第八章 124.友からの手紙
皇女の死は病死とされた。
皇女の一派とみなされた者たちはほとんど処刑されて、永遠に口をつぐむ。
継承争いから遠い第八皇子は事実も知らず、相変わらず馬乗り遊びに興じていた。
ただ、カクトス自身は、漏れ聞こえてきた事の次第に戦慄し、帝国の裏の顔に恐るべきものを感じざるを得ない。
(昇進を望むのは刃の上を渡るようなもの)
しかし、決して馬係で終わるつもりは無い。
ある夜更け。
カクトスは眠れぬままに最近買い込んだ巻物を読んでいた。
クッションを重ねた安楽椅子、机に灯された灯り、心をすり減らす日常から逃避できる時間である。
数字ばかりが並んだ巻物はマッサリアの銀山経営に関する情報がまとめられたもので、機密文書との触れ込みだった。
彼は、遠来の商人から法外な値段でそれを買って、貪るように読んだ。
急成長を続けるマッサリア王国の資金源。
帝国の発行する金貨の地位を奪いかねない二十五リル銀貨。
ふう、とため息をつくと、巻物の芯の方から、ポロリと紙片が落ちた。
「なんだ、これは?」
床からつまみ上げて、はっとした。
小さな紙片に書かれた文字に見覚えがあった。
「マグヌス!」
署名も宛先もない。
ただ、この巻物を宮廷に持ち込めば、必ずカクトスが買うだろうという、確かな読みに基づいた賭け。
「この巻物の内容は嘘だ、だと。まあそうか、マグヌスなら、国家の機密を漏らすようなことなどしない」
カクトスは笑った。
皇子の世話係になって、初めて笑った。
「手紙は届かなかったが、踊り子は無事。そうか、それでここがわかったか」
多島海を巡る戦いには「辛勝」とのみ書かれていた。
「口に出せぬ苦しみがある。婚姻ならぬ婚姻、我が子ならぬ子。穏やかじゃ無いな」
一国を治める彼にも悩みがあるかと思うと、自分の焦りも卑小なものに思える。
できることなら、酒でも酌み交わしながら友の悩みを聞いてやりたいところだが、馬で数ヶ月の距離が二人を隔てている。
深夜の宮廷に、手を打つ音が響いた。
「御用を承ります」
寝ずの番を務める奴隷がひざまずいた。
「この巻物を売った商人はまだ居るか?」
「はい、数日は滞在して、ご婦人方にも絵など売ったりするようです」
「書物に不審な点がある。問いただしたいので、明日、ここへ呼んでくれ」
「かしこまりました」
早朝。
灰色の髪の、一見実直そうな男が、奴隷に伴われてやってきた。
外は朝を告げる鳥の声でにぎやかだ。
「早いな」
「カクトス様は待つのがお嫌いと聞いております」
「なに、私を知っているのか?」
一瞬、カクトスは頭の中を総動員した。
「マグヌス様にうかがいました。自分はアウティス。マグヌス様のために働いております」
ひざまずいた姿勢から見上げるアウティス。
不敵な目がカクトスを値踏みしていた。
「マグヌスめ!」
カクトスは、かろうじて一言口にした。
彼と自分の立場はこんなにも開いてしまった。
いつまでも皇子の馬係で良いはずがあろうか。
「本屋、もう良い。また面白いものがあったら持ってきてくれ」
「ははあ」
アウティスは平伏し、そのままの姿勢で言葉を継いだ。
「カクトス様はご存知ないかもしれませんが、西大陸は凶作で……帝国の穀物を輸入できないかとマグヌス様はお考えです」
「凶作……」
土地の薄い旧帝国の西半分は、数年に一度凶作に見舞われる。
カクトスは周囲を見回した。
聞き耳を立てる者は居ないかと。
早朝が幸いして、侍女も宦官も居なかった。
彼は身を乗り出すようにして尋ねた。
「南からの輸入はないのか?」
「ございます。また、マグヌス様が預かる領土に限れば、隣国からの援助もございます。しかしながら、今後のマッサリア王国の発展を考えれば、輸入先を広げて置きたいというのがマグヌス様のお考え」
アウティスは、すらすらとマグヌスの計画を口にした。
答えはすぐにカクトスの頭に浮かんだ。
「両国の間には大河が流れ、周辺は広大な湿地が広がっている。陸路ではなく海路が良いだろう。西側の多島海に面した港から積み出して、旧ルテシア領の港につければ良いが……残念ながら、自分にその権限は無い」
東帝国に招聘されたというだけで、マグヌスが自分に期待しているのが滑稽だった。
分厚い内政、複雑な軍制の仕組み、そして血縁を血縁とも思わぬ非情さ。
カクトスは、まだその端に取り付いたに過ぎない。
「マグヌスに伝えてくれ。マッサリアのような小国とは訳が違うのだと」
アウティスは冷静にその言葉を受け入れた。
「かしこまりました」
立ち上がろうとするアウティスを、カクトスが制した。
「ところで、マグヌスに子どもが生まれたのか?」
「はい。食料不足はさておき、アルペドン領挙げての祝いとなっております」
では、彼の手紙にあった謎のような言葉は何だろう?
「ここでも先を越されたか」
「カクトス様、人生は競争ではございません」
アウティスが丁寧に否定する。
「大胆な口を利くのだな。帝国で出過ぎた言葉を弄べば首が飛ぶ」
「これは失礼を。下賤な商人の戯言、お聞き流しください」
なめらかに詫びの言葉が出る。
これほどの者を使いこなすマグヌス、わが友にして永遠の競争相手よと嘆息する。
「では、失礼いたします。カクトス様に祖霊神の加護のあらんことを」
「またの便りを待っている」
「ご贔屓、ありがとうございます」
待っていた奴隷に連れられて、軽い朝食の準備ができている食堂へ行く間、アウティスは心のなかでぺろりと舌を出した。
残りの絵や書物など、叩き売って構わない。
何しろ、マグヌスと約束した金額の百倍の値段で、手紙付きの巻物をカクトスに売り付けたのだから。
(塩商人の息子らしい金回りの良さだぜ)
彼一流の計算だった。
そういう役得でもなければ、新婚のフリュネを置いて東帝国まで旅に出たりしない。
呼び出されるのも計算のうち。
下々の者でごった返す宮殿の食堂に席を占める。
「ここでたっぷり金貨を手に入れて、マッサリアで高く銀貨と交換しよう」
彼は、東帝国らしい強い香料の入ったパンをちぎりながらつぶやいた。
アウティスは、作者贔屓の登場人物です。
次回第125話 凶作
木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




