第六章 101.根無し草
ネオ・ルテシアという最大の拠点を総掛かりで落としたマッサリア軍は、しばらくそこに兵を休めることにした。
一時は百隻を越える三段櫂船を納めた港は広く、居心地も申し分ない。
船は船蔵に陸揚げされ、入念な点検と、船底にこびりついた海藻や牡蠣殻の除去が行われる。
ここで、エウゲネス王は、一つの区切りとなる行動を起こした。
今まで船長や拍子取りの指導に当たってきたインリウム海軍からの協力者に、懇ろに礼を言い、十分な礼金を持って帰国させたのである。
これからは、マッサリアだけで十分、という意志の表明である。
マグヌスはヒヤリとした。
密通という非はあるものの、転落死という事故ではあるものの、インリウムの僣主の息子、オレイカルコスを死なせたのは自分である。
両者の関係が冷めるのはよろしくない。
そういえば、マルガリタの妊娠の報告もしていなかったと、頭を抱える。
そんなところへ、彼を頼って姿を現した者があった。
舞姫ペトラの想い人、クリュボスである。
智将テトスの陣営で、クリュボスはどうしてこうも対応が違うのか戸惑った。
ペトラが大切に看護されているのに、自分は昔の上官テトスに牢から救い出されたものの尻を蹴飛ばされ、食べ物も他人の食残しのような物しか与えられなかった。
同じ捕虜だったのにあんまりじゃないか。
誰に頼れば良いか、嗅覚だけは優れているクリュボスである。のこのこマグヌスの元へ赴いた。
マグヌスは、来訪に驚きながらも、兵士一人分のまともな食事を出してくれた。
礼もそこそこに、夢中でかき込む。
ただの魚と豆のスープがこんなに美味いとは。
パンも贅沢な柔らかい上等なものである。
人心地ついたのを見計らって、マグヌスが気になっていた事を尋ねる。
「師からいただいた剣はどうした?」
「奪われました……」
「それは一大事。敵兵から奪った武器の中に紛れてないか探さねば」
「将軍、そこまでしなくていいです。俺の剣なんて」
「クリュボス、お前、まさか、修行をサボって……」
パンの塊が喉に詰まった。
「問い合わせればわかること。白状したほうがいいぞ」
「実は、アーナム師の鍛錬は、俺には厳しすぎて……もう少し、手加減してくれるところで修行しました」
さもありなん、とマグヌスは軽蔑の目を向けた。
「ペトラに恥ずかしいとは思わないのか?」
「なんでペトラがあんなにチヤホヤされてるんだか」
握った拳に思わず力が入る。
「それは、本気で言っているのか? 彼女は、あれだけ衰弱した身で剣舞を舞い、マッサリアの全軍を奮い立たせた。未だに人間とは思わず、戦女神の降臨があったと信じている兵士も多いんだぞ」
「俺だって弱ってる。加勢しようにも閉じ込められてどうにもならなかったんだから……」
話にならないとはこのことだ。
「どの将軍もお前を兵士として抱えようとは思わんだろうよ」
「俺がゲランス出身だからですか」
「それもある」
「昔からそうだ。俺がゲランス出身だからって……」
マグヌスの根気が尽きた。
「もういい。二度と私の幕屋に立ち入るな!」
マグヌスは、クリュボスを追い出したその勢いで、ペトラを見舞った。
ペトラは引き続きテトスの元で療養に努めていた。後方に待機していたテトスの妻メリッサの侍女たちが世話をしている。
「おや、マグヌスか?」
「ドラゴニア、あなたまでいらっしゃるとは」
「エウゲネス王の伝言を預かってな」
「それはそれは」
ペトラはすっかり恐縮していた。
ただ、顔色は良くなり、身につける物も清潔な麻の着物をもらっている。
「王様に感謝の言葉をいただくなんて……」
「エウゲネス王は公正なお方。お前の舞はそれだけの価値があったのだ。残念ながら、遠目で私にはよく見えなかったけれど」
「今度改めて、御前で舞わせていただきます」
「頼むぞ。そうだ、海賊に奪われたお前たちの衣装、財貨、全て我が家で補填させてもらおう」
マグヌスがいたずらっぽく笑った。
「ドラゴニア、十人の舞踏団もですからね。お忘れなく」
「任せておけ。我が父リュシマコスを侮るな」
これで、とドラゴニアが退出し、マグヌスが一人残される。
「マグヌス様……テトス様には本当に良くしていただいて……」
「立てるようになったら、ゆっくり歩き始めるといい。決して焦らぬように」
「はい」
「……ところで、言いにくいことだが、クリュボスはやはりアーナム師の修行を受けていないのだな」
「そうです」
「ペトラ、なぜ、あんな男が良いのだ? あの場で舞うほどお前の力量は上がっている。釣り合わぬではないか?」
ペトラはうつむいた。
「マグヌス様は勘違いしてらっしゃいます。私の舞が上達したのはクリュボスがいてくれたから。私があの人を守っていかなければならないと思ったから……」
なるほど、そういう愛の形もあるのかとマグヌスは思う。釣り合う釣り合わぬではなく、子を思う母のような無償の愛。クリュボス相手ではどうも安っぽく思われるが。
「二、三日姿が見えませんが、クリュボスはどうしています?」
「うちの幕屋に来たよ。追い払ってしまったが」
「マグヌス様にはあの人の良いところが分からないのかしら」
いや、全く分からんと言いかけて、マグヌスは口を閉じた。病人を刺激するのは良くない。
「戦女神の加護のあらんことを」
そう言い残し、マグヌスも部屋を出た
「おお、来ていたか」
呼び止めたのはテトス。
すっかり武装を解いて、楽な格好をしている。
「我々が取り逃がしたルテシアの船は、今、クラクシア港に集結している」
「そこが最終決戦となりますか?」
テトスは腕組みをした。
「難しいな。今や連中は浮草と同じ。どこへ流れて行くか誰にも分からん」
テトスが言った通り、クラクシア港でネオ・ルテシアの虐殺を聞いたソフィアたちは、さらに南下した。
まさに根を失った浮草のように……。
一時は多島海の盟主と名乗った誇りは、すでに失われていた。
タイトルは二つの意味にかけてみました。クリュボスの生き方とソフィアたちの運命と。
さあ、このままマッサリアの圧勝となるのでしょうか?
第102話 火種
来週も木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




