14.やられたら、やり返しますどこまでも
こういう時、直属の上司が会社のトップというのは実に話が早い。
業務推進室には名目上室長という役職が存在するが、彼女は上司というよりチームのまとめ役という感じで全員のスケジュールに無理が出ないように調整したり、突然の欠員に対応したりという役目を負っている。
立場上部署内の誰よりも遅く帰ることになり、勿論この日もまだ社内に残って残務処理をしていたため、帰りがけだった香澄はロッカーの見張りを同僚の塚野由香に任せ、足早に室長を引っ張ってロッカーまで戻ってきた。
「…………犯人の目星はついているのね?」
と、室長の第一声も由香とそれほど変わらなかったことに、香澄は苦笑するしかない。
どうにも、彼女が『やられっぱなしの性格じゃない』ということに、同じチームの人間は理解を示しすぎている。
香澄がICレコーダーを取り出して録音されていた会話を流すと、真顔だった室長はいつの間にか凄みのあるイイ笑顔になっていた。
ちなみに、どうしてタイムリーに音声が録音できたのかというと、録音スイッチの他に音声起動装置というものがついているからだ。
これは、会話や声が聞こえると自動的に起動して録音を始めるというシステムで、香澄は嫌がらせをされ始めた時からひそかに、レコーダーをこの自動起動モードにしてロッカーに忍ばせてあった。
この行為自体犯罪じゃないか、盗聴じゃないかと責められる覚悟はできている。
ただし鞄の中に忍ばせてあったため香澄のロッカーを開けなければ声は拾えず、つまりこれで声が拾われたということは彼女のロッカーを開けた状態で声を発したという証拠に他ならない。
鍵をかけていたロッカーを開けていた、つまりその人物が犯人ということになるわけだ。
ついて来なさい、と室長は身を翻して来た道を戻り、そのまま社長室とプレートがかかっている部屋をノックした。
さすがに社長を連れて女子更衣室に入るわけにもいかないため、事前にロッカーの惨状をスマホで撮影したもの、そして犯人らしき者の声が録音されたレコーダーを添えて被害状況を報告する。
「…………わかった。この件はこちらで引き継ぐ、君達は帰りなさい」
「社長、差し出がましいようですが桐生さんの私物についても、どうか厳正なる処分をお願いいたします」
「わかっている。……桐生さん、今日のところは非常に不愉快だろうがその制服のままで帰りなさい。あと、その更衣室はしばらく閉鎖とするので、着替えなどは下の営業部の更衣室を使うように。貴重品は推進室に持ち込んで構わない」
「はい。ご配慮ありがとうございます」
「それと桐生さん、白銀先生に連絡は取れるか?」
「伯母に、ですか?……わかりました、すぐに連絡してみます」
伯母である白銀杏子とこの会社に直接的な繋がりはない。
ただ、彼女はある程度有名なやり手弁護士であるため、宇佐見家のごたごたを何度か間に入って解決したことがあるらしく、そういった関係で社長や会長とも知り合いなのだと聞いている。
今回の場合宇佐見がどうというわけではなく、香澄が被害を受けたことに対する賠償云々の関係で杏子に間に入ってもらおう、ということなのだろう。
滅多に繋がらない電話がすぐに繋がったところで、香澄は被害については一切なにも言わずそのまま社長に電話を手渡す。
電話口で話すのもおかしいと判断したのか、社長も詳しいことは何も言わずただ『社内で面倒ごとが起こったのでお力をお借りしたい』とだけ告げていた。
ここから先は社長に任せるということで、香澄は室長に車で送ってもらい、自宅マンションまで戻ってきた。
なので、彼女は知らない。
やれやれとため息をつきながら、USAMI社長である宇佐見賢一郎が子会社である宇佐見セキュリティサービスに連絡を入れ、社内に設置してある防犯カメラの映像をこの日一日分チェックさせ、不審な行動をしている者を洗い出すようにと命じていた。
ややあって深夜近くに折り返しの連絡が入り、秘書室に所属する女子社員数名が挙動不審な行動をしていたとわかると、その証拠映像を纏めておくようにと告げて、今度は学生時代からの友人に連絡を取る。
その友人は『TKエンタープライズ』という会社の取締役の一人であり、親族に警察官僚を多く輩出することで有名な名家の出でもある。
その伝手を使って出来るだけ派手に、徹底的に警察の捜査を入れられないかと打診すると、その友人はある程度事情を聞いた上で協力を約束してくれた。
彼は、香澄の予測通りこの手の嫌がらせやいじめといった陰湿な行為が大嫌いだった。
通常、企業内でいじめなどが起こって警察がそれに介入した場合、マスコミはこぞって『企業内の不祥事』として面白おかしく書き立てる。
それはつまり企業のイメージダウンに繋がるのだが、彼はそれを逆に利用してやろうと考えたのだ。
もし内々で済ませてしまえば、犯人はまたきっと彼女を逆恨みして何かやらかそうとする。
それならいっそのこと、マスコミに知れわたるほど公にしておいて、今後似たような動機で同僚を狙う者が現れないように見せしめにしてしまおう、そして企業側として最大限警察に協力する姿勢を示すことで、自浄努力を認めてもらおうと考えた。
それだけ、今回の『犯人』がやったことが悪質だったということだ。
そうでなければ、加害者だろうと被害者だろうと同じ会社の社員なのだからと、当人達同士で話し合いをさせて決着をつけていただろうが。
そんなわけで、翌日から早速警察が入ることになった。
当然、出社してきた社員達は駐車場に停まった警察車両を見て驚くやら騒ぐやら、中には会社が不正でもしていたのかと慌ててネットを検索する者やら、大騒ぎだ。
しかも社内を我が物顔で闊歩するのは下っ端の制服警官などではなく、なにやらドラマなどで見覚えのあるジャンパーを着込んだ鑑識係員達。
そしてその指揮官であろう、スーツ姿の厳つい男が数人。
そんな彼らが向かうのが、最上階にある秘書室と業務推進室専用の女子更衣室だというから余計に驚きだ。
勿論更衣室にはしばらく入らないようにと双方の上司から通達されていることもあり、所属する社員達はそれぞれ他のフロアで着替えてきているので、更衣室自体は無人であるのだが。
だが、彼らが熱心に証拠を採取したり覗き込んだり触ったりしているのは、被害にあった香澄のロッカー及びその私物である。
いくらそれが彼らの仕事だとはいえ、立会いと称してその現場を見ている香澄にとっては精神力がガリガリと凄い勢いで削られ、羞恥と屈辱で倒れてしまいそうなほどショックだった。
「ええと、桐生さんというのは?」
「はい、私ですが」
「このロッカーの中身は全て証拠品として任意提出してもらうことになりますが、よろしいですね?」
『任意』と言いながらも、既に彼女の私物は次々と鑑識の持ってきたバッグに詰められていっている。
つまりこれは、あくまで任意ですよと示すための単なる事後承諾というわけだ。
彼女は泣きたい気持ちになりながら、「お願いします」と力なく頷いた。
さて、このことに青ざめたのは当事者である香澄だけでは勿論ない。
もう一方の当事者……秘書室という節制と品を求められる部署に所属しておきながら、香澄に嫉妬して姑息な嫌がらせを行ってきた秘書数名である。
彼女達は、社内に設置された防犯カメラが本当に作動しているなど、知らなかった。
もし作動しているなら当然警備員のようなカメラをチェックする者がいるはずで、だが社内にはそんな部屋は存在していないことから、あれは精巧な飾りなのだと勝手にそう思い込んでいた。
それは何も彼女達だけでなく、他の社員もそうなのだが……しかし子会社に警備会社がある以上、遠隔警備をしているのだとどうして気づけないのか。
そして、入社時にどうして全員指紋を採取されるのか、そこで『警備システム上必要だから』と誓約書にサインさせられているにも関わらず、だ。
故に、捜査は実にスムーズに進んだ。
物的証拠である音声ファイル、防犯カメラの監視映像、そしてまさか捜査が入ると思っていなかったらしいベタベタとつけられた指紋。
加えてファンデーションや口紅のメーカー特定に、切り裂かれた切り口の形状から凶器の特定、そして犯行時のアリバイ証明。
そういった証拠固めがある程度終わった段階で、【容疑者】達が警察に呼び出された。
そうして個室で順番に証拠を突きつけられながら事情聴取を受けると、彼女達は異口同音にこう言った。
『川谷さんに騙されたんです。彼女、桐生さんが凄く酷い人だってずっと言ってて。シュナイダー社の人達にも、前の会社のこと悪く言って同情を引こうとしてるとか。だから、思い知らせてやろう、って』
川谷さん、というのは今回の呼び出しに応じなかった……否、唯一連絡のつかなかった【最重要容疑者】である。
彼女が主犯格であることは音声ファイルからもついた指紋の数からもわかっていたのだが、携帯も不通、自宅の電話もコールするだけで繋がらず、家を訪ねても不在、実家にも連絡がないようだと行方不明の様子だったのだ。
捜査員も捜索にあたっているが、今のところ居場所の見当がつけられずにいるらしい。
ひとまず警察としては、仮に騙されていたのだとしても彼女の主導する【制裁行為】に手を貸したのは事実だからと、加害者達を厳重注意を言い渡した上で会社に送り帰した。
ロッカーの破壊行為や香澄の私物を汚した行為は器物損壊、もしこの中にネックレスを盗った者がいるなら窃盗の罪も加わるが、証拠がないため『パトカーで会社まで送り届ける』という全社員への晒し行為だけで済ませるという、これまで秘書室という花形部署で華々しく活躍していた彼女達にはダメージの大きい処分となった。
当然ながら、誰が何をやったかという詳細の聴取は終わっているため、あとは杏子の方でしかるべき手順を踏んで損害賠償請求をすることになる。
「で、どうする?彼女達に土下座させたい?彼女達は謝りたいって言ってるらしいけど」
「……それはちょっと。確かに最初はそう思ったけど、今更謝ってもらっても本人たちの気が済むだけでしょ?だったら謝罪はいいから賠償だけしてもらえたら、まぁいいかな」
「ネックレスのことは?」
「持ってないって証拠はないけど……でもなんとなくだけど、川谷さんが持ってそうな気がする」
(だっておかしいよね?私、前の会社のことは外では言ってないのに)
必要最低限、同じ部署のメンバーには話してあるがそれだけだ。
あとそのことを知っているのは社長や会長、そして身内である白銀本部長と芹香、そして……前職『Sai-Sports』の関係者のみ。
そう考えた時、香澄にはなんとなくわかってしまった。
どうして川谷が、こんな派手な嫌がらせを仕掛けてきたのか。
だとしたら、彼女が大事そうにしまいこんだネックレスを、切り札のように持っているだろうことも。
川谷緑は焦っていた。
ちょっとした『ご挨拶』のつもりで桐生香澄にしていた嫌がらせに、まさか警察の捜査が介入するとは思っていなかったのだ。
確かに最後にやらかした嫌がらせは自分で考えてもかなり酷く、だがだからこそそれをきっかけに辞めてくれれば清々する、とそのくらいに軽く考えていたから尚更だ。
しかし彼女は泣き寝入りするような性格ではなかった。
聞いていた通りおとなしい顔をしてふてぶてしく、ずるがしこく、きっと誰かを巻き込んで被害者面して訴えたのだろう。
酷い女、と彼女は自分のやったことを棚にあげてそう詰る。
とはいえ今はそんなことをしている余裕はない。
警察の手は既に実家にまで及んでいるらしく、何度も実家の親からどういうことかと問い合わせるメールが届いている
ホテル住まいしてもいずれ知られる、そのうちここも知られてしまうかもしれない。
付き合っていることは周囲に内緒でも、今時携帯の履歴やラインでの会話などいくらでも調べられる。
そうしてここにたどり着いたらどうしよう、そんなことを言いながら泣きついた彼女に、男は低く笑ってまずはスマホの電源を落とせと告げた。
電源が入っていればそれだけでGPSのように居場所を特定されてしまうから、と。
そうして、彼は彼女を優しく愛撫しながらこんなことを囁いた。
お前はもう犯人として警察に指名手配されている。だが被害者である彼女が告訴しないと言えば、罪に問われることはない。切り札は持っているだろう?ならそれを使って彼女を説得してこい。
さすがだわ、と彼女はうっとりとその手に身を委ねながらそう思った。
彼はいつも冷静で、正しい。
色々なことにも詳しいし、迷った彼女を優しく導いてくれる。
合コンで出会った時は胡散臭く感じたが、最終的に自分の見る目は正しかった。
そんな彼を、あの会社から追い出した桐生香澄を絶対に許さない。
泣くほど追い詰めて、同じように会社から惨めに追い出してやる。
(ううん、そんな程度じゃ生温いわ。ここはやっぱり……罪を悔いて自殺くらいしてもらわないと)
彼女は狂っていた。
そんなことをしても自分の罪はなくならないのだと、そんなことをすれば益々自分を追い詰めるだけなのだと、気づくことはもうできない。
滑川は、うっそうと嗤った。
期待したほど使えん駒やったな、と。
滑川がゲスいです。




