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第六章 100.剣舞

 常ではない人々のざわめきに、洞窟の奥のペトラは異変を感じた。


 手紙を書かされて以来、彼女の元を訪れる者は無く、水も尽きた。

 食事は何日も摂っていない。


(マグヌス様に見捨てられてもしかたないわ)


 彼女は、諦めていた。

 奥にうずくまり、膝を抱える。

 

(このまま餓死するのかしら)


 懐から取り出したのは、一本の青銅のペン。

 書き上がった手紙にソフィアが気を取られている間に隠しておいたものだ。


(これで自害はできないわ)


 じわりと涙がにじむ。


(売られていった仲間たちが無事でありますように。クリュボスも無事でありますように。海の神様)


 そこへ重い足音が近付いて来た。

 顔見知りの番人だ。


「出ろ」


 男は酒臭い息を吐きながら、格子の(かんぬき)を外し、潜戸を開け放った。


「クジに外れた俺はおしまいだ。ソフィアも逃げた。」


 目が座っている。


「今生の名残に良い思いをさせろ!」


 ペトラは立ち上がりかけて岩壁に背を預け、恐怖に凍りついた。彼女が出て来ないと見るや、男は自ら潜戸をくぐって牢の中に入り、ペトラに手を伸ばした。


「止めて!」


 彼女の哀願もものかは、自暴自棄になった男の力に、床の上に押し倒される。

 首元を舌が這う感覚。

 もみ合いになるが押しのけられない体重。


 しかし、男は突如悲鳴を上げて仰け反った。

 目には深々とペンが刺さっていた。


「この野郎!」


 男がしつこく伸ばす手をかいくぐって、ペトラは牢の外へ出る。


 どこから湧いて来るのか分からない力に任せて、閂をかける。


「待ちやがれ!」


 立ち止まるはずもない。

 洞窟を出て、久しぶりに見る外の世界に目を細める。曇天であったが彼女には眩しかった。


「これは……」


 洞窟の入り口に剣が一振りかけてあった。

 さっきの男のものだろう。


 ペトラはそれを肩にかけ、港の方へ歩き出した。


(ソフィアも逃げたと言っていたわね。マッサリア軍が攻め込んだのかしら)


 市内は混乱を極めていた。

 

「船がやられた! 上陸して来るぞ」


 帯剣したペトラを味方の女兵士と誤認したルテシア兵が声をかける。


 ペトラは、ふらつく足を踏みしめて、港に向かった。


 水際では、上陸を巡って激しい攻防戦が展開されていた。


 海上の抵抗を排除したマッサリア海軍の三段櫂船が埠頭に横付けにされ、精鋭の重装歩兵が駆け下りて来る。

 それを許すまいと、ルテシア側から矢や槍が投げられる。

 波打ち際は朱に染まり、今のところ上陸は阻止されている模様だ。


 ペトラは、前に出た。

 剣を抜き放ち、男たちの間を縫って、最前列よりもさらに前に出た。


「……戦いの女神よ、ご照覧あれ!!」


 彼女は舞い始めた。

 あたりの時間が止まった。

 タン、タタ、タン、タタ、タン、タタと、彼女の足は自然にリズムを刻む。


 耳元をかすめる矢にも、飛び交う怒号にも動ぜず、剣をかざして彼女は舞い続けた。


「進め!  勇者たちよ、恐れることなく進め!」


 (いにしえ)の剣舞、戦いの女神に捧げられた剣舞である。


 一瞬、静寂が両軍を支配した。


 不気味な静けさを、ペトラの振るう剣が断ち切った。


 大きく振りかざし、剣先はピタリと敵陣へ。

 ネオ・ルテシアの市街へ。


「進め!」


 まさにその時、雲が割れ、太陽から伸びる光の束がペトラを包んだ。


 マッサリア軍が大きくどよめいた。


「おお、あれは神か!」


 矢を恐れる素振りもなく、両軍の間に立って踊る乙女……。


 黒髪を振りほどき、右手に抜き身の剣が輝く。


 彼女の舞は「攻めよ!」と命じているかのようだった。


「戦いの女神が我らに味方したぞ、進め!」


 エウゲネス王が叫ぶ。


 三段櫂船に代わって、兵士を満載した丸船が埠頭に付き、勢いよく上陸を果たす。


 乙女の姿はその中に飲み込まれた。


「ペトラ!」


 兵たちをかき分けるようにしてテトスが駆け寄り、抱き起こす。


「マグヌス様は……」

「じき来る。しっかりするんだ」

「私にできる、精一杯のこと」

「よくやってくれた。千万の味方よりも励みになったぞ」


 テトスは、部下に命じた。


「この娘を後方に下げ、マグヌスを呼んでやれ」

「待って。クリュボスが、まだ囚われているの」

「始末に負えないやつだな。わかった。任せろ」


 ペトラは屈強な兵士に抱えられて、一度、テトスが指揮してきた三段櫂船に収容された。


 マグヌスに伝令が飛ぶ。


「ペトラという娘を保護しました。あなたに会いたいそうです」


 マグヌスは後方にいたため、ペトラの決死の舞を目にしてはいない。

 だが、先に彼が身柄を預かった舞踏団の女性から聞いて、ペトラが囚われているのは知っている。


「こちらも手が離せないのだが……」


 続々と重装歩兵を送り込むのは、マグヌスの役目だ。


「将軍、俺が代わります」


 ヨハネスの声に


「頼む。途切れることなく新手を送り込んでくれ」


 と、言い残し、マグヌスはテトスの船に走った。


 船底に、予備の帆を畳んで寝かされている乙女……。


「ペトラ……」

「……マグヌス様、メラン様とカクトス様から預かった手紙は奪われてしまいました。あと、お砂糖も……ごめんなさい」

「構わない。謝らなくていい。よく休んでくれ。それから、舞踏団の皆は無事だ。安心していい」


 ほっと息をつくのが分かった。


 マグヌスは、痩せてやつれたペトラの姿に心を痛めた。


「この身でマッサリア軍を鼓舞する剣舞を舞ってくれたのです。それに勢いをもらって上陸を果たしました」


 テトスの部下らしい簡潔な物言いで語る。


「そうか……ありがとう。もう少し、この場所を借りて良いだろうか?」

「もちろん。この女性(ひと)には安静が必要です」


 テトスに任せておけば大丈夫と、マグヌスは持ち場に戻った。


 先陣では、エウゲネス王とメラニコスが殺戮を欲しいままにしていた。


 ルテシア側が最も恐れたピュトンの火玉は、使われなかった。

 使おうにもアッタリア水道で使い切って在庫が無かったのであるが、それを知らぬルテシア側は隊列も整わず、市街戦も逃げ腰になり、本来の力を発揮できなかった。


 最後の局面、小高い丘の上の神殿に立てこもった女たちが、自らの手で子を殺し、自害して凄惨なネオ・ルテシア攻略戦は終わったのである。



ペトラ渾身の舞に勇気づけられたマッサリア軍が、港に残されたルテシア勢を一掃しました。


ますます窮地に立たされるソフィアたち。


次回 第101話 根無し草


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ルテシアの最後が迫ってきている……(´・ω・) ペトラの舞、私も見てみたかったです!すごく美しくて力強いんだろなぁ。 クリュボスさんの名前は人質としてでてくるけれど、ホントのところ、クリュ…
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