第七章 118.シュルジル峠再び
二人の指揮官に先行して、マグヌスはわずか十名の部下を連れてシュルジル峠へとロバの足を急がせた。
悪路をものともしないロバのヒンハンは、戦闘に向かわないときのマグヌスの良き相棒である。
それを知っているヨハネスは、重装備に身を固めながら、どこか緊張を欠いていた。
「マグヌス様、山賊やグーダート神国の連中と戦うことはないのですか?」
「私は約束を果たしに来ただけだよ」
アルペドン領内に山賊の居住地を与えるという約束。
マグヌスは律儀にそれを守るというのだ。
「山賊相手ですよ」
「同じ人間同士、約束は守るものだ」
冬の低い日差しを受けながら草木もまばらなシュルジル峠の入り口に着く。
「頼む」
ヨハネスにヒンハンの手綱を預けたマグヌスは、峠の切り立った斜面をよじ登り、足場を確保して山全体に呼びかけた。
「レステス! 出てこい。ラウラの子マグヌスだ。約束を果たしに戻ってきた!」
ルークとヨハネスが出向いたときは巧妙に逃げ隠れて姿を見せなかった山賊たちが、その声に反応した。
「親分の名前を知ってやがる。お館に伝言だ」
冬の日は短い。
太陽がやや傾く頃、レステス自身がマグヌスの背後の斜面に姿をみせた。
左右に弓を構えた手下が控えている。
「約束だと?」
「ああ、忘れたか? お前たちに小麦を作れる土地を約束したはずだ」
「お前たちは約束を守らねえものだ」
マグヌスは足元を踏み直して斜面を見上げた。
「関税は、きちんとお前たちに払われてきただろう?」
レステスは手下に弓を下ろすよう合図した。
「ちょっぴり、ちょっぴり、な」
「足りなかったというのか?」
「ああ、足りねえ」
「では、私に着いてきてくれ。お前たちの土地に案内する」
「簡単に家を捨てるわけにはいかねえよ」
「二年あった。移住の準備をしていなかったのか?」
真っ直ぐなマグヌスの言葉に、レステスはたじろいだ。
信用などしていなかった。
関税として与えられる金品は、実際には十分に彼らを潤していたが、いつでも略奪に転じられるよう剣は研いであった。
「ここを立ち去ったほうが良い理由がもう一つある」
マグヌスは落ち着いて説得の言葉を重ねた。
「シュルジル峠一帯は間もなくアルペドン、マッサリア連合軍と、グーダート神国との戦場になる」
「なんだと」
「私はお前たちが住み着く前にシュルジル峠でグーダート神国軍を撃退したことがあるが……今回はそれ以上の激戦になるはずだ」
姿を見せない山賊たちに動揺が走った。
「お前はあの戦いの指揮官だったのか!」
「そうだ。麓に探りを入れてみろ。もう住民の避難が始まっている」
さらなる動揺。
「信じられないなら、この身を質として預けよう」
なんでもないことのようにマグヌスは言う。
「……分かった」
レステスが息を吐いた。
「本当かどうか確認できるまで、お前は館に来てもらう」
「良いだろう」
マグヌスは麓のヨハネスに向かって大声を張り上げた。
「ヒンハンを長手綱でその辺に繋いで、お前たちは帰ってくれ。私はしばらくここに残る」
「将軍! そんなことはできません!」
「嫌なら、一緒にレステスの客になるまでだが、それでも良いか?」
ヨハネスは彼なりに知恵を絞った。
最近、マグヌスの手足と言うより、自分の判断が求められることが増えた。
名実ともに騎兵隊長の役目を負うようになってきたということだろう。
(そうだ)
マグヌスが一人で山賊たちの中にいると、ゲナイオスたちに伝えよう。そうすれば、王はなんとかしてくれるだろう。
「分かりました! 退却します!」
マグヌスは、レステスたちに笑ってみせた。
「ほら、これで私一人だ。ヒンハンに水をやるのだけ頼む」
マグヌスが山賊たちを説得している間に、彼が山賊たちに告げたとおり、二つの勢力がシュルジル峠に迫って来た。
アルペドン側からは、ゲナイオス王とエウゲネスを先頭に、アルペドン人の軽装騎兵二千、マッサリアの重装歩兵六千。
グーダート神国からは、神に選ばれた指揮官が、騎兵千人、軽装歩兵千人、重装歩兵五千人を率いる。
軽装歩兵は特に弓に優れた者が選ばれ、かつて突破できなかったシュルジル峠を破ろうと復讐の念を燃やす。
「本当に来やがった……」
山賊たちは震え上がった。
両国の正規軍の強さは知っている。
「さあ、どっちが先に峠を占領して罠を張るかな」
他人事のようなマグヌスの物言いに、レステスは反発した。
「俺たちが踏み潰されるじゃないか!」
「もちろんそうなる」
にこりと笑って、
「私に着いて来ない限りは……」
「くそっ、移住だ。引っ越しだ。野郎ども、金目のもの、根こそぎ引っ担げ!」
大慌ての準備が始まった。
女子どもの声もする。
「あんた、家の守りの炉の火を忘れずに!」
「小僧に持たせろ!」
姿を現した山賊たちは案外小人数で、五百人ほどだった。
「準備ができたら、峠道に降りて」
マグヌスが、半ば滑りながら、シュルジル峠の道に降り立つ。
主の姿を認めて、ヒンハンが嬉しそうにいななく。
「さあ、私の後に続いて」
峠を挟んでにらみ合う両軍を見下ろしながら、ロバに乗ったマグヌスに先導されて大荷物を抱えた山賊たちが家族連れでぞろぞろ歩いていく。
「だ、大丈夫なんですかい? どっちもやる気満々に見えますが……」
レステスが、鍋の包みを抱え直しながら、マグヌスに聞く。
「私が一緒にいる限り大丈夫だよ。」
マグヌスに率いられて、アルペドン、マッサリア連合軍のただ中へ……。
「ゲナイオス王、シュルジル峠の山賊たちは全員退去します」
「認める!」
マグヌスはヨハネスを呼んだ。
「ほら、大丈夫だったろう」
「マグヌス様……」
「ゲナイオス王、エウゲネス様、戦端が開かれる前に、山賊たちの始末がついたことをグーダート神国に伝えてください」
伝えるも何も、彼らもまた、山から不穏な人影が集団で退去する様は確認している。
「グーダート神国が血を流す理由が無くなったな」
「エウゲネス殿、申し訳無いがご自身でグーダート神国の指揮官に交渉してはもらえんだろうか?」
「もちろん。義弟が危険をおかした始末は自分がつけよう」
ここまで進軍してきたグーダート神国の面目を潰さずに、いかに戦いを避けるかという最後の難問は、エウゲネス「王」自身が足を運び、グダル神の前に膝を屈して見せたことで解決した。
シュルジル峠は、再び戦場にはならなかった。
エウゲネスは以前義父のミタール公から「戦うだけが能ではない」とたしなめられています。成長したかな?
次回 第119話 冬の和睦
木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!!




