそ東帝国に赴かれてはどうでしょう?」
「東帝国……」
ここには、かつてルテシア王国の肩を持った咎で国を追われた元評議会議員、スキロスたちが身を寄せている。
「春になれば定期的に船が出ます」
「……それも、良いかもしれん」
「東帝国で、皇帝陛下にマッサリアの非道ぶりを訴えるのです。あわよくば軍を動かし……」
「東帝国の軍勢を故郷に引き入れるというのか」
「追われた故郷ではありませんか」
セレウコスはしばらく考え込んでいた。
インリウム国の庇護のもと、いったん収まっていた野心がむくむくと頭をもたげる。
「……東帝国が動いてくれれば」
「それはあなた様の働き一つ。帝国軍は強い。三段櫂船は言うまでもなく、陸には戦象部隊まである」
弁論には自信のあるセレウコスである。
会ったことはない皇帝だが、説き伏せる自信はある。
「春までには日があります。ゆっくりお考えください」
「分かった」
少し小声で、
「ところで、若い女を一人、世話してくれぬか。夜が冷えてかなわぬ」
「良いでしょう。ご存分にお楽しみを」
セレウコスが礼を言って立ち去った後、シデロスはつぶやいた。
「やっと厄介払いができそうだ。帝国を焚き付けてもらえれば言うことは無い」
ほう、と一つため息をついたところに、扉の向こうから声がかかった。
「シデロス様、多島海のオロス島から使いの者が来ております」
「捨て置け。海賊どもに味方してマッサリアとことを構える気は無い」
「……ですが、この悪天候の中を参った者ども。会わずには帰らんと居座っております」
「仕方がないな。よし、行く」
「はっ」
シデロスは館の玄関のすぐ脇、普段は宴会に使っている広間でオロス島からの使者と面会した。
漕ぎ手たちは船で待っているらしい。
「我々はお前たちとマッサリアのいざこざには手を貸さん」
「そう言っていられるのも今のうちですぜ」
使者は乱暴な口をきいた。
「マッサリアの野郎ども、本気で多島海を押さえるつもりだ」
「どういう意味だ?」
やや当惑気味に使者に問い返す。
「マッサリアの評議会が新たに将軍を任命したんで」
「誰だ?」
「提督ゲナイオス」
使者の意図することはすぐに分かった。
引退した老将ピュトンに代わって、海洋の知識のあるゲナイオスに海上の権限を与え、多島海を手中に収めるつもりだと。
「──提督ゲナイオス」
「これまで通り上がりを得るのは難しくなった」
オロス島は、天候の悪い冬場の航路の重要な要所、インリウムの海軍からはお目溢しをもらっていたが、さて、マッサリア海軍はどう出るか?
「ゲナイオスとは一戦交えたことがありますんで」
それで改めて昔なじみの庇護者であるインリウムにお伺いを立てに来た次第である。
「マッサリア王国は、まだ海軍を動かせん。当分好きにしろ。インリウムは邪魔はせん」
「だったら良いんですが」
「まだなにかあるのか?」
「ゲナイオスの野郎、ルテシアの奴隷を漕ぎ手に決めやしたぜ」
反乱を起こした解放奴隷たちを、今度は奴隷をとして使い潰すつもりなのだ。
「つまり、船は動くってことでさぁ」
シデロスは額に手を当てた。
「よく知らせてくれた。銀貨五枚を与えよう」
「仲間の漕ぎ手の分は?」
「別にもう五枚。冬が終わるまで、インリウムに滞在して構わぬ」
使者は「ありがてえ」などと言いながら出て行った。
銀貨で身体を暖める酒でも買うのだろう。
シデロスは苦虫を噛み潰したような顔でそれを見送った。
「エウゲネスめ、本気で多島海を……」
マッサリアに多島海の制海権を握られてしまうと、大海戦の間インリウム自身の三段櫂船を温存した意味がなくなる。
「東帝国にぜひとも叩き潰してもらわねば」
厄介払いと思ったセレウコスが、急に重要な人物になってきた。
夏の終わりを願って「突発放出まつり」を実行いたします。よろしくお願いします。
第127話 出会い
明日夜8時ちょい前をお楽しみに!




