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第八章 122.皇子と皇女と

 カクトスが身の不運を嘆いていた頃、宮殿の正門である南の門を、きらびやかに着飾った一行が通り過ぎていった。


「インリウム国の使いである。皇帝陛下にお願いがあって参った」


 馬の額当てに刻印されたのは紛れもないインリウムの国の紋章。聞けば、インリウムの僭主からの国書を携えているという。

 納められた箱にもインリウムの紋章。


「入られよ」


 厳重に閉ざされた重い門が、かすかにきしむ音をたてながら開く。


 一行は門の内側で馬を降り、手足を洗い、衣服を改めて建物に入った。

 ヒヤリとした空気が一行を圧する。


 来客があった旨の知らせは当然皇帝と、そして同じく宮殿の奥深くに住まう第一皇女にも届いた。

 濃い茶色の髪と目をした皇女は、独自の情報網を宮殿内に張り巡らせていた。


「インリウムの使者と? 本物だろうな?」

「港からここまで、インリウムの使者が来たと話題で持ちきりです」


 その国は西の果て、陸続きではないが、海軍を持つ僭主の国と東帝国は海を介して繋がっている。


 先帝は皇女をかわいがっていた。

 その皇帝が急病に倒れてから、第一皇女は自分の有する棟にピタリと引きこもった。


「弟が先帝(ちち)に毒を盛った」


 そう信じる彼女は、暗殺を恐れ、食べ物も飲み物も吟味し、身辺には常に武装した兵を侍らせた。


「心配は無用、姉上の顔が見たい」


 弟の言葉は無視した。


 人と人の交わりは鏡を覗き込むようなもの。

 彼女がそこまで現帝を恐れるのは、彼女自身にもあわよくば現帝を廃して女帝の地位に駆け上がらんとする野望があったからである。


 彼女は、自分の代わりに、奴隷市で極上の美女を求め、皇帝に贈った。

 病身の皇帝の精を絞り尽くそうとの思惑だったが、彼女はほどなく皇帝の宝石に手を触れようとしたという罪で斬首となった。


 最後まで手を合わせて慈悲を乞い、異国の言葉を叫んでいた彼女だったが、女たちの門である北門に、首と胴とを離して晒された。


 第一皇女は、小さく舌打ちした。


 このように、一触即発の状態の二人だったが、今回のインリウムからの使いは両者の均衡を破る可能性があった。


「皇女殿下、インリウムの使者は、殿下のお輿入れを願うものだそうです」

「なに!」


 彼女は思わず叫んでいた。


「誰がインリウムなどという田舎の小国へ……」


 握りしめた拳が震える。


「そうか、お前たちにも探れなかった弟の動きはこれだったか」


 西の果てに嫁にやってしまえば、女帝の地位を狙うことはできなくなる。


「しかし殿下、よくお考えください。安全なインリウムの地で皇帝の崩御をお待ちになられては?」

「ふむ」

「皇帝の病は重く、時間の問題と」


 だが、と、彼女が反論しようとしたところへ、


「姉君、ご機嫌はいかが?」


 能天気な声がして、年の頃十七、八、淡い茶色の髪の若者が、足元をふらつかせながら入ってきた。

 皇帝の血縁者であることを示す赤に金糸の縫い取りのある衣服をまとっている。


「アンドラス! なぜここに……衛兵! 何をしている」


 皇女は甲高い声を張り上げる。


「しかも酒臭い……また飲んでいたのね」

「姉君や皇帝陛下と違って、庶子の自分は半分だけ喪に服せば良いでしょう」

「姉と呼ぶのは止めなさい。お前の母は田舎藩主国の娘なのだから!」


 アンドラスは、肩をすくめて見せた。


「おお怖い」

「酒浸りの意気地なし、炊事場で女たちの相手でもしていなさい。衛兵!」


 飛んできた衛兵二人に両脇を取られ、よろめきながら立ち去っていく。


「あれは酒で身を滅ぼすわね」


 皇女の口元がほころんだ。


 不幸な家庭である。


 死去した皇帝は、正妃との間に現帝、第一皇女の二子をもうけたが、それ以外にも多くの女性たちとの間に子をなした。


 残念ながら、男子では、第二皇子は病死、第四皇子は事故死、第六皇子は狂人、第七皇子は死産。

 生き残っているのは酒浸りの第三皇子アンドラスと神官になって政争から逃れた第五皇子、まだ幼い第八皇子だけだ。


 残りの皇女たちは長女である第一皇女に手懐けられ、帝位を争う競争相手ではない。


「あの死に損ないさえいなければ……」


 第一皇女は爪を噛んだ。

 皇帝は病の床から離れられず、皇位継承の儀式も病室で簡略化して行われたという。


「殿下、陛下からお言葉が」

「申せ」

「インリウムの使者を歓待する宴に出て頂きたいと」


 カッと頭に血がのぼるのを、彼女はやっとこらえた。


皇帝(あれ)も宴には出るのか?」

「宴そのものが、陛下が休んでいらっしゃる寝室の前室で行われるそうです」

「そうか」


 深く数度の呼吸。

 気を落ち着かせて、彼女は言った。


 お互いに引きこもり、防衛線を張り巡らせて警戒する相手。それが前室までとはいえ、自分に立ち入りを許すとは。

 もしかしたら、これが千載一遇の機会かもしれない。


「湯浴みの用意を。宴には最上の衣装で出てやろう」

「殿下!」

「当然、腕自慢のお前たちを伴う。インリウムの使者の前とはいえ、私に毛筋一本ほどの傷でもつけられればお前たちを許さぬ」


 彼女に心酔し、ひざまずいて見上げる兵たちに、


皇帝(あれ)はどんな手に出てくるか分からぬ。毒見役も帯同する」


 侍女たちがひざまずいた。


「毒見役、隙あらば、皇帝の盃に賢者の毒を盛れ」

「はっ」

「力に訴えてくるなら、こちらも応じよう。なに、あの死にぞこないの首くらい、私の手で絞め上げてみせよう」

「御心のままに」


 早くも湯舟の用意ができたと報告する声が響く。

 貴重な薔薇の香水をふんだんに溶かし込んだ微温湯に、皇女はゆっくりと顎まで浸かった。


 死んだり狂人となったりした兄弟に罪悪感は無い。

 そもそも自分が手を下したのか、弟がやったのか、それさえも分からない。


 数刻後に迫っている殺戮の情景をまぶたに描きながら、彼女は目を閉じた。



帝位を巡る争いが表面化します。生き残るのはどっち?


次回 第123話 赤い部屋


来週も木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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