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12.君こそが、癒しなのだと言えなくて

「それで、また渡せなかったのね……兄さんってもしかして、ヘタレ?」


 はぁっ、と大きなため息をつきながらオーバーアクションで嘆いて見せる妹に、兄アッシュも頭を掻きながら苦笑で応える。


「そうじゃない、とはっきり否定できないところが痛いな。だがどうにも、渡すきっかけが掴めなくてね」

「そんなの、誕生日に渡しそびれたからとか言えばいいじゃない。それに、女の子は突然プレゼントを貰うのも嬉しいものよ?」

「なら聞くが、カスミについても同じことが言えるか?」

「え?……うーん、そうねぇ……」


 リリーナの出した例は、あくまである程度貢がれ慣れした女子の場合に限られる。

 香澄の場合、婚約者であった山崎からもイベントごとにしかプレゼントを貰っていなかったようだし、なにより最後に貰ったプレゼントが全く彼女に似合わないアクセサリーだったこともあり、男性からプレゼントを貰うことにもしかすると警戒心を抱いているかもしれない。

 そのプレゼントがアクセサリーであれば尚更だ。

 更に生来真面目な性格である彼女が、付き合っているわけでもない男性から突然プレゼントを渡されて、ありがとうと素直に受け取れるだろうか?



(そうよね、カスミってば兄さんのこと好きだから……余計遠慮しちゃうわね)


 これは兄には絶対秘密の情報だが、リリーナが見た限りでは香澄はアッシュに惹かれている。

 山﨑の裏切りからまだそれほど時間が経っていないからか、積極的に『好き』だと認めようとはしなかったが。

 彼女の性格上、そんな相手から何の脈絡もなくプレゼント……しかもアクセサリーを渡されれば、きっと力いっぱい遠慮して突き返してくるだろう。

 何もないのにこんな高価なものは貰えません、こういうものはほいほい誰にでもあげちゃダメです、そう言って。

 例えアッシュが無理やりそれを受け取らせたとしても、彼女はずっとそれを気に病んで身につけようとしないに違いない。


「……まぁそうだな、次に会うのは2月の14日だからバレンタインのプレゼントだと言えば、受け取ってはもらえるだろう」

「え、なに?次の日曜に誘うって言ってたのに、どうしてバレンタインまで延期したの?」

「あぁ、うん……それには大きな行き違いがあってだな」


 アッシュは普通にデートのつもりで誘いをかけたのだが、香澄がそれをケヴィンも一緒のお出かけなのだと誤解した。

 それは違うんだとなんとか誤解は解いたが、送ってもらう上に奢られるのは納得できないからと香澄が言い出したことで、それならバレンタインまでにスケジュールを組んで一日もてなしてくれと話を持っていき、どうにか申し出を受けてもらえたらしい。



 ことの経緯を聞いて、リリーナは額を押さえる。


「出かけないかと誘われてデートだと思わないって……それ、思った以上に深刻みたいね。あの山崎とかいうダメンズに裏切られてたことだけじゃない、多分相手の女と比べて自信喪失しちゃってる感じ。ねぇ、兄さん……」

「わかってる。できれば、その自信を取り戻させてやりたいな。だからこそ、それに繋がればいいと思ってあえてバレンタインに誘ったんだが」


 バレンタインに女性が男性にチョコレートを贈る、というのは日本独特の文化である。

 海外では男女問わずお互いに本や花を贈り合うという風習があり、お返しをするホワイトデーというイベントもない。

 ただ欧州の中でもドイツは少し考え方が特殊で、互いに贈り物をするのは他の国と同じだが、その相手は恋人や伴侶といった特別な相手に限られる。

 なので、もしドイツ圏で日本のように誰彼かまわず義理チョコを配り歩いていたら、私は浮気をしていますと公言するようなものなのだ。


 アッシュはその『祖国ドイツでは特殊』なバレンタインに香澄を誘い、プレゼントを渡そうとしている。

 彼女は宣言していたようにチョコレートを人数分準備してくるだろうが、そこに込められた意味合いは恐らくアッシュの方が重いはずだ。


「……でも兄さん、カスミはドイツ式のバレンタインなんて知らないと思うわよ?」

「だろうな、わかってる。だからちゃんと、言葉にして渡すよ。今度こそ、彼女が誤解しないように」

「じゃあ、やっと伝えるのね」

「あぁ。本当なら、もっと時間をかけて……カスミの心が癒えてから伝えるつもりだったんだが、その間は公に守れないだろう?ならある程度……なんだったか、外周りを固めてからの方がいいかと思ったんだ」

「『外堀を埋めてから』でしょ」




 そう、それそれ。とリリーナのツッコミに笑い返して、アッシュは香澄と初めて会った頃のことを思い返していた。


 USAMIに社長直属の業務推進室という部署ができると聞いたのは、シュナイダー社との業務提携話が進み始めた頃のこと。

 チームのメンバーはそれぞれ得意分野を持ち、各部署の繁忙期に合わせて出向したり、所属の社員だけで手が回らない仕事のみを請け負ったり、状況によっては部署の要望に応じてある程度長期で出向したり、と働き方は様々だ。

 つまりそれだけ臨機応変に素早く動ける人材でなければならず、設立に際しては社内は勿論のこと社外からも人材を募集するという。


 そうして、社外から入社してきたのが桐生香澄だった。

 彼女は人事部に従姉がおり、その従姉の紹介という形で人事担当責任者でもある会長の面接を受け、その場で採用が決定したという異例の人材である。

 それじゃコネ採用じゃないか、と普通ならそう言われるだろう。

 だが好き好んで人事担当責任者をやっているという会長は、このUSAMIの海外進出に大きく貢献した立役者であり、現役時代に作ったコネクションはそれこそ世界中にあるとまで言われた【凄い人】である。

 そんな彼が即日採用決定の決断を下し、更に驚くべきことに香澄が前職時代から密かに目をつけていたと知ると、周囲の香澄の対する評価は『会長に気に入られた期待の新人』で固定された。


 アッシュも、そんな凄い人材ならさぞやバリバリと仕事をこなすキャリアウーマン風なのだろうと予想して、まぁ適当に挨拶だけしておけばいいかと考えていたのだが。

 予想は、いい方向に裏切られた。



 持参した書類にケアレスミスが見つかり、急遽手直しをしなければならなくなった時、それならと社長が声をかけたのは本当にどこにでもいそうな地味めな印象の、まだ年若い女子社員だった。

 桐生さん、と呼ばれているので噂の人物であることは間違いない。

 だがどうにも会長直々に面接、採用されるほどの有能さを秘めているとは思えず、アッシュは思わず首を捻ってしまった。


 そんな彼の反応を見て、香澄は己の上司にあたる社長を振り仰いで些か困ったように「社長」と呼びかける。


「この書類は私が見てはいけないような、重要度の高いものではありませんか?」

「これは今日の会議で使う資料だが……どうしてそう思った?」

「いえ、シュナイダー様がお困りのようですので。もし極秘レベルのものでしたら、新人の私ではなく先輩方のどなたかにお願いした方がよろしいのでは、と愚考いたしました」


 どうやら彼女は、アッシュの一瞬の表情の変化を見て『まだ信頼度の低い新人が見てはいけない会社の重要機密ではないか』と疑問を抱いたらしい。

 その咄嗟の判断だけで、アッシュにはどうして彼女が即日採用になったのかわかった気がした。

 会長はきっと、この気遣いも含めた彼女の能力を高く買ったのだろう。

 仕事を与えられてそれを素早く正確にこなす、そんな必要最低限のスキルに加えて取引先の顔色の変化からある程度状況を悟る、そしてそれを仕事に反映させる、そこまでできると見込んだからこその採用だったのだ。


 家に戻ってから、遊びに来ていた妹にその興味深い人物の話をしてみると、実はこれまで何度か話題に出ていた妹の親友、『カスミ』と同一人物であることがわかり、彼の興味は益々深まった。

『カスミ』と彼の妹リリーナは、『カスミ』が父親の出張に付き合ってドイツを訪れた際に知り合い、それ以来ずっとメールやスカイプでのやり取りを続けてきたのだという。

 それならリリーナからもアッシュの話を聞いているはずなのに、その後何度かUSAMIに顔を出しても香澄はビジネスライクな顔を崩そうとはしない。

 根負けしたアッシュの方から話題を切り出すと、彼女はあっさりそれを認めた上で『休憩時間でしたら』と雑談に応じてくれるようになった。


 とにかく、何から何まで平凡であるような香澄は、アッシュの持っていた女性に対する固定概念をひとつひとつ覆してくれた。

 逢えば逢うほどまた逢いたくなる、話せば話すほどもっと話していたくなる。

『嵌る』というのはこういうことかと、彼は日々実感していた。

 そして、彼女を好きだと自覚した頃にはもうとっくに抜け出せなくなってしまっていたのだ。




 さて、デート当日。

 この日まで何度かUSAMIまで出向く用事があったのだが、幸いなことに香澄は長期で営業本部に出向という扱いになっていて、アッシュも黒崎も彼女に会うことはなかった。

 ……だから知らなかったのだ、彼女が今どんな状況下に置かれているのか。


「……カスミ、なんだか凄く疲れてないか?顔色が悪い気がするのだが」

「え?あぁ、大丈夫ですよ。ちょっと気合入りすぎて化粧濃くなっちゃっただけですから」

「だが……」

「心配かけてしまってすみません。実は昨日、緊張しててそんなに眠れていないんです。なので今日は、癒し系スポットめぐりにしました!シュナイダーさんも日頃の疲れを癒してくださいね」

「あ、あぁ」


 勢いに押されるように頷いてしまったアッシュだったが、香澄が空元気を出して無理に張り切ってくれていることに、申し訳なさを感じていた。

 本当なら、このまま無理やりにでも家に送って帰って寝かせてやりたい。

 眠れないと言うなら、眠れるまで傍に付き添って優しく守ってやりたい。

 だがそんなことをすれば、彼女はきっと落ち込むだろう。

 満足にもてなせなかった、日頃のお礼をしたかったのにできなかった、そう言って。


(辛そうなら止めてやればいいか……)


 だから彼は、気づかないフリをした。

 その空元気ですら尽きてしまいそうな時は、嫌がっても連れて帰ろうとそう心に秘めて。




 まずはここです、と連れてこられたのはリラクゼーションサロンだった。

 オフィス街の只中にあるその店は、疲れた大人に一時の癒しをというコンセプトを掲げているだけあって、平日は男女問わず近隣の会社員達が利用することで有名らしい。

 エステのように全身コースなども用意はされているが、別室を貸しきることになるため要予約となっているようで、香澄が注文したのは気軽に友人、恋人、家族連れで受けられるフェイシャルトリートメントだった。

 女性客の場合に限り、フェイシャルトリートメントの後はメイクまでしてくれるとあって、香澄もノリノリでアッシュの隣の椅子に腰掛け……。


「スッピンは見ないでくださいね」


 と、しつこく念を押されてしまった。

 するなと言われるとしたくなる、それが人間の本能というものだ。

 果たしてアッシュが香澄のスッピンを見たかどうかは……当人以外は担当のエステティシャンのみが知っている。



「どうでした?」

「意外だった。男性もエステをすることは知っていたが、顔周りだけでも充分すっきりとするものだな」

「そうですね。休憩時間に通いたくなる気持ちもわかります」

「まぁ女性の場合、化粧を落として後からまた化粧をしてと手間がかかるのが難点かもしれないな。男はさっぱりした顔のまま戻れるから楽なのだが」

「そうですねぇ…………見てませんよね?」

「疑うな。見てない見てない」


 本当かなぁ、と疑いの眼差しを向けてくる香澄は、エステの癒し効果もあったのか朝よりは幾分顔色がマシになっている。

 どうやら彼女の言うようにメイクの影響もあったようで、本職の手で仕上げられた薄付きメイクは香澄によく似合っており、素顔の可愛らしさを引き立ててくれる満足いく仕上がりとなっていた。


「さあ、それじゃ次に行きましょう。次のコースも、お疲れの()()()を癒してくれる、お勧めなんですよ」


 くるりと振り向いて微笑んだその顔は、文句なく可愛い。


(だから私は客じゃないと…………あぁ、こんな風に接待してもらえるなら客でも構わない……)


 そんないささか変態じみたことを考えてしまったアッシュに、多分罪はない。

 普段から傍に寄ってくるような計算高いあざとさを持った女性に辟易していた彼にとって、物慣れない初々しさ全開の香澄はそれだけで癒しだったのだ。




 それから20分後。


「…………寝たか」


 すー、と静かな寝息を立ててすっかり寝入ってしまった香澄を至近距離から覗き込み、彼は苦笑しながらそのブルーアイズを愛しげに細めた。


 次はプラネタリウムです、と連れてこられたのは大勢が椅子に座って眺める施設ではなく、小ホールくらいの大きさの部屋にぽつんぽつんと離して置かれたクッションタイプの椅子やベンチ、それらにのんびり座って空を見上げるというコンセプトの店だった。

 カップルで来ることを想定されているのか、椅子もベンチも大人二人がちょうどいい距離感で寄り添える大きさになっており、ベンチが空いてませんねと照れながら香澄がアッシュの隣に座り込んだのが、わずか5分前のこと。


 プログラムが始まって間もなくして、しきりに目を擦りたそうにしながら慌てて手を離すという動作を繰り返していた彼女が、とうとう眠気に耐え切れなくなったように目を閉じて……すぐに聞こえた寝息。

 眠れなかったと言っていただけあって、睡魔に抗えなかったのだろう。

 これではどちらがもてなされる側だかわからないが、それでも彼は満足そうにそっと指先で彼女の前髪をはらってやった。


 周囲は謀ったようにカップルだらけ、小さくではあるが言葉を交わしていたりちょっと耳を澄ませば不埒なリップ音まで聞こえてくる。


(こういう状況を『据え膳』と言うんだったか……?)


 手を伸ばせば抱きしめられる、顔を寄せればキスできる、言わなければきっと彼女は気づかない。

 だとしても、彼はがっつきたくなかった。

 もしまだ20代の若者だったなら我慢できずにこっそり手を出していたかもしれないが、なりたてとはいえ彼はもう30歳の大台に乗っている。

 若い頃はそこそこ遊んできたので『魔法使い』にはなれないが、だからこそこの年齢で好きになった人は大事にしたいという思いが彼にはあった。


「終わったら起こすから……今はおやすみ」



 彼は、大きなことを見落としていた。

 どうして彼女がここまで疲れ果てていたのか、何故ここのところ神経をすり減らしていたのか。

 時折会社に顔を出すシュナイダー社のイケメン二人に気に入られ、一緒に食事したり帰り際に迎えに来てもらったりする姿が社内で噂になり、一部の女性社員に酷いいじめを受けていることを、彼はまだ知らない。

 そのいじめの発端が、どこにあるのかも。



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