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15.殺意まで、抱く理由がわからない

今回残酷描写、殺人描写あります。

相当暗いのでご注意を。


「桐生さん、私のことわかる?」

「…………どちら様ですか?」

「わからない?ねぇ、本当にわからないの?あははっ、貴方って本気でおめでたいのね!」


 甲高く笑うその声で、香澄はようやく目の前の女性があのロッカーの嫌がらせの主犯、川谷緑であると思い至った。

 すぐにそうとわからなかったのには、理由がある。


 川谷緑は、秘書室のリーダー格と言ってもいい存在だった。

 秘書というよりはコンパニオン、胸まである髪は常に綺麗に巻かれ、こまめにメンテナンスに行っているのかまつ毛のエクステは乱れなく、服装もブランドもののスーツかワンピース、という華やかな印象だ。

 なのに今目の前に立ち塞がっている女性は、髪はパサつきが目立つストレート、まつ毛だけは完璧だが化粧が厚めで肌荒れし放題、服装も恐らく着たきりだろう皺の寄ったワンピースという状態で、全体的にやぼったい印象を受ける。


(これはわかんないでしょ……さして付き合いもないのに)


 身近で毎日顔を突き合わせていたならわかったかもしれないが、秘書室と業務推進室は同じフロアにあるというだけの関係であり、互いに行き来するような付き合いもない。

 なので香澄も、更衣室でたまに見かける顔だなという程度でしか記憶していなかった。



 ロッカー荒らし及び窃盗の疑いで川谷が警察に捜索されていることは、香澄も聞いていた。

 彼女が香澄の前職のことを口にしていたと聞いた時から、滑川と何らかのつながりがあるのかもしれない、もしかしたら彼に唆されて今回嫌がらせをしてきたのかもしれないという予測も立っている。

 なので、こうして香澄が一人の時を狙って接触してきたことに対しては、さして驚きはない。

 とはいえ、自尊心の高そうな彼女がここまで目も当てられないような格好をしているのは予想外であり、だからこそかなり追い詰められているんだと危機感を抱いた。


「どうやらやっと思い出したみたいだし……どうかしら?どこか場所を変えて話さない?」

「でしたら最寄の派出所にでも行きますか?」

「まあ!桐生さんってそんな面白い冗談が言えたのね!でも、そんな貴方に相応しい場所をもう見つけてあるの。すぐそこよ、一緒に来て」


 腕をとられそうになり、慌てて一歩下がってその腕をかわそうとするが、川谷は更に踏み込んでぎゅっと香澄の右腕を抱え込んだ。

 まるで親しい友人に逢えて嬉しいとでもいうような顔で、しかし放すものかと強い力をこめて。


「一緒に来てくれたら、【預かっているモノ】を返すわ。だから、ね?」

「…………わかり、ました」


 ネックレスを引き合いに出されれば、頷かないわけにはいかない。

 ついて行ったところで彼女が素直にネックレスを返すとは思えないのだが、それでもこのまま彼女に奪われてしまうのはどうしても嫌だった。

 それに、この休日の人ごみの中でもし逆ギレでもされてしまえば……もっと言えば、刃物か何かを振り回されてしまえば、周囲はパニックに陥る。

 そうなった時、何の関係もない人が傷つけられでもしたら、後悔してもしきれないだろう。



 仕方なく腕を取られたまま、引っ張られるようにして後をついていくと、『すぐそこ』と言っていたはずなのに彼女はどんどん裏道へ、人のない方向へと進んでいく。


(ドラマなんかのセオリーだと、潰れた廃工場だったり空ビルだったりなんだろうけど)


 都会の只中に、そう都合よく廃工場などがあるだろうか。

 そんなことを考えながらついていくと、眺めのいい開けた場所に『売却物件』と掲げられた小奇麗なオフィスビルが建っているのが見えてきた。

 そのビルのテナント部分に、ローマ字で社名らしきものが書かれてあるのが、かろうじて読める。


【Rosier】


(ロー、ジア……?じゃあここって、西園寺家が所有してたっていう?)


 山崎が言っていた。

 彼らが立ち上げたロージアという会社は大きな損害を出して社員は散り散り、オフィスが入っていた西園寺家所有のビルは西園寺家が没落したことで抵当に入れられ、彼らは自分たちが持ち込んだ備品だけを持って追い出されたのだと。

 どうやらここが、そのかつてのオフィスビルであるらしい。


 そして、川谷が香澄をここに連れてきたことで、抱いていた疑惑がほぼ確信へと変わった。

 やはり川谷は、滑川を含む前職で嫌な思いをさせられた面々の誰かと顔見知り以上の関係である、ということなのだ。

 その筆頭候補は滑川だが、他の脱落した面々である可能性もわずかだが否定は出来ない。




 エレベーターが動いていないため、息を切らせながら階段でかつてのオフィスがあったフロアへと上る。

 そこは、少し前までオフィスが入っていたことなど感じさせないほどガランとしており、棚はおろかカーテンや椅子も何もない。

 誰かの忘れ物なのか、黄色い身体の某非公認ゆるキャラが書かれたマグカップが、寂しそうに床に転がっている程度だ。


 呆然とその光景を見ている香澄の腕を、川谷は突き飛ばすようにして放した。


「これを見ても、何も思わない?全部貴方のせいよ」

「違う、私じゃない。隔離されたのも、会社が潰れたのも自業自得でしょう?そもそも独立すると決めたのは、彼らでしょう?なんでもかんでも私の所為にしないで」

「貴方のせいよ、貴方が全部悪いの。貴方が、彼らの中に割り込んだから。貴方が、婚約者をないがしろにしたから。貴方が、貴方が、貴方が。ぜぇんぶ貴方が悪いのよっ!!」

「つっ、!」

「あははははははっ!痛い?ねぇ、痛い?いい気味だわ!」


 どこに持っていたのか、川谷は折りたたみナイフを手に持ってむちゃくちゃに振り回し始める。

 香澄が一歩下がればその分一歩前に出て、更に下がればもっと前に出て。

 そうしているうちに、香澄の腕や頬に傷が増えていく。


 逃げようにも、背中を向ければ飛び掛られて刺される可能性があるし、かといってこのまま下がるだけではいずれ壁に突き当たる。

 ドン、と窓際に追い詰められた香澄は壁伝いに横に逃げ、部屋を半周してとうとう出入り口の手前まで移動してきた。

 もう少し、あと少し、隙をついて外に出て、扉を閉める。それで少し時間が稼げる。

 そう何度も頭の中でシミュレートして、いざ外に出ようとしたところで


「逃がさないわっ!!」


 身体ごと飛びかかってきた川谷。

 目の前に迫るナイフ。

 あ、これもうダメだ、死んだ。

 眼前に振り下ろされるナイフを見ながら、香澄が死を覚悟したその数秒後。



「…………え?」


 彼女は、床に転がされていた。

 突然、背後から襟首を掴まれて凄い力で引き倒され、したたかに床に背中をぶつけてかすむ目の前に、ぼんやりと誰かの大きな背中が映る。


「か、すみ、っ……逃げろっ!」

「…………やまざき、さん……?」

「いいから早、っぐ……!」


 背中の主は、山崎純也。

 彼は香澄と川谷の間に身体を割り込ませ、至近距離で川谷と抱き合っている。


(……違う……抱き合ってるんじゃなくて……あれは、)


 山崎が、華奢な川谷の肩を力いっぱい突き飛ばす。

 いきなり第三者が割り込んでくるとはさすがに思わなかったのか、川谷は呆然とした表情のまま血に濡れたナイフを握っている。


(血……あれは、誰の……、っ!)


 香澄が身体を起こすのと、山崎の身体がずるずるとその場にへたりこむのがほぼ同時。

 立ち上がってやっと気づいた、彼の右胸にじわじわと赤い染みができていることに。

 彼が、香澄を庇って刺されたのだという事実に。


「や、まざき、さ……」

「あーあ。ヒロインの代わりに刺されるやなんて、カッコええヒーローやなぁ山崎。ついでにそのまま死んで伝説にでもなってくれや」

「……滑川、っ」

「お前のドヘタクソな尾行くらい、とっくに気づいとったわ、ボケが。何年裏社会におると思ってんねん」


 薄ら笑いを顔に貼り付けた、滑川陽一郎がそこにいた。



 彼はここに来るまでわざとゆっくり歩いて山崎に尾行つけさせ、そうしてビルの中に入った途端に素早く身を隠した。

 もうすぐ、彼の駒がここに獲物を誘い込む。

 駒が獲物を無事しとめればまぁよし、そこに山崎が介入して駒を返り討ちにしてくれてもそれはそれで結果オーライ、勿論獲物が反撃に出た場合でも楽しめる。

 そんなことを考えていたら、彼の予想通りのいいタイミングで山崎が割って入ってきたものだから、彼は最後の仕上げをすべく姿を現した。


「これが二時間ドラマなら、ちょうどええ頃合やな。こういうシナリオはどや?元婚約者に未練アリアリなストーカー男が、廃ビルに彼女を呼び出して心中する。その心中を目の当たりにした()()()が、絶望して自殺。……ありがちやけど、泣けるシナリオやと思わん?」

「……っ、ゲスが……!」

「あぁ?よう言うわ、婚約者をほったらかして他のオンナとしっぽりやっとった上に、何が悪いんやと開き直りくさったゲスの極み男が。ゲスなお前にゲス言われたないわ。そっちのアホ女と両成敗で刺し違えて死ねや」


 例え上っ面だけだったとしても、これまで仲間として肩を並べてやってきた相手にこうも口汚く罵倒されては、山崎も衝撃が大きかったようだ。

 彼が唖然としている間に滑川は未だナイフを握ったままがくがくと震えている川谷へと近づき、そっと優しくその肩を抱く。

 ……抱くように見せかけて、背後から両肩を支えて香澄へと向き直らせ、その耳元で低く囁いた。


「ええ子や。俺の敵を討ってくれるんやろ?やったら、仇はあいつや。今度は間違えんと左胸を刺すんやで」

「い……いや、……っ」

「そう言わんと。な?」

「いや、っ……!ダメ、ダメなの……!」

「わがままもええ加減にせえよ?素直に言うこと聞けば、また可愛がったるから」

「もういやあああっ!!」


 それはまるで、スローモーション。

 叫びながら滑川の拘束を抜け出した川谷、

 彼女を捕まえようと腕を伸ばした滑川、

 彼の腕が彼女の肩を捕らえ、バランスを崩した彼女がナイフを両手で構えたまま彼の身体へと倒れこむ、

 そして。




 警察がその場に踏み込んだ時には、がらんとしたフロアに二人の男が倒れこんでいた。

 一人は、即死だったのか大きく目を見開いて。

 もう一人は、真っ赤に染まった右胸を傍にいた女性のカーディガンで押さえながら、荒く息をついて。

 それぞれ傍に女性が座り込んでおり、片方の女性の近くには血のついたナイフが転がっている。

 痛ましい惨状に、慣れているはずの捜査員も顔をしかめる。


 しばらくすると救急車が到着した音が聞こえ、慌しく救急隊員が担架を持って駆け込んできた。

 明らかに亡くなっている方も念のためにと脈を取り、ダメだと首を横に振ると今度は荒い息をついている男に駆け寄って、いち、にの、さんで担架に乗せて慎重に運び去っていく。


「立てますか?」

「……はい。あの、私も……」

「わかりました。では事情は病院で伺います」


 一緒に付き添いたい、と言わなくてもわかったのだろう。

 捜査員の一人が手を貸してくれたことで、香澄は山崎に付き添って一緒に救急車で運ばれることとなった。

 彼女自身も軽傷ではあるが怪我を負っている、その治療も兼ねてという意味合いで許可されたのだろう。


 彼らを乗せた救急車が出た後、へたりこんでいた川谷もやんわり両脇を支えられるようにして、その場を後にした。

 彼女はもう暴れることはなかったが、何度も何度も背後を振り返って惨劇の現場を目にしては嫌そうに顔を背け、だがまた振り返る。

 愛しい男が死んでしまったことが、未だに信じられないのか。

 それとも自分がしてしまったことを、自覚できていないのか。

 その無機質な眼差しからは、何も読み取ることは出来なかった。




 滑川陽一郎という男は、実は裏社会にコネを持っていた。

 表立って権力を持っていたのは西園寺、実は意識していないだけでコネを活用していた笹野、コネはないもののネット上の繋がりを多く持っていた山崎、そして裏社会に通じた滑川。

 彼らはそれぞれ得意分野があり、その権力を上手く使いながらこれまで好き放題にやってきた。


 だが西園寺家が没落し、笹野がコネの大元であった妻に見放され、山崎はどこかへふらりと姿を消した。

 滑川一人でのし上がるには、裏社会は危険が多すぎる。

 どうにもならない状況下で彼は、香澄を狙うことを考え付いた。

 原因は……彼が死んでしまった今となっては、詳しいことはわからない。

 だが恐らくそこには薔子の存在があることはほぼ間違いなく、ならば香澄を害することで彼女の憂いを晴らそうとしたのだろうという仮説を立てることができる。


 ともかく彼はコネを使ってUSAMIの秘書室との合コンにもぐりこみ、中でも一番プライドの高そうな女に目をつけて、落とした。

 彼はきっと、彼女に事あるごとに囁いたのだろう。

 桐生香澄という女が、全ての原因だ。

 彼女は前職でも色目をつかって取締役達を味方につけた。

 そんな彼女はきっと今も、他の将来有望な男に目をつけて同情を買って味方につけようとしているに違いない。


 それを信じた川谷は、他の秘書を誘って香澄のロッカーに悪戯し始めた。

 鍵がかけられるようになってからは、DIY用の注射器で扉の隙間から絵の具を流し込んだり、水をかけたりして。

 それでも全く騒ぎもせず辞める気配もない彼女に焦れた川谷が、嫌がらせをエスカレートさせたことで警察が介入してきてしまった。

 それに慌てた彼女が滑川の別宅……彼女は自宅だと信じ込んでいたようだが、その別宅に逃げ込んだことで計画は最終段階へと進んだ、というわけだ。



 そんな話を事情聴取のついでに聞かされた香澄は、あまりのショックで塞ぎこんでしまった。

『貴方の所為よ』と何度も川谷には言われたが、あれは彼らの自業自得だと今でもそう思っている。

 香澄がやったのは不実な婚約者に引導を渡すことと、辞職を促すかのように仕事を取り上げた総務部長に相応のざまぁを仕掛けたくらいである。

 元々は彼らが社内で好き勝手にセクハラ行為に励んでいたこと、邪魔な者は圧力をかけて辞職に追い込んでいたこと、そんな西園寺の権威の下でのうのうと管理職の地位にのさばる無能者をそのままにしていたこと、それが処分の原因なのだから。


 だからこれは完全に逆恨みなのだが、それにしてもその逆恨みで殺されそうになるとは思ってもいなかった。

 実際に香澄を庇った山崎は胸を刺されて怪我を負い、黒幕であった滑川も思わぬ反撃にあって即死。

 殺人容疑で拘留中の川谷緑は、未だ心神喪失状態で医師の診察を受けているらしいと聞く。


(どうして、こんなことに……)


 もし香澄が、ロッカーの嫌がらせについても泣き寝入りして上に訴え出なかったら。

 社長が警察を介入させなかったら。

 そんなことを今更考えても、時間は巻き戻ってはくれない。

 都合よく青色タヌキが机の引き出しから現れてくれることも、どこかのマッドサイエンティストが銀色に光るスポーツカーを駆って飛んでくることもない。


「…………どう、して……」


 どうしてそこまで恨まれなければならないのか。

 何故殺されかけなければならなかったのか。


 頬を滑ってぽたりと落ちた涙は、捜査員が帰り際に手の中に返してくれた、あの三日月形のネックレスの上で弾けて、掌の上に零れ落ちた。



ざまぁ、とは到底言えません。

二時間ドラマで言うところの1時間40分くらいのところですかね……。

次話は和解編。

そこまで暗くならない予定です。

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