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第七章 115.嵐の前に

 「お帰りなさいませ」


 マルガリタから声をかけられて、マグヌスは硬直した。

 彼女の部屋をのぞき込む。

 彫りの深い顔が少しやつれ、膨らんだ腹部は衣服のヒダで巧妙に隠してある。


「うむ。帰った」


 ぎこちない会話と沈黙が流れる。


「革でも焼いたのか? 凄い臭いだ」


 とりなすようにルークが助け船を出す。


「申し訳ございません……」

「どうした?」

「この子を流そうとしました」

「……何ということを。大事ないか?」

「はい」


 マグヌスは単に、テラサに「子を流すのは危険だ」と言われていたのを復唱したに過ぎない。

 しかし、マルガリタは夫としての思いやりと解釈した。


「マグヌス様……申し訳ありません」

「よい。身体がつらかろう。休め」

「はい」


 マルガリタは素直に寝椅子に戻った。

 背を向けたマグヌスに、


「踊り子たちに慰められています。ありがとうございました」

「それは良かった」


 そそくさと立ち去るマグヌス。

 とりあえず、夫婦らしい会話はできた。

 深いため息をつく。


「このまま許すつもりか? 腹の子の父親はオレイカルコスだぞ」


 ルークの諫言が耳を刺す。

 

「言ったろう。腹の子に罪は無いと」

「生まれれば王子様か王女様扱いだぞ。街の様子を見たか?」

「知っている」

 

 ルークは、深い悩みに覆われた親友の顔を見て、口をつぐんだ。

 彼の優しさは誰よりも、ミタール公国での騒動の際、チタリスの石牢から救われた自分がよく知っている。


「まあいい。まだ時間はある。それよりも、グーダート神国の本意は、マッサリアとの戦争ではない」

「そうでしょう」


 マグヌスの黒い目が急に生き生きと輝き始めた。


「漏れてもいいように、ヨハネスには援助を頼めと言付けましたが、良く見抜いてくださった」

「お前が散々苦労しているピュルテス河、運河に水を流して干上がらせた湖に、シュルジル峠の山賊を住まわせようってんだろ」


 長い付き合いならではのピッタリあった呼吸。


「グーダート神国は、シュルジル峠の山賊がまだ一掃されないのでしびれを切らしていたよ」

「上手くマッサリアへの宣戦布告に誘導してくれて助かりました。マッサリア本国では、セレウコスが泡を食っているでしょう」

「喜んでばかりはいられないぞ。戦争になるのだから」


 濃い眉をひそめ、


「小規模な山賊討伐をやるか。マッサリアから本隊が来る前に」

「良いですね。ヨハネスを使ってください」

「お前さんは来ないのか?」

「ピュルテス河の進捗状況を調べたいと思います」


 うなずく。

 

「じゃあ行ってくる。ちょうどひと暴れしてぇ気分だからよ」

「気をつけて」




 マグヌスは、ゴルギアスに頼んでピュルテス河の運河を掘削していた責任者を呼んでもらった。

 自嘲気味にゴルギアスを「自分より偉い人」と紹介したが、実際、彼抜きではアルペドンの内政は回らない。


「こちらがディオルコス、夏の間中掘削工事の責任者を担当しておりました」


 マグヌスは、王座から立ち上がって、その人を迎えた。

 初老に達そうという年頃、ただ筋肉はしっかりしており、背の高さはマグヌスとさほど変わらない。


「顔を合わせるのは初めてだな。私はマグヌス。ディオルコス、しっかり働いてくれてありがとう」


 ディオルコスは、居心地悪そうにうつむいてしまった。


「命じられたことをやっただけです……運河にはもう、水が通せます……たぶん」

「素晴らしい。なるべく早く開通させてくれないか?」

「人手が足りませんので……」


 煮えきらない言い方が特徴的だ。

 ゴルギアスが耳打ちする。


「かつて王宮に呼び出されるときは、ピュルテス河が氾濫した叱責を受ける場合だったのです。運河はほぼ完成しておりますし、三日月湖の水をいつでも通せます」


 上目使いに様子をうかがうディオルコス。


「緊急事態だ。人手は手配する。運河を開通させてくれ。そして、お前を土木管理長官に任命する。当座の資金として銀貨百枚を与える」


「聞いただろう、昇進だ。」


 ディオルコスは、目をパチパチさせている。


「頼むぞ」


 出口に向いたディオルコスにマグヌスは言葉をかけたが、彼の頭の中はもう、これからの段取りでいっぱいだった。


(水を切った三日月湖が干上がるまで、どれくらいかかるだろう……)


 できれば万全の体制で山賊たちを迎え入れてやりたかったが、やむを得ない。

 税関を設けて通行料の一部を渡すという取り決めで山賊の被害は減ったはずだが、グーダート神国にしてみれば、グダル神ではなく祖霊神を信仰する山賊たちの存在自体が許せない様子だ。


 王の間の脇にある執務室で地図をにらみながら、彼らの一時の滞在地を探していると、案内も無しに入って来た者がいた。


 入口で形ばかりの咳払いをすると、


「おうおう、マグヌス、無事だったか。たった一人で敵の中へ入ってしまったから、俺はもうてっきり死んでしまったと……」


 懐かしい顔が戻ってきた。

 しかも女連れである。


 アウティスは馴れ馴れしくマグヌスの背を叩いた。


「どうやって葬式を出そうかと、ナイロで泣いていたんだぞ」

「その割にはお元気そうですね」


 マグヌスは笑いを噛み殺した


「情報通のあなたが、知らない訳はないでしょう。それに、そこの御婦人は?」

「お前さんが残して行ってくれた銀貨のおかげだよ」

「随分良い思いをなさったようだ」


 彼らしくなく、アウティスは照れ笑いして、頭をかいた。


「返せなんて言わんだろ。トラス島で買ったんだ。とびきりの女だよ」


 アルペドンではなく、マッサリア風に人前では深くベールを被っていた女が、それを外した。


「な、いい女だろ」


 マグヌスは運命の神を心の中で罵倒した。


「フリュネ!!」

「なんだ、知り合いか?」


 つまらなそうに、アウティスが声を出す。


「マグヌス、よくもトラス島に置いていったわね」

「この女は元ルテシアの間諜、ルルディ様を差し置いてマッサリア王の(しとね)にはべった女奴隷ですよ!」

「じゃあ、この女が言ってたのは本当のことか。すげえハクがついた奴隷を拾ったもんだ」


 満足げなアウティス。


「ところで、マグヌス、お前さんに頼みがあるんだが……」

「銀貨だけでは足りませんでしたか?」


 ここはやや皮肉を交えてマグヌスはきつい声を出す。


「フリュネを解放してやって欲しい。俺の妻にするんだ」

「お断りします」

「なんだい、そんなに権限を出し惜しみして……」

「他の方に頼んでください。私はこの女性(どれい)と関わるのはまっぴらごめんです」


 フリュネも負けじと食ってかかった。


「こっちから願い下げよ。エウゲネス様のお心を捉えるのを散々邪魔しておいて!」

「ルルディ様に無礼を働く者は許さん!」


 終わりのない口論に、アウティスは天井を見上げた。



マグヌス、マルガリタの夫婦間は改善の兆し?


次回 116話 指揮官 ゲナイオス王


いよいよ本隊がアルペドンに到着します。


来週夜8時ちょい前をお楽しみに!

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