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第八章 126.僭主は考える

「そうか、皇女の殺害に成功したか」


 協力したインリウムの僭主シデロスは、感謝の手紙を膝に置いて窓の外を見た。


 窓枠に張られた雲母(うんも)越しに歪んだ冬の山並が見える。

 透き通った雲母は日差しだけを通し、北風をさえぎる。

 

 シデロスの居室は暖かかった。


 反マッサリアの議会を武力で解散させ、戦争回避と戦費税の廃止を掲げ、市民の支持を得て僭主として独裁制を敷いて、もう十年になる。


 マッサリアのエウゲネスが、南征を企てたのは想定外だったが、船を出す事を条件に実戦には加わらなかった。


 他方でアルペドンの王女フレイアを妻に迎えるなど、国際情勢を見て右に左に巧みに国の舵を取り、今のところ国内外に敵対勢力は居ない。


 今回の帝国の内政への協力も、政権安定の努力の一つである。


「東帝国に貸しができたな」


 フレイアがその両頬を挟み、ぐいっと正面を向かせる。


「帝国の内輪もめなど後でよろしいのです。オレイカルコスのことを考えてくださいまし」

「アルペドンから帰った者たちに話を聞いている。オレイカルコスは、あちらの言う通り王宮で手厚くもてなされていたらしい」

「それなのに、どうして!」

「アルペドンは名馬の産地だ。名馬は往々にして気が荒い。オレイカルコスが無理をして事故にあったのだ」


 アルペドンの宰相ゴルギアスから、遺骨を届ける丁寧な詫びの使者が来ている。


「オレイカルコスは、そんな子ではありません」

「分かっている」


 男子はオレイカルコス以外に四人もいる。

 この件をほじくり返して、アルペドンやマッサリアと事を構えるのは自分の得になるかどうか? この男はそれを計算しているのだ。


「マグヌスという男を知っているか?」

「私の妹を妻にして祖国アルペドンに居座っている、マッサリアの手先でしょう?」

「そんな呼び方はするな。多島海の戦で、一人で二十隻以上の三段櫂船を葬った切れ者だ」

「怖気づいていらっしゃいますか」

「いや」


 おいで、と、手招きをする。

 側に寄ったフレイアを膝の上に抱き上げる。

 耳にささやく。


「マルガリタとオレイカルコスが、男女の仲になっていたのは知っているか?」


 ビクンとフレイアの身体が跳ねた。


「まさか。マルガリタが夫を裏切って……」

「マグヌスが知って手を下していたら、どうする?」


 非は完全にオレイカルコスとマルガリタにある。

 姦通は死で(あがな)われるのが普通だ。


「その証拠に、マグヌスから詫びの使者は来ていない」


 叔母と甥の間柄でそういう関係になる。

 血を重んずるアルペドンではあり得ることだが、国が変わればそれとて親近相関の禁忌に触れる。


「私たちの息子がそんな失態をしでかすなんて」

「お前の目から見て、マルガリタはどんな女性だ?」 

「前の結婚が不幸に終わって沈み込んでいましたが、誇り高きアルペドンの血筋です」


 シデロスは、妻をしっかり抱きしめた。


「新たにアルペドンに人を送ろう。我々のアルペドン領は穀倉地帯と言いながら不作続きだ」

「そうしてくださいまし。マルガリタの口から真相を聞き出してくださいまし」


 妻は復讐が果たされると信じている。

 だが、シデロスを動かすのは打算だ。


「もう息子は送らないから、安心しなさい」

「あなた……」

「それからな、マッサリアに捕らわれたお前の母を買い戻すのは失敗した」

「まさか、(かね)を出し惜しみされたのですか?」


 ふふふ、と、シデロスは笑った。


「義母殿が拒否なさったのだ。売買される奴隷では無いと」

「私の母が……そんな」

「待遇は良いらしい。それに義母殿にも何かお考えがあるようだ」


 母はあちらの王子の世話係だ。

 兵を動かして、同時に王子を人質に取って……。

 そんなフレイアの不穏な心の動きを読んだかのように、


「マッサリア王エウゲネスは、母殺しの王だ。下手に手を出すと容赦無いぞ」


 フレイアは、夫の膝から滑り降りた。


「やはり怖気づいていらっしゃる」

「いや。慎重にと言っているだけだ。今回、一度王位を降りたが、すかさず取り返したのは知っているだろう」


 フレイアは、ちらと窓の外を見た。

 雪が舞い始めている。


「あなたが艦隊を派遣された件ですね」

「そうだ。グーダート神国の要請を受け入れた」

「マッサリアは海軍を動かすことさえできなかった!」


 シデロスは人差し指を上げて、フレイアを黙らせた。


「あえて動かさなかったのだ。未熟な腕で冬の海に出れば戦う前に沈む。はやる市民を押さえ、陸戦に持ち込もうとした将軍たちの力量を軽視してはならぬ」


 あくまで慎重な夫の分析に、フレイアは口を挟めない。

 その慎重さこそが、僭主という不安定な地位を安定させてきたのだと知っている。


「オレイカルコスの死の責任は必ず明らかにする。相手が王であってもが(うまや)の奴隷であってもだ」

「ええ。あの子の名誉と魂に掛けて」


 窓の外は吹雪になっていた。

 今年の冬は厳しくなりそうだ。


「自分の部屋に帰りなさい。そして、糸紡ぎと機織りに精を出すように女たちに言いなさい」


 本来、政治と軍事は男の仕事。

 口出しをするフレイアを、言外にたしなめる。

 

「分かりました」


 フレイアが去った後、シデロスの部屋は冷え込んできた。

 吹雪はしばらく続くと占いが出ている。


 ことを暴けば、我が子の不始末と暴走が表に出るだろう。

 アルペドンの宰相ゴルギアスたちと企てた陰謀の失敗はフレイアにも言わず、ただ胸に秘めている。


(マグヌスという男が、伝え聞くとおりなら、なんの非もないオレイカルコスを殺すわけが無い)


 しかし、妻が事故と納得してくれない以上、納得させる別の絵図を描く必要がある。


「マッサリアの力を削ぐには良い手かも知れぬ」


 もう一枚、柔らかい毛織の布を肩に重ねながら、シデロスは決意した。


厄介な人物がまた一人……。


次回、第127話 シデロスの野望


来週も木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!!

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