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第七章 111.旧劇場にて

 爽やかな秋風の中、奴隷たちは草を抜く。


 旧帝国が栄えていた頃、ここは大きな劇場で、神々の祭礼ごとに詩や歌、演劇が奉納されていた。おおよそ八万の民衆を収容する大劇場である。


 分裂後、紆余曲折の末、決して大国とは言えぬマッサリア王国の所有となったが、国の各市にそれぞれ住まう民を全て集める事は無く、持て余し物と成り果てていた。


 今回、新王ゲナイオスが先の王エウゲネスの罷免の可否を巡って「民会を招集する」と宣言したため、旧き法に則って全ての成年市民を集めるために、この場が選ばれた。


 屈んで草を引きちぎっていた奴隷が、小低木を見つけ手を上げる。見張りの兵士が鎌様の刃物(ハルパー)を持って、ギシギシと根本から削り取る。


「いつになったら終わるんだ?」

「王様に聞け」

「どっちの王様だ、ん?」

「エウゲネス様しか考えられねぇ……」


 腰を伸ばして、


「評議会のヒヨッコどもは何を考えてるんだ?」

「わかりきってるだろ、エウゲネス様の独断が許せなかったのさ」

「木陰で涼んでいた連中が! 特に議長のセレウコスってやつが腐ってる」

「シッ、聞こえるぞ」


 大劇場は現在の王都の隣の小高い丘をえぐり取った形に設計されている。昔はこの劇場も王都含めて長い壁が築かれていたのだが、十年ほど前、智将テトスがまだ敵方だった頃に破壊された。

 今の王都は一回り小さい。


 昔話はさておき、秋の農作業が一段落して冬の雨が降り出す前に、民会は開催されるだろうというのが今のところの見通しだ。


「嫌になるな」


 草や低木に覆われた古い大劇場を掘り返しながら、兵士はぼやいた。

 彼は自分の土地を持っていない。

 愚かなことに賭博のかたに取られてしまった。

 そのまま、やけになって他国に流れて肩身の狭い暮らしをするか、最悪奴隷になるかしても不思議は無かったところ運良く、最初は新しく将軍になったマグヌスの元で金を貰って働き、次いでエウゲネスの親衛隊に抜擢された。

 新王ゲナイオスは、この親衛隊を重視し、彼らの雇用を真っ先に約束した。

 そこまではいい。

 だが、与えられた仕事が奴隷と一緒の草むしりではパッとしない。


「ゲナイオス様はエウゲネス様に戻って欲しいんだ」

「人の心は計り知れぬもの。軽々しく口にしない方が良いよ」


 背後から返ってきた言葉に、彼はハッとする。


「マグヌス様……」

「マグヌスだけでいい。私も将軍職を解かれた」


 彼もまた、このパッとしない重労働に駆り出されたとみえる。

 相変わらず日にやけた黒髪を後ろで束ね、黒い瞳をいたずらっぽく輝かせている。

 以前と違うのは、テラサたち侍女が心を込めて織り上げた真新しい衣類をまとっていること。白に臙脂(えんじ)の縁取りが鮮やかだ。


「マグヌス様、セレウコス議長は、なぜエウゲネス様を追放までなさるのですか?」

「小麦が熟れ、刈り入れるばかりになったと思ってるんだよ。多島海を制圧してくれればもう用済みだと」

「俺たちの苦労を……」

「悔しいのは分かる。しばらくこらえてくれ」


 マグヌスは、兵士の肩に手を掛けた。


「民会は、エウゲネスを支持するよ」

「本当ですか!」

「あぁ」


 マグヌスは曖昧に笑った。


「評議会の方から、戻ってくれと頼むさ」


 兵士は黙った。

 マグヌスは開けっ広げのようで肝心な事は言わない。

 彼の真意を知るためには、ただ付いていくしかない。


「さて、やっと四分の一は終わったかな」


 兵士が作業に戻るのを見て、マグヌスは劇場全体を見回した。


「舞台の背景までは手が回らない。自然の樹木を背景にしてもらおう」


 小さく息を吐き、


「そして、こちらの舞台には、新たな役者の登場だ」





 マグヌスの一番の部下であり、他の兵士から「隊長」と呼ばれるのが板に付いてきたヨハネスが、馬を走らせていた。


 行き先はアルペドンの王宮。


「ルークと相談して、グーダート神国に援助を貰え!」


 騎兵隊長だけでなく、危険な密命を任されるほど、彼は信任されるようになっていた。

 マグヌスは彼にそう命じていた。


 評議会は、うっかりなのか、冷遇されていた異母弟(マグヌス)は、エウゲネス王に反感を持っているはずと信じられてか、アルペドンの公領はマグヌスに支配権を与えたままになっていた。


 おそらくセレウコスたちは、ピュトンが悪し様にののしるのを聞いて、敵の敵は味方と誤認したのであろう。


 部下が着いてくるのを確かめながら、ヨハネスは馬をとばした。

 マグヌスが育成に心を尽くしたアルペドンの良血馬。

 副え馬と代わる代わる乗り継いでひたすらに走る。


 レーノス河の浅瀬を渡り、濡れた(ひずめ)が乾く間にドラゴニアたちが掛けた橋を渡り、夜は草を枕に、パンと乾燥肉だけで、アルペドン領への道を走破した。


「何事だ?」


 留守居の重責にいくぶんやつれたルークが出迎える。


「マルガリタもゴルギアスもおとなしくしているぞ」

「違うんです。エウゲネス王が、王座を追われ、追放に……」


 と、言ったところで、彼を馬上に支えていた脚の力が抜ける。


「おい、しっかりしろ!」

「……マグヌス様が、グーダート神国に援助を求めろと……」


 ルークが受け止めた腕の中で、ヨハネスは伝言を伝え、気絶した。


「えい、マグヌスの奴、面倒事を……」


 駆けつけた衛兵にヨハネスの世話を頼み、ゴルギアスを呼びに行く。


「ゴルギアス殿、一波乱来ますぞ」

「ルーク殿、驚かせないでください」

「俺も驚いている当人だよ。エウゲネス王が廃され、マグヌスが援助を求めている」

「それは本当ですか。ですが我らは属領の身、何の援助ができましょうや?」

「動くのは俺たちじゃない。グーダート神国にマッサリアに対し宣戦布告してもらうのさ」

「なんと!」


 ルークが、意味ありげに含み笑いを漏らした。

 



グーダート神国はどう動くか? マグヌスの策略はどうなるか


次回、第112話 敵こそが味方


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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