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第七章 112.敵こそが味方

 ヨハネスは目を覚まして仰天した。

 アルペドンの留守居を任されていたルークが、シュルジル峠へ向かい、グーダート神国へと出発してしまっていたからだ。


「マグヌス様からの伝言を」

「ご心配無く。貴殿は確かに使者の役を果たされましたぞ」


 補佐官ヒッポリデスがなだめる。


「それなら、なんで武器の物音がしてるんだ?」

「ルーク様が、グーダート神国の宣戦布告があると」


 あんぐりと、ヨハネスは口を開いた。


「マグヌス様は援助を求めろとおっしゃったんだ」

「ルーク様のお考えでしょう。マグヌス様は全幅の信頼を寄せていらっしゃる」


 自分が行こうにもグーダート神国に有力な伝手(つて)は無い。


「マグヌス様……なんとかしてください」


 まだまだ自分はマグヌス将軍の意図を察する、一番の理解者には及ばない、と彼は頭を抱えた。





 マッサリアに戻り、盾と槍を置いた兵士たちは、それぞれの土地で一息ついていた。


 おもむろに、例年にやや遅れて、麦を撒く。


 乾ききった夏が終わり、柔らかな雨に誘われて麦が育つ。


 いつもなら、つきっきりで様子を見回り、食い荒らす野ウサギでも見かけようものなら、逆に取って喰おうとする彼らも、今年ばかりは勝手が違った。


 民会が開催される。


 老人たちは、自分の知っている限りの古い知恵を集め、この大事に備えるよう若者に警告した。


 マッサリアの国土は、今は広い。

 泊りがけでやってくる者も少なくない。


 市民権を持つ成年男子は約十万人。


 評議会に預けていた自らの投票権を行使するために、大劇場に集まる。


 議題は先の多島海の決戦末期のルテシア人解放奴隷の反乱。そして最終戦での思わぬ苦戦。


 その責任が王に有るか否か、王の罷免は適切かどうか、自分たちの手に握った陶器で決めるのである。


 開催の日取りは、祖霊神の神殿の占いによって慎重に決められた。


 国の隅々にまで、日時と議題を知らせる使者が飛ぶ。


 民会会場までの旅費は自弁、しかも、この時期だとオリーブの貴重な収穫期を削られる。

 しかし、それでも彼らの多くは、王都への旅を選んだ。

 一番良い服を来て、里ごとに連れ立って……。



 民会に先立って、ゲナイオス王は、一つの譲歩を評議会から取り付けた。


 エウゲネスの追放を一時中断させたのである。


 民会で新たに議論し直すのであるから、当然と謂えば当然ではあるが、エウゲネス派はわずかばかり安心した。



 民会初日。

 大劇場に集まった市民は、郷里の制ごとに古い大理石の階段に座る。見知った者同士なので、混乱は無いようだ。

 当事者はそれと別に最前列に並ぶ。


 祖霊神への感謝の言葉、雄牛を生贄に、民会開催の儀式が行われる。

 生贄を焼く煙が、天高く祖霊神のもとへと登ってゆく。


 神の思し召しか、雲は低く垂れていても雨は落ちて来ない。


 市民たちは、息を詰めて素朴にして荘厳な儀式を見守った。


 民会の議長として選ばれたのはリュシマコスだった。

 まず、評議会議長のセレウコスが、エウゲネスを糾弾する長い演説を行う。

 一言で言えば、ルテシア人の漕ぎ手たちの反乱を許し、海軍力を実質的に失った失策を責めるものだった。


「エウゲネスの反論を許す」


 リュシマコスの言葉に、エウゲネスが立ち上がったとき、大劇場に駆け込んで来る者があった。


「……大変です!」


 音響に配慮された大劇場、彼の声は大きく響いた。


「グーダート神国が、我々に戦いを宣言しました!! ここに、布告状が……」


 一呼吸あって、リュシマコスが、


「セレウコス、今までマッサリア軍を率いてきたエウゲネスを批判してきたあなただが、今回の難事にはどう対応されるかな」


「セレウコス、盾を持て!」


 エウゲネスが声を上げた。


 セレウコスは絹の衣で顔を覆った。


「セレウコス、盾を持って国を護れ!」


 唱和するように市民たちから声が飛んだ。

 それはうねりとなり、これまで、(かね)の力で兵役を逃れていたセレウコスを叩きのめした。

 彼は、無力な幼児のようにうずくまり、怒号が小さくなる隙を見て大劇場から逃げ出した。


「皆、静かに!」


 ゲナイオス王が発言を求めた。


「グーダート神国の宣戦布告、事実なら自分が受けて立つ。先の月蝕はこの凶事を告げていたのかもしれぬ。それはそうと先王エウゲネス、その他の将軍たちも戦に無くてはならぬ人物、敵を打ち負かすまでは、元の地位に戻して協力を得たい」


 リュシマコスが、議席を見回した。


「反対意見は?」

「反対意見ではないが……」


 と、ゲナイオス王が続けた。


「自分自身、これだけ大きくなったマッサリア王国を率いて行くには力不足と感じる。三段櫂船をいささか失ったとはいえ、エウゲネス殿こそ、王にふさわしい」


 ざわざわと議席が動く。

 リュシマコスは髭をなでながら、ゲナイオス王に訊いた。


「で、ご自身はあくまで植民市の復興に向かわれるのかな?」

「いや、海軍の再編にこそ力を尽くしたい」

「なるほど」


 リュシマコスが、一歩、聴衆の方へ歩み寄った。


「市民たちよ、我が同胞(はらから)よ、ゲナイオス王の今の言葉をどう聴かれた?」


 しん、と水を打ったように静まる大劇場。


「評議会の決議は重い。それを覆して、エウゲネスの王位復活を認めるか否か。皆々の心によく問うて、手の中の『是、否』の証を投票していただきたい。人数も多い事ゆえ、投票は明朝日の出とともに開始する」


 翌日一日かけて投票が行われ、次の一日をかけて集計が行われた。


 圧倒的支持を集めたのはエウゲネスの復位で、彼の王座復帰は決定した。


 ただ、今回のグーダート神国との戦いの指揮を取るのは、宣言通りゲナイオス王である。


「出陣は王の親衛隊とアルペドンの精鋭に限る。残りの友は安心して畑に戻っていただきたい。」


 力強いゲナイオス王の言葉は、投票するまでもなく万雷の拍手で認められた。




民会の開催に、グーダート神国の宣戦布告……。

波乱は続きます。


次回第113話 暗い帰途


毎週木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!

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