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第六章 102.発火

 ネオ・ルテシアを占領したことにより、マッサリア海軍は、多島海の新たなる盟主としての立場に躍り出た。


 オロス島経由のような裏航路まで綿密に押さえる手段を巡って、エウゲネス王と五人の将軍たちは議論を重ねる。

 植民市から撤退してきたゲナイオスも、特別扱いで加わり、南方の事情を詳しく述べる。


 ピュトンだけは、早く本国近くのトラス港に戻って、「消えない火」の量産を狙っていた。


「これさえあれば、海戦も都市攻略もたやすいこと」


 彼はそう(うそぶ)いていた。


「使用は慎重にしたほうが良いかと(わたくし)は思います」


 沈黙する王を代弁するかのように、ドラゴニアが口を開いた。


「あれは……人の身に許されぬものではないか?」


 テトスも慎重に言葉を選びながら意見を述べる。


「恐ろしすぎる、とでも? だからこその兵器ではありますまいか?」


 王はうなずいた。


「どちらももっともだ。だが、今の戦いではもう使うまい」

「エウゲネス様!」

「万一、味方の船で火が出たらどうする? 加えて、油を精製する時間が無い。間もなく秋だ」

「それは……」

「消えぬ火については以上だ」


 はや夕刻、朝から続いた会議に疲れた王は、終了を宣言した。

 

 そのため、議題に上らせる事ができなかったが、マグヌスは、ある異常を察知していた。


 三段櫂船の動力となる漕ぎ手たちの異常だ。


 インリウムからの援助を断って、マッサリアと漕ぎ手を務めるルテシアの解放奴隷たちの接触は増えた。


 マグヌスは、積極的に彼らに声をかけ、重労働をねぎらう。

 その中に、死んだ魚のように虚ろな目をした者が増えた。


 生きて勝利できれば晴れてマッサリアの市民権を得られる──真の意味での自由民になれる──その思いは一つだが、同族合い喰む結果となった彼らの心境は複雑だった。


──連中は、自分たちを見捨てて海に逃げた。

──ソフィア様だけは生かして欲しい。

──目先の餌に釣られて同士討ちはやはり間違っているのではないか。


 思いは自然に耳に入ってくる。

 マグヌスは事態を重大と見て、相談相手としてテラサを呼び寄せようとしていた。


「絞るのも良いが、無茶はならんぞ」


 彼はちょうど訓練から戻ってきた三段櫂船の船長に声をかけた。


 続いて、疲れた漕ぎ手たちが上陸してくるはずだ。

 陸で休息を取っている重装歩兵たちに対して、三段櫂船は毎日のように訓練を繰り返していた。


 よりによって──。

 早い夕食を終えたピュトンの部下たちが三人、無人のはずの漕ぎ手の幕屋に人の気配を認めてズカズカ入りこんだ。


「何をしている! 訓練はどうした!」

「身体の具合が悪くて、櫂を握れないんです。勘弁してください」

「どこが悪いというのだ。さては仮病だな」


 屈強な漕ぎ手が、目の焦点も合わず、意欲を失い、床に臥す……あの大海戦から、最前線の船に乗った者にチラホラみられる。熱があるわけでもなく、骨に異常があるわけでもない。


 兵士は、いらだって、漕ぎ手を蹴飛ばした。


「奴隷から解放し、自由民として市民権を与えてやるという破格の対応のどこに不満がある!」

「自由民にしてもらっても、一生漕ぎ手として飼い殺しにされては、どこにその意味がある? 俺はルテシアに戻って木樵(きこり)を続けたい!」


 横になっていた漕ぎ手たちが、次々起き上がる。


「俺の縁者はこの地に逃げていた……お前たちが殺した!!」

「解放奴隷のくせに生意気な!」


 威嚇するために拳を振り上げた兵士の腰から、一瞬の隙を狙って剣が奪われた。


「俺たちは奴隷じゃねえ!」


 漕ぎ手は鞘を払って、兵士に剣を向ける。


「もうたくさんだ!!」

「おのれ!」


 別の兵士が、漕ぎ手に斬りつける。

 受け流して逆に喉を突く。

 ついに血が流れた。


「この野郎!」

「思い知れ!」


 幕屋の厚布の端を地面に押さえるために置いてあった、折れた櫂を手にとって、漕ぎ手が殴りかかる。

 

 ちょうどそこへ、訓練から漕ぎ手たちが帰って来た。


「マッサリアの野郎!」


 倒れた兵士をさらに殴りつける。


「やっちまった」

「ピュトンの奴が悪いんだ」

「しかたない。予備の武器なら、祖霊神の神殿にあるぜ」

「急ごう」


 彼らは、マッサリア兵の死体に夜具を掛けて隠し、丘の上の神殿に走った。


「反乱だ!」


 その声は、彼ら自身が発したのか、止めようとしたマッサリア兵が発したのか──。


 夏の終わりの夕暮れ時、まるで申し合わせたかのように走り出したルテシアの解放奴隷たちは、遮る者をなぎ倒し、道を埋めて神殿にたどり着いた。


 その数およそ一万五千人──。


 神殿に確保してあったのは、ネオ・ルテシア攻略時に奪われた武器。

 血塗られた剣、槍、盾、鎧、弓と矢。

 偶然にも、同族の遺品となった武具をまとう漕ぎ手たちの心持ちはいかなるものであろうか。


 武装を終えた漕ぎ手たちは、エウゲネス王の元へ向かって、整然と行進を始めた。


「待て! これ以上先には進ませぬ!」


 急を聞いたテトスが、馬で駆けつけ列を塞いだ。


「将軍、退いてください」

「俺たちは王に話があるんだ!」

「ならば、俺が取り次ごう。武器を手にして押し入るなど、もってのほか!」


 遅れてマグヌスもテトスの横に姿を現す。


「不満は聞いている。落ち着いてくれ」


 彼らしく、武装もせずに両手を広げて、進むなと合図する。


「マグヌス様、知ってるならどうして何もしてくれない!」


 しまった、と彼は後悔した。

 せめて、今日、話をしていれば……。


「俺たちはマッサリアに与えられる自由より、ルテシアの戦士として死ぬ方を選ぶ!」

「ピュトン、出てこい。俺たちの兄弟を焼き殺した卑怯者!」


 空は暗く、星が光り始めた。

 王の幕屋の篝火(かがりび)が灯される。


 そして、真紅のマントをまとったエウゲネス王が幕屋から現れた。



これまで従順に漕ぎ手をつとめていたルテシアの解放奴隷の不満に火がつきました。


第103話 暴発


彼らの怒りは収まりません。

木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ルテシアの解放奴隷を上手く働かせるためにも、高圧的な態度は良くないし、抑えつけが強いとその分反発も大きくなりますよね……。
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