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第七章 113.暗い帰途

 エウゲネスの追放がいったん中止された時点で、マグヌスは代官職を全うするために、アルペドンへの帰途についた。生き残った四千の兵は一足先に帰している。


 気心の知れたヨハネスこそいないが、いつものテラサたちと、数名のアルペドン兵との身軽な旅である。


 驚くべきことに、マグヌスに救われた南国の舞踏団とその長であるペトラも、ともにアルペドンへ旅立つ事を決めた。その陰に隠れるようにクリュボスがもう一人。


「だって、マッサリアはどうなるか分からないんですもの」


 智将テトスやドラゴニアとその父リュシマコスら、大物に売り込む機会ではあったが、彼女らは安全を選んだ。


「にぎやかな連れだな」


 出発前に、ゲナイオス王は無理に笑って見せた。 


「グーダート神国の軍事力を利用するとは、余人には思いつかぬ策だ」

「彼らとの約束を果たしていませんからね。そこを突けば、グダル神に問うまでもなく彼らは戦いを挑むはず」

「そして、アルペドンへの宣戦布告は、自動的にマッサリア王国への宣戦布告になる」

「戦いが小競り合いで終わることを祈ってください。事前の準備はできる限り進めておきます」


 ゲナイオス王ならうまくさばききるだろう。


「民会まで見届けなくてよいのですか?」


 アルペドンの兵士が言うのも、もっともである。

 だが、マグヌスは信じていた。

 遠隔地とはいえ、海軍まで持つグーダート神国が宣戦布告をすれば、戦いの経験のないセレウコスが王になることはない。また、共に戦ってエウゲネスの力量を知っているゲナイオスが、エウゲネスに王冠をかえすことも間違いないと。


 アルペドンの様子がどうなっているか気は急くが、足弱な女たち連れ、無理はせずに野営の時間はたっぷり取って帰り道を進む。


 あの月蝕から随分たって、細くなった月が野営地を照らす。


 マグヌスは、野営地を見廻る足を止め、不意に立ち止まった。


「義母上……」 


 テラサには何も見えなかった。


「……義母上、ここしばらく冥府に落ち着かれたものとばかり」


 黄色いオオカミの毛皮をまとった女人が、顔を伏せて泣いていた。


「警告に現われたのです。お前の妻は罪を犯しました。許されざる大罪を」

「不貞のことならすでに知っております」


 クククッと女性は笑いを噛み殺した。


「知らぬならそれが幸せ。暗い夜に神を冒涜するなど。恐ろしい」

「どういうことです!」


 テラサが腕をつかんで揺さぶった。


「マグヌス様、誰と話しているのです! しっかりしてください、マグヌス様!」

「黙れ。義母上、はっきり教えて下さい」

「忠義者よのう。災いが及ばぬように姿を隠していたのだけれど……」


 とたんに、テラサにも、声に驚いて駆けつけた兵士たちの目にも黄色いオオカミが道の真ん中に立っているのが見えた。


「マグヌス様、危ない!!」


 一人がとっさに槍を繰り出した。


「無駄だ。それに、もう消えた」

「なんです、あれは」

「私達に取り憑いている先の王妃の亡霊だよ。また、マルガリタが何かやったのかも知れないな。マッサリアに伝わる因縁をアルペドンに持ち込んですまない」

「……マグヌス様、他人にまでくっきり見える幻覚とは……」

「分かっただろう、テラサ。あれは、お前の薬湯では消えないんだよ」


 意気消沈気味のテラサを侍女たちの幕屋まで送り、マグヌスは、月明りで自分の幕屋まで戻った。


「あれで良かったんだ」


 やっと戦いから解放された兵士たちを、またグーダート神国との戦いに動員する愚。

 エウゲネスはともかく、なによりもルルディを路頭に迷わせたくなくて……。


「グーダート神国に要求された山賊退治が終わっていないのは確かだから」


 帰ったら真っ先にピュルテス河の掘削の進捗状況を尋ねよう……そう思いながら彼は肌着だけになり、きしむ寝台に身を横たえた。




 アルペドンの見慣れた城壁が見えてくると、知らせをやったわけでもないのに、城内から出迎えの人々が次々と出てきて、マグヌスのロバ、ヒンハンを取り囲んだ。


「おめでとうございます」

「神々の御加護があらんことを」


 口々に祝福の嵐。

 群衆をかき分けて宰相ゴルギアスが姿を見せ、事情を説明する。


「皆、マグヌス様とマルガリタ様の初子を待ち望んでいるのです」

「それで通すつもりか?」

「民が望んで止みません」

「マルガリタは……変わりないか」

「はい」


 正直驚いた。

 異国人の夫を持ちながら、なおこれだけ支持されるアルペドンの血統。

 マルガリタを廃してテラサを妻になど、この立場ではありえないことをマグヌスは思い知るのだった。


「安産を願う祭壇が設けてあります。城門で帰国の清めを受けられたら、真っ先にそこへ」

「……分かった」


 そこで思い出して、


「ゴルギアス、有名な舞踏団が同道してくれた。紹介する」


 マッサリアとも南の国とも違う(おもむき)に目を丸くしているペトラたちを引き合わせる。


「ペトラ、こちらが宰相ゴルギアス殿。たぶん私以上にアルペドンでは偉い人だ」


 とんでもないと首を振るゴルギアスを囲む異国の美女十人。

 いずれも浅黒い肌と癖のある髪に、強い香水が香る。身体にピッタリした透けるような麻の衣はいささか寒い様子で、もう一枚、彩り豊かな上掛けを羽織っている。


 黒髪に翠の目の乙女が進み出て、


「私がペトラ。この舞踏団の長です」

「驚いた。こんなに若くて」

「うかがえば、マグヌス様の奥方が身重とか。せめてもの慰めに、異国の舞を披露いたしましょう」


 ゴルギアスは当惑した。

 芸女(ヘタイラ)といえば、奴隷相当、宴の添え物、寝床の相手のはず。

 それをいっこう感じさせないマグヌスとペトラたち。


「彼女たちは自由民だし、南の国では芸女の立場は違うんだよ。失礼の無いように頼む」


 ヒンハンから降りて、群衆の投げかける花を受けながら、マグヌスは言った。


 マルガリタがどう自分を迎えるか、重い石のようなものを心に感じながら……。



アルペドンへ帰るマグヌス。しかし問題山積です。


次回第114話 目覚め


来週も木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!

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