90 大聖女への贈り物2
「ぞ、族長、そんなすごい石は受け取れません!」
私はラデク族長を見つめると、慌てて声を上げた。
……お、教えてもらってよかったわ。
聖女が弱体化している今世において、『聖石』の価値が前世と異なるなんて、説明を受けなければ自分ではとても気付けなかったはずだ。
そう思い慌てて断ると、やはり慌てた様に族長から言葉を紡がれる。
「えっ、断らないでください! 私たちは普段、戦いに身を投じているわけではないので、この石は必要ありません。大聖女様が騎士であったことも、きっと何らかの思召しなのです。ぜひ、受け取ってください!」
「いやいや、そんな高価なものを受け取ることはできませんよ。ええと、だったら適正な価格で購入するのはどうですかね?」
そう言ったものの、いや待てよ、これは物凄く高価じゃないのかしらと思い、私個人ではなく騎士団が購入する形に誘導する。
「え、ええ、つまり、騎士団で購入するのは、どうですかね? 貴重な石のようですから、私個人が所有するよりも、騎士団みたいなきちんとした団体が所有する方がいいはずです。総長も団長も戦闘中に有効だと言っていたので、正しい値段で買い取ってくれるのではないかと思うのですが。多分、きっと、少しくらいなら」
と、そこまで口にしたところで、勝手に話を進めているけれど大丈夫かしらと心配になり、恐る恐るシリル団長に尋ねてみる。
「シ、シリル団長、騎士団で『聖石』を購入することは可能ですかね?」
団長は真顔のまま、間違いようもないほどはっきりと頷いたので、ほっと安心する。
「き、騎士団で買えるみたいですよ。まあ、幾つくらい買えるのかは値段次第でしょうけど。ええと、シリル団長、『聖石』の適正価格はいくらなんでしょうか?」
尋ねると、団長から静かな声で返される。
「適正価格などありません。そもそも市場に出回らない石ですから、言い値です。絶対に入手すべき石ですから、言われた値段で購入します」
「え……」
思ってもいない回答に、私はぽかんと口を開けた。
……あ、青天井? ね、値段が付いていないなんて、さすがにそれは想定外だわ。
そして、そんな話をぺらぺらと口にしていいのかしら?
いや、サザランドの民は実直だから、金額を上乗せするようなことはないのでしょうけど。
けれど、値段がないものにどうやって値段を付ければいいのかしらと思って族長を見ると、困ったような表情で見つめ返された。
「フィーア様、実は私の妻はものすごく怖いのです。フィーア様から対価をいただいたら、間違いなく家に入れてもらえません。そして、私も年ですので、路上での生活は身体にこたえます」
「へ?」
……あれれ、似たような話をどこかで聞いたわよ。
そのおかげで、私は焼果実屋にお金を払わせてもらえなかったんだから。
サザランドには恐妻家が多いのかしら?
そう思いながらも、どうすればよいか分からなくなり、思わずシリル団長をじっと見つめてしまう。
すると、私が言葉を発する前に、期待された役割を理解したシリル団長が口を開いた。
「フィーア、この件について、私はあらゆる意味で当事者です。裁定役としては相応しくありません」
シリル団長の言葉を聞いた私は、すごいわねと思って目を見開いた。
さ、さすがですね、シリル団長! 私はまだ、団長を見つめただけですよ。
それなのに、大変な役割を押し付けられることを先読んで拒絶してくる団長は、本当に優秀だと思います。きっと、仕事が溜まらないタイプですね。
そう思う私に対して、シリル団長は困ったように眉を下げた。
「フィーア、この件ではあまり私を信用すべきではありません。私には優先すべき利益があります」
そ、そうですよね。
騎士団長で公爵ですもの。やりたいことだけをするという訳にはいかないのですよね、失礼しました。
そう考えた私は、私を優遇しすぎて公平性に欠ける、けれど至極優秀なカーティス団長を見つめる。
カーティス団長の前世は離島の民だった。つまり、族長たちの気持ちを理解できるはずだ。的確なアドバイスをくれるんじゃないだろうか。
そう期待を込めて見つめると、カーティス団長は軽く頷いて口を開いた。
「フィー様、対価など考えることなく、『聖石』を無償で受け取ることが正しい形かと思われます。300年前、サザランドの民を救った大聖女様は一切の報酬を受け取られませんでした。一族の命を救った際ですら、報酬が発生しなかったのです」
いや、それは全く異なる話じゃないかしらと思って、疑問を投げかける。
「病の治癒については、大聖女様が出来ることをしたという話で、助け合っただけだわ。誰だって、救える命は救おうとするでしょう? それで報酬をもらうなんて、可笑しな話だわ」
けれど、カーティス団長は至極真面目な表情で、更に肯定してきただけだった。
「同じことです。住民たちは深海貝を食すために採取するのであって、稀にその中から『聖石』が採れたとしても、それは元々の目的ではないのですから。そもそも300年前も、深海貝から『聖石』は採れていました。ただ、当時は聖女様が大勢いたために有用性を見出されず、『聖石』は海に捨てられていただけです。宝石としての価値は、高くありませんでしたから」
それから、カーティス団長はちらりと族長を見ると、言葉を続けた。
「多分……今でも同様でしょう。離島の民出身者は過度な贅沢も争いも好みませんので、争いの元になりそうなこの石を発見しても、なかったものとして海に戻しているのじゃあないでしょうか。だからこそ、この石が市場には出回らないのだと推測されます」
「えっ!」
驚いて族長を見ると、ぶんぶんと首を縦に振られた。
「カーティス団長の言葉通りです! フィーア様が受け取られないというのであれば、この石は海に戻すだけです」
周りで話を聞いていた住民たちも、カーティス団長の言葉を肯定する。
「カーティス団長の言葉にオレたちの心情と一致しないものは、一つだってありませんでした! 恐ろしいくらいに的確に、オレたちの思いを表現してもらいました!」
「ええ、私たちの言いたいことは、正に今、カーティス団長が言った通りです! どうか、どうか大聖女様、私たちの思いをお受け取りください!」
「ぐうううう……」
私は困り果て、唸るような声を上げてしまった。
住民たちの気持ちは、よく分かる。
けれど、『聖石』の価値も、正しく評価するべきじゃあないかと思ったからだ。
今となっては、この石がどれほど重要なのかは十分理解できる。
聖女の力が弱体化した上、その数が不足している今世においては、この石があることで助かる騎士が出てくるはずで、騎士の命を救ってくれる石ということだ。
でも、だからこそ、そんな貴重な『聖石』を入手できるサザランドの民の技術を高く評価すべきではないのだろうか……
そう考えた私だったけれど、カーティス団長は更に言葉を重ねてきた。
「フィー様、300年前からずっと、大聖女様とサザランドの民は報酬など考えず、助け合う間柄でした。大聖女様とサザランドの民はそのような関係であるべきです」
「……その通りだわ」
私はカーティス団長の正しさを認めると、目が覚めたような思いで族長に向き直った。
カーティス団長の言う通りだ。
たとえば、洞窟にて黄紋病に罹患していた病人たちを助けた際、住民たちからお礼にと金銭を差し出されたならば、私はとても悲しい気持ちになっただろう。
だというのに、私は同じことをやろうとしていたのだ。
「ラデク族長、私が間違っていました。カーティス団長の言う通り、金銭の話は持ちだすべきではありませんでした。族長も、皆さんも、私の考えが足りなかったために、失礼な話をしてしまって、ごめんなさい」
私はぺこりと頭を下げると、心から謝罪した。
「や、いや、あ、頭を上げてください!」
「だ、大聖女様! 分かっています、お気持ちは伝わっていますから!」
慌てたような声があちらこちらから上がったので顔を上げると、誰もが申し訳なさそうな表情で私を見ていた。
その表情を見た私は、本当に人のいい一族だわと思い、困ったような表情になる。
すると、カーティス団長が静かな声で、助け舟を出してくれた。
「分かっていますよ、フィー様。あなた様がこの石に価値を感じていて、無償で手に入れることに申し訳なさを感じていることは。ですが、価値があるものだからこそ、住民たちは無条件であなた様に差し上げたいと思うのです」
「ええ」
カーティス団長の言葉に、こくこくと頷く。
すると、カーティス団長は嬉しそうに笑った。
「さすがですね。私の大聖女様が皆の気持ちを理解してくださる方で嬉しいです」
……本当にカーティス団長は、私贔屓が過ぎるわね。
そう思ったけれど、カーティス団長の笑顔を見て、笑われると嬉しくなるのだわという単純なことに気付かされる。
私は皆に向き合うと、にこりと微笑んだ。
「皆さん、どうもありがとうございます。『聖石』は、騎士にとってすごく役に立ちます。それをいただけることは、本当に嬉しいです」
私の笑顔を見た住民たちは、一人、また一人と笑顔になっていった。
やっぱりサザランドの民は、どこまでいってもサザランドの民だわ。
やり方によっては大金持ちになれるはずの『聖石』を、全くの善意でもって無償提供してくるなんて。
本当に人のいい一族ね。
そう考え、皆の気持ちが嬉しくて、私の表情はいつしか満面の笑みに変わる。
すると、族長も嬉しそうに皺だらけの目じりを下げた。
「ああ、フィーア様のお役に立てるなんて、これ以上に喜ばしいことはありません。勿論、この石はこれからも採取し続けますので、その都度献上させていただきます」
……そうだったわ。
未来にわたって、提供し続けてくれるっていう話だったわね。
それはさすがに申し訳ないわと思ったけれど、だめだめ、価値の有無は関係ないのよ、善意で差し出されているのだから感謝とともに受け取らないと、と思い直す。
軽く頭を振った後、改めて住民たちを見回すと、誰もが笑顔を消して、緊張したような表情で私の答えを待っていた。
その表情を見て、ああ! と、再び目が覚めるような思いを味わう。
彼らはこれ以上ないほど価値のある『聖石』を差し出しているというのに、私が受け取るかどうかを心配しているのだ。
誰もが心から、私が『聖石』を受け取ることを望んでくれているのだ。
そのことに気付くと、彼らが守り続けた宝物を差し出してくれるサザランドの民の気持ちが本当に嬉しくなって、自然と微笑みが零れた。
「ありがとうございます、皆さん。本当に嬉しいです」
お礼を言われた住民たちは、私以上に嬉しそうな笑顔になった。









