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第六章 103.暴発

 偶発的な事件をきっかけにして、三段櫂船の漕ぎ手を務めてきたルテシアの解放奴隷たちの不満が爆発した。


 群衆は武装し、エウゲネス王に対応を迫る。


「代表は名乗り出よ」


 エウゲネスが、よく響く声で命じた。


「我ら皆、元ルテシアの民、上下は無い」

 

 王さえ血統ではなく会議で選んでいた国である。平等の意識は強い。


「そうか。お前は、以前、共に酒を飲んだ仲だな。見覚えがある」

「それがどうした!」

「不満を述べよ」


 ざわざわと、群衆がうごめく。


「まず、我々は奴隷ではない」

「その通りだ」


 王は短く答える。


「扱いは、奴隷以下ではないか!」

「では、奴隷身分に戻るか? 冬になっても帰る家は無いぞ」

「この地獄は秋には終わるのか⁉」

「我々はそのつもりだ。そして、感謝の(あかし)として皆をマッサリアの王都に招こう。家族と共に、マッサリア市民として地区に登録する」


 ざわざわと、どよめく声。

 重装歩兵に守られたピュトンが小走りに寄ってきて、三名の兵士の遺体を見つけたと報告する。


「手を下したものは例外とする」

「ならば我々皆、同罪だ!」


 ヒュンと矢が王の頭をかすめ、テトスが急いで前に回った。


「交渉は決裂だな」


 エウゲネス王は顔色一つ変えずに言い放った。


「待ってください。彼らに夕食を……」

「マグヌス、お前は馬鹿か」


 息を切らして、豆スープの大鍋を運んできたマグヌスに、ゲナイオスが槍を構えて食って掛かる。


「皆の分の夕食はできております。無駄にすることはないでしょう」


 パンかごやら、チーズを持ったのやら、後からついてくる。


 なおもゲナイオスが言い募ろうとするのを、エウゲネス王が肩をつかんで止めた。


 マグヌスは、殺気立つ暴徒の前に、暖かな豆と塩漬け肉のスープ、パン、チーズを運ばせた。


「さあ、並んで」


 マグヌス自ら杓子(しゃくし)を手に取り、木製の椀によそった。

 殺伐とした雰囲気には、余りに場違いな良い匂いが漂う。


「これは交渉とは別。食べなさい」


 振り返り、


「暗いな。篝火(かがりび)を据えてくれ」


 マグヌスは日頃から親しく接している相手だ。

 警戒しながらも、空腹に負けて手を伸ばす。


「おいおい、私一人にこれだけの人数の相手をさせるつもりかい? 分かったら(・・・・・)手分けしてくれ」


「そうか」 


 応えて、テトスがどっかと木箱に座り、


「ここにも持って来い。灯りも」


 漕ぎ手たちは朝から何も食べていない。

 次々と準備される食事に手を出した。

 ガツガツと立ち食いである。

 張り詰めた空気の中、しばらく、スープをよそう音と咀嚼音(そしゃくおん)だけが続いた。


「……ちょっと待て、お前はこっちに」


 メラニコスが、一人の腕をつかんだ。

 つかまれた男の顔色が変わる。


「将軍様……どうしたんで?」

「返り血の跡がある。お前、下手人だな」


 明るく照らされた男の、胴鎧では隠しきれない肩先の血の跡。


「これは罠か! マグヌス、騙したな!」


 振り切ろうと男は暴れ、豆スープの鍋がひっくり返った。


「メラニコス! 駄目です!」


 マグヌスが叫ぶ。


 前列から、パンの籠に殺到した。

 暴徒は、もう止められなかった。

 その場の勢いでマッサリア兵に不意打ちをかけようとする。

 食料の配給でかろうじて時間稼ぎができ、マッサリア側も歩兵を配備できたのが幸いした。


「漕ぎ手を殺すな!」


 テトスが命じたが無力だった。


「王は後ろへ」


 ドラゴニアが二本の剣を抜いて身構える。


 マッサリア側は十分な休息が取れているのに対し、ルテシア側は打ち続く訓練の上食事も取っていない、盾で押し合っても斬り合っても、力の差は歴然。


「港へ行け! 船で逃げるんだ」

「待て、夜の海は危険だ」

「ソフィア様と合流しよう」


 一部は暗い港へ──。

 一部は丘の上の神殿ヘ──。

 残りは、そのまま殺戮の場に──。


「殺すな! 大事な漕ぎ手だ!」


 エウゲネス王の厳しい命令に、やっと暴徒を押し返すマッサリア側の勢いが弱まる。


「降伏しろ。殺しはしない」


 王が再び命令を下した。


 なんとか相手の槍をかわそうと苦慮しながら、マグヌスはメラニコスと行き違った。

 短い会話を交わす。


「メラニコス、あれ(・・)は無しですよ」

「お前は下手人を見つけてどうするつもりだった」

「顔を覚えておいて、後で静かに呼び出すつもりでした。私は彼らと親しくしたいと思っていましたので」


 答えもなく、メラニコスは戦いの混乱の中に飲まれていった。

 マグヌスは、将軍という地位にはふさわしくない、悲しげな表情を浮かべていた。


「ぬるい。それを偽善というのだ」


 メラニコスと肩を並べて戦っていたテトスは手厳しい。

 盾で漕ぎ手を殴りつけながら、


「彼らはしょせん解放奴隷……」

「テトス、あなただって、他国から迎え入れられた一人ではありませんか」

「解放奴隷ごときと一緒にするな」


 テトスも気が立っている。

 マグヌスは無言で盾を捨て、戦列を離れた。

 松明を掲げたヨハネスが後を追う。


「神殿の様子を見に行きます」


 上官の代わりに言葉を残す。


(マグヌス様は、いつも甘い)


 アルペドンの王宮でマグヌスが謀殺されかけた事が記憶をよぎる。

 あれは、妻のマルガリタとアルペドンの宰相ゴルギアスを過信したために起きた事件だ。


(だから、俺がしっかりしないと。初代の隊長とまではいかなくても)


 彼がかざす松明で、かろうじてマグヌスの足元は明るい。

 マグヌスは、ヨハネスの心配りを嬉しく思った。


「済まない、ヨハネス」


 ヨハネスは当然のように、マグヌスが捨てた盾を手渡した。


「計略、お見事でした」

「もう、彼らは私を信頼してくれないがな」

「神殿の連中はどうするおつもりで?」


 心細そうな笑みが帰ってきた。


「説得してみる」


 二人の後を追って、重装歩兵が十人付いてきた。


「最悪、朝まで粘ろう」


 そして、言葉の通り成果が出ないまま朝を迎えた。


 マッサリア海軍は、三段櫂船十一隻、大切に育てた漕ぎ手の半数、重装歩兵約二十五名を一晩で失うという惨憺(さんたん)たる結果に直面したのだった。



ルテシアの解放奴隷たちをまとめきれないマッサリア。惨憺たる結果に直面します。

しかし、季節はもう秋。後がありません。


第104話 再起


来週も、木曜夜8時ちょい前をよろしくお願いします。

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