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第七章 106.弁明

新章に入ります。

辛勝したエウゲネス王配下を母国で待ち受けていたものは……。

これまで同様、楽しくお付き合いいただければ幸いです。

 多島海の戦いを終えて帰還したエウゲネス王はじめとする軍の首脳陣を、マッサリアの評議会は顎門(あぎと)を開いて待ち受けていた。


 戦争中の不手際について弁明しなければならない。

 半ば形骸化しているとは言え、任命するのが評議会である以上、たとえ勝利しても、その獲物を追う猟犬のような追求から免れるには、戦場とは違った才覚が求められる。


 まず、槍玉に上がったのが、植民市の放棄である。


「先の遠征で得た貴重な都市を失うとはなにごとか!」


 これに対しては、植民市の指導者ゲナイオスが巧みな反論を展開した。


「無数の敵船が迫る中、急を告げてくれた者があったことに三つの植民市は感謝する。撤退は彼我の戦力差を考慮すれば当然のこと」

「戦わずして去ることに不名誉は感じなかったのか?」

「おかげで自分はここに立っていられる。死後に戦場に墓碑として立つよりも有意義なことと考えているが?」


 植民市に縁者を送り出していた者たちが賛同する。


「一人も失うことなく帰還したのはむしろ英雄的である」

「それに、荒れ果てたルテシアの地、あそこの再開発に役立っていただければ言うことは無い」

「入植の話題は後ほど。では、植民市からの撤退は是として良いか?」

「ゲナイオスの判断の是非を問う」


 投票が行われた。

 賛同は円盤に窪みがある物を、反対は無いものを壺の中に投げ入れていく。


 そして開票。

 大半が、彼の行動を認めるものだった。

 撤退の判断は肯定され、自動的に、撤退を進言したマグヌスも罪を逃れた。


 その日の議論は、それで終わった。

 ゲナイオスはマグヌスを誘って、賑わう広場(アゴラ)の市をぶらつき、羊の串焼きを物色した。

 遅い昼飯である。


「ゲナイオス、ありがとうございます」

「なに、後から考えればあれで良かったと言うことさ」


 だが、二人とも表情は晴れない。

 アッタリア水道の大勝まで有利に進んでいた戦いが、ルテシアの解放奴隷の待遇を誤ったことから彼らの反乱を引き起こし、辛勝という結果に終わった。

 次はこれが槍玉に上げられる。

 

「明日、王の責任が問われるな」

「ピュトンの事前の働きかけが功を奏していれば良いのですが」

「敵の首領の亡骸を得ることも出来なかった」


 帆を巻き上げた三段櫂船の太い帆柱に射止められた、銀の髪の乙女、ソフィアの姿。

 多島海の盟主を名乗った者の最期にはふさわしい。

 亡骸を見つけた者には褒美を出すと触れてあるが、見つからない。


「一瞬の判断が問われる戦場を、評議会は分かってくれるのでしょうか」

「以前はそうだった。自ら戦場に立つ者たちが評議員だったからな。ただ、今はどうだ。どうにかして戦地を逃れようとするものばかり」

「声が高い」


 噛み締めても肉の味がしない。

 ゲナイオスは明日の評議会のことで、マグヌスは王妃ルルディのことで頭がいっぱいだった。


 ルルディは心優しい女性だ。

 一人でエウゲネス王の無事帰還を待ち続けるのは、どんなに心細かっただろう。そして夫が無事に帰ってきたと思えば、今度は戦いの責任を問われる。

 王が追放処分にでもなれば、幼子二人を抱えてともに流浪の道を歩むに違いない。


 夕刻、王都の城壁の外に設えた幕屋の中で、テラサの用意してくれた風呂に入りながら、マグヌスはその懸念を口にした。


「ご心配は分かります。同じ女の身として、王妃様が、路頭に迷うなど……」


 テラサは、切りそろえた灰色の髪をかき上げた。


「記憶が違っていたら申し訳ありませんが、マッサリアには評議会の上に立つ民会がありませんでしたか?」

「民会……」


 全成年男子による意志決定機関。

 ここ四十年開かれていない。

 いや、そもそも、民会がそれとして機能していたのは、旧帝国成立以前のはるか昔のことだ。


「他国のことなのに詳しいな。民会か」

「私には十分には分かりかねますが」

「いや、ありがとう。それも考えておこう」


 マグヌスは、ざぶりと音を立てて立ち上がった。

 長く伸ばした黒髪が背に張り付く。

 胸にははっきりと刻まれた死刑囚の烙印。


「戦地では、水浴びも容易ではなかったよ」


 すかさず布を渡しながら、テラサは返事をしなかった。

 彼女の顔には、祖国ゲランスが攻略された際に負った刀傷が残っている。隠しようも無く、マグヌスの陣にあっても、好奇の目で見る心無い兵は多い。


 テラサはかわりに皮肉を込めて、


「私はリマーニの港で待ちぼうけでしたが」

「すまなかった。お前に診てもらいたい者はいたのだが、いかんせん手遅れで……」


 マグヌスは手早く衣装を整え、新調した鎖帷子の様子を試した。

 心のなかから重いものが込み上げて来る。

 

 テラサが丁寧にマグヌスの髪を拭く。


「ルークから何か聞いてないか?」

「一度、港にお見えでしたが、特に何も」

「実は、アルペドンに残してきたマルガリタが妊娠した」


 髪を拭く手が一瞬止まった。


「何も言ってはくれないか」

「人は、答えを持っていながら、他人に問いかけるものです」


 秋の風が幕屋を叩く。

 港から移設したものだが、もう寿命だろう。

 しっかりした建物で休みたいと思うが、公領のアルペドンにはこの問題が待ち構えている。


「子を流したくて色々試しているらしい」

「危険です」


 思いがけず、キッパリした声が帰ってきた。


「魔術に頼るにしても、薬草に頼るにしても」

「そうなのか?」

「だから殿方は……」


 そこまで言って、テラサは口をつぐんだ。

 マグヌスは不貞をはたらかれた側である。


「乳離れを待って、父の故郷インリウム国に送り返してやろうと思う」


 考えに考えたことをマグヌスは言葉にする。


「奥方の罪は問われないのですね」

「責めて言うことを聞く女ではないよ」


 不貞を理由に処刑する気ははなから無いらしい。


 幕屋の入り口で咳払いする者があった。


「ヨハネスです。夕食はお済みですか?」


 マグヌスは反射的に胸を押さえた。

 

「マグヌス様、大丈夫、(スティグマ)は見えませんよ」

「ああ、そうだな」


 苦笑い。


「ヨハネス、入ってこい。連れがいるなら一緒で良いぞ」

「私は、ワインの準備をいたします」

「頼む。料理はできているか聞いてくれ」

「はい」


 立場によって悩みは違う。

 マグヌスは、自身の深い闇を抱えたまま、一万個あまりの焼物を作らされたヨハネスの愚痴を聞いてやるのだった。


 


彼らが多島海で戦っている間にマッサリア国内に生まれた新興勢力は以外と厄介です。


次回、第107話 失脚


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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