序章 10.智将テトス
マッサリアの本隊はまず騎兵隊から現れた。
この時代のことで、皆が背布をかけた裸馬に乗り、盾を背中に掛け、左手に槍を、右手に手綱を握っている。
馬の毛色は鹿毛が多いが、艷やかに光る青毛、白馬と見まごう芦毛、見るからに陽気な栗毛もいる。
次いで弓を持ち革鎧をまとった軽装歩兵、これは本格的な戦闘に先立って相手を挑発する者。声の良い者が多いのも特徴だ。一緒に兵たちを鼓舞し命令代わりになる笛吹きが歩く。
兵隊の最後は、金属の鎧を輝かせ大きな盾と長い槍を装備した重装歩兵だった。
いざ戦闘という時には隊列を組み、盾の半分は自分を、もう半分は左隣りの仲間を守る。
戦の要、盾を重ねて鉄壁の守りを誇るが、半分しか守られない最右列は最も危険となる。
それゆえ最も勇敢で名誉ある者の位置とされる。
最後に長々と輜重部隊が続いた。
食糧、矢、予備の武具、折りたたんだ幕屋まで運ぶ。
使役されるのは馬より丈夫でロバより体格の大きいラバが多かった。
ルルディとマグヌスは彼らが目の前を通り過ぎるのを、野営地の跡からじっと眺めていた。
「また戦争が起きるのだわ」
「やむを得ませんね。メイの城を解放しないと」
ルルディが返事を言いかけた時、騎兵が数騎先頭の方から引き返してきた。
「マグヌス様、テトス将軍がお呼びです」
「わかった」
マグヌスはルルディを振り向き、
「叱られてきますよ」
と、肩をすくめて笑った。
マグヌスは例の芦毛馬に飛び乗ると、先頭の集団を追った。
「テトス殿……参りました」
マグヌスは馬上から返事をした。
テトスは落ち着いた中年の男で、見事な白銀の鎧をまとい、刺繡を施した背布をかけた青毛の馬に乗っていた。
下馬する間も惜しくマグヌスを呼びつけたらしい。
「マグヌス、お前は……」
いきなり、力任せに頭をぶん殴られた。
「あいたっ、智将テトスともあろう方が何するんです。これでも怪我人なので……」
「勝手に飛び出しておいて、何が怪我人だ。俺は知らん。お前の部下も一応連れてきてやった。この後に続いているはずだ。後の面倒はお前が見ろ!」
「ありがとうございます。我々はここで夜を過ごしてから、チタリスに向かいます」
テトスは声の音量を落として、
「ところで、ルルディ姫はご無事か?」
「はい、ただ、ひどくお疲れで……」
「聞いたわ。この馬鹿者。姫に何かあったらどうするつもりだ」
「大丈夫です。ヒンハンは人を乗せるのに慣れていますし、鐙と鞍が付いています」
「また鐙の話か。そんな蛮族の風習など、我々由緒正しい騎兵は受け入れん」
「……便利なのですがねぇ」
テトスは、鞍も鐙も無しに腿でうまく馬の背をはさんで乗りこなしていた。通常の騎兵なら誰でもそうだし、マグヌスも今現にそうしている。
「テトス殿は頭が固い」
「何を! どちらの頭が固いか、もう一度食らいたいのか?」
テトスはこぶしを振り上げてから、ゆっくり下した。
「……無事でよかった。お前も、姫も……」
深い安堵の溜息。
「ご心配をかけて、申し訳ありませんでした」
テトスが大声で笑った。
「おまえはそういうやつだ。では、我々は、チタリスまで進む。姫にゆっくり休息をとって頂いて明日来い」
「承知しました」
テトスの隊からかなり遅れて、マグヌスの部下が宿営地跡に到着した。
上に立つ者によって集団の雰囲気が変わると言われるのはその通りで、夕暮れ時に現れたマグヌス配下の軍は、整然と行進していったテトスの軍とは異なり、どことなく陽気で、言葉は悪いがだらしない雰囲気を漂わせていた。
先頭は軽装歩兵だった。
「騎兵隊のカイ隊長はどこだ?」
マグヌスが、さっそく尋ねた。
「騎兵隊ですって?」
と、ルルディ。
「いちおう、備えております」
馬の値段、乗れるまでの訓練、そういったものを考えると、騎兵隊の維持には湯水のごとく金がかかる。
将軍と名乗るにはみすぼらしいマグヌスの部隊にいるとは思われなかった。
歩調に合わせて吹かれていた音程の狂った笛が止んだ。
「マグヌス様!」
数人が馬から飛び降り、駆け寄って主をもみくちゃにする。騎兵隊が来たのだ。
どよめく声が、暮れかけた空に響いた。
「テトス殿に従えと一言残して、あなたが姿を消してからどれほど心配したことか」
「すまぬ、カイ隊長。メイの城が陥落したと聞いてはじっとしていられなくてな。それにああいう場合一人のほうが動きやすいこともあって……」
「二度と勝手にいなくなるようなことはしないと約束してください」
真剣なカイの眼差しに、マグヌスは多少の罪悪感を覚えた。
「約束……うーむ。あ、それより先だ、誰か、輿を作れる者はいないか?」
「輿ですか?」
「姫君に乗って頂く輿だ。明日までに、仕上げてくれ」
「誰か! 輿作れるか⁉️」
カイが大声で部隊に尋ねた。
「俺! 俺で良ければ!」
「大工仕事の経験はある。教えてくれれば手伝うぜ」
たちまち十人ほどが集まり、本来幕屋に使う木材を削り始めた。
「軍隊とは思えないわ……」
ルルディがつぶやいた。
「姫、どうか怖がらないでくださいね」
「……え、ええ」
規律正しくはないが、威勢のよいどよめき。
恐るべき一つの軍隊の指揮者だが、気安く言葉を掛けてくれる将軍。
「輿の準備をしております。もう一晩だけご辛抱ください」
心細そうなルルディをマグヌスはさらに気遣う。
「夕食はちゃんと召し上がってください」
「あの甘いパンはありますか?」
「いえ、担当の兵士が柔らかいものを作りますので、暖かいのをお召し上がりください」
「いいえ、あのパンとあなたのお茶が欲しいの」
「……わかりました。準備しましょう」
マグヌスが慣れた手つきで火をおこし始めた。




