三.アリバイブレイク
前回の続き。仮・解決編。
しばらくしてから、加賀屋が現れた。案外仕事が早い。加賀屋は出入り口のドアをさすりながら開口一番、
「かたかっただろ、このドア」
「ドアの開け方にもコツがあるんだな。知らなかった」
ちらりと堺さんのほうを見ると、彼女はニコリとして、
「まあ、後方のドアから入ることもできたんですけどね」
情けないことに、それは入ってから気づいた。
加賀屋が僕たちのほうへ歩いてくる。
「コツとかあるんだな。知らなかった。俺はいつも『ヒラケゴマ』と心で念じながら力任せにやってるからなあ」
いやまあ、丸太のように太い腕の持ち主である加賀屋だったら可能なことなのかもしれないけれど。
「てっきり六組のドアも同じようなもんだと思っていたから、力任せに引いてみたら、肩透かしを食らったようにするするとドアが開くものだから、無駄に大きな音を立ててしまったわけだが」
「あ、そうなのか」
てっきり初登場を印象づけるための演出かと思っていたのだけど。
加賀屋は僕たちの近くの机によいしょと腰掛けた。
「ところで堺、教室に残っている予定じゃなかったのか? なんとかって人を待つために」
「それについては妙案を思いつきましたのでご心配なく」
たかだか書き置きで妙案とは大げさだと思うけど。
閑話休題。
「それで、どうだった加賀屋。結果は?」
「ああ、二人いたぜ。森重先生と海老茶先生だ」
「それはよかった」
堺さんが訊く。
「加賀屋さん。先生達に何を訊いて回ったのですか?」
「ああ、そうか。堺には言っていなかったんだな。『五時間目のうちに、廊下で見た生徒はいませんでしたか』だ。犯行時間は戸締りをするまでの五分間だというのに、どうしてこんな質問をするのかわからないんだがな」
「それはあとでまとめて説明するから。――加賀屋、質問だけど、戸締りの手順を教えてくれないか」
「はあ? 戸締りの手順? そんなの他と大差ないと思うぜ?」
加賀屋はあからまさに眉を寄せたけど、答えてくれた。
「中で、後方のドアと窓の内締まり錠を閉める。閉まっているのを確認したあと、廊下に出てきて、前方のドアに南京錠をかける。……以上だ」
「異常はないな。普通すぎるくらい普通だ」
「春樹が言わせたんだろ」
「それはすまなかった」
さてと。
「加賀屋。調べたいことは大概調べた。僕がこれから話すことを井口に伝えてくれ。井口がどんな奴なのかは知らないけれど、理解はしてくれるだろう。きっと」
「おお、つまり、何かしらの打開策が!」
僕は口の端を上げて、
「まあ、そんなところだ」
じゃあ、説明するぞ、と僕が言ったそのとき。教室の出入り口にショートヘアを茶髪にしている女子生徒が現れた。僕たちがどう反応しようか迷っているうちに、女子生徒が声を張り上げた。
「加賀屋! ここにいたんだな! さっさとお守りを返せ!」
恥じらいなどひとかけらもないその大声に身がすくむ。
「なあ、加賀屋」
僕は声を抑えて言う。指を差すのは気が引けたので、目で女子生徒を示しながら。
「……彼女が井口なんだな?」
加賀屋は驚いた顔のまま、コクリと頷いた。
次の瞬間には井口は加賀屋に詰め寄っていた。襲いかからんばかりの勢いに、加賀屋は辟易しているようだった。
「よう井口、久しぶりだな、元気だったか……」
尻込みしないように努力しているのが容易に見て取れた。すごいな、井口。決して大きくはない一女子生徒なのに、こんな大男をたじろがせるなんて。
「久しぶりじゃない! お前が逃げたんだろ! あたしはロッカーを見てお前がまだ帰っていないことを確認してから、ずーっと校内を走り回っていたんだ!」
どうやら、加賀屋は井口から逃げ続けていたらしい。こんなに食って掛かられると、逃走したくなるのもわからなくはない。
「何度も言うが、俺はお守りを盗っていないんだ」
依然強気な井口は反射的に更に詰め寄る。
「あたしも何度も言うけど、お守りを盗ることが出来たのは、加賀屋、お前だけなんだよ!」
これじゃあ、埒があかない。堺さんもそう思ったのだろう。アイコンタクトをしてきた。助け舟を出せということだろう。井口が僕の苦手な人種であることは間違いない。ささくれ立っているのだからなおさらだ。平生だったらいっかな関わろうとしないだろう。だけど今は状況が違う。
僕は堺さんに頷き、押し問答をする二人のほうへ一歩踏み出した。
「井口とやら」
井口が手を止めて、気色ばんだ顔をこちらに向けてきた。
「なに」
「加賀屋はお守りを盗ってなぞ」
「花川さん、どうしてここで噛むんですか!」
どうやら僕が変に口出ししたせいで、井口の頭に更に血が上ったらしい。言葉がいっそう荒くなる。
「はあ? 何言ってんだよ。というかお前ら誰だ」
その様子だと、僕と堺さんを今まで認識していなかったみたいだ。
「僕は花川春樹。加賀屋の友人」
「堺麻子と申します」
僕は息を短く吐いてから言う。
「井口。加賀屋から話は聞いた。ひとつ質問させもらうが、加賀屋が犯人だという証拠はあるのか」
相手に気圧されないように、頑張って勢いづく。勢いは大切だ。
しかし、そんなのはお構いなしというように、井口は舌打ちをした。
「お前、理解できてんのか。犯人がお守りを盗むことができるのは、コイツが鍵をかけるまでの五分間。だけど、その間に加賀屋以外の生徒を見た人はいない。誰も見ていないのだから、誰もいなかったんだ。加賀屋以外に犯行は不可能だ」
「それは詭弁だろ」
屁理屈だ。
「井口、それじゃあ、お前は、その証拠もどきだけで、加賀屋を疑っているんだな?」
「そうだよ。それだけで十分じゃないか」
「そうか」
……なんだ。案外、壊しやすい砦じゃないか。見掛け倒し。的確な位置に少し攻撃を加えれば、簡単に崩すことができる。
「あたしはお前みたいなペダンチックな喋り方をする奴が一番嫌いなんだよ。理解できたらさっさと消えてくれ」
「それはできない。加賀屋と約束したんでな。――話を戻すけれど、お守りを盗ることができる人がまだいると言ったら、どうする?」
井口は眉を寄せた。
「お前、そんなこと言っても駄目なんだぞ? 目撃証拠がなければ、そんなのは認められない。先生は誰も見ていないんだ」
「いや、いるさ」
井口は大きな舌打ちをした。
「誰だよそいつの名前を言ってみな。今すぐ確認してきてやるよ」
「森重先生と海老茶先生だ」
「嘘つくなよ。そいつらにも確認した。確かに『知らない』と答えたはずだ」
「そう答えるに決まっている。質問の内容は『五時間目が始まってから、五分の間に生徒を見なかったか』なんだろう?」
井口が眉間にしわを寄せた。
「それでいいだろ? どこが悪いっていうんだ」
「時間を限定したのがお前のミスだ。五時間目の間にと訊くべきだった」
「何が言いたいんだ?」
僕は唾を飲み込んでから、言った。
「最初の五分以外にも犯行は可能だったんだ」
「どうやって? 加賀屋は授業開始の五分後に戸締りしたんだろ? どうやってその時間以外にお守りを盗むんだよ?」
「戸締りをしたからって、教室に入れないとは限らないだろう?」
「俺はしたぞ、春樹」
「あれじゃあ、不完全だと言いたいんだよ。ひとつ、忘れているところがある」
僕は腕を上げて、ある方向を指差した。
「あのドアだ」
教室前方のドア。例の堺さんの知恵袋のおかげで開くことができた戸だ。
「あのドアはちゃんと俺が南京錠をかけたと言ったじゃないか」
続いて堺さんも、
「そうですよ。私もしっかり聞いてましたし」
「南京錠を使わないもうひとつの戸があるじゃないか。内からしかロックできない戸が。あの戸の錠がかかっていないのならば、そこから教室に侵入できる」
「え? でも、さっきは微動だにしませんでしたよ?」
「戸が開かなくても、錠が閉まっているとは限らない」
僕は続ける。
「外側の戸も同じように動かなかったじゃないか。中から鍵がかけられているのではないかと疑ったほどだ。実はそうではなく、あれはレールが歪んでいたんだよな。……だから、内側の戸のレールも外側と同じように歪んでいたとしても何ら不思議はない」
井口を見る。
「そもそも、あの内側の戸、錠が壊れていてロックなんかできないぞ?」
「そんな馬鹿な!」
言って、井口は前方のドアのほうへ走っていく。観察したり錠をいじったりする間を置いてから、諦めたように息を吐き、ドアに背を向けた。彼女の顔の曇りを見て、僕は彼女が確認したことを確信する。
「これで教室にはいつでも侵入可能だということがわかっただろ。加賀屋以外のアリバイが崩れたな」
あと一息だ。
「先生たちの証言では、五時間目に廊下を歩いていた生徒は最低でも二人いた。もっといたのかもしれない。――井口。これでも加賀屋を疑い続けるのか。確かに加賀屋が一番犯行のしやすいポジションにいた。だけど、むしろそんな疑われやすい位置にいる人が犯罪を犯すだろうか?」
「…………」
加賀屋が犯人ではないという証拠はない。でも、加賀屋が犯人だという証拠もないのだ。決定的な証拠を見つけてからきやがれということだ。
しばらく、教室には沈黙が続いた。そして不意に、井口ががばっと頭を下げた。
「悪かった加賀屋。ごめんなさい」
まだ口調はぶっきらぼうだったけど、これが井口菫咲という人なのだろう。加賀屋の疑いは完全には晴れていないけれど、井口が許したのなら、ひとまずはこれで解決だ。
「分かってくれたらいい」
同じようにぶっきらぼうに加賀屋は言った。そして僕を見る。
「ありがとう春樹。お前ならやってくれると思っていた」
「どういたしまして。まあ、当然のことをしたまでだしな」
僕は堺さんを見た。
「……さ、戻るか。真鈴が待っているかもしれないしな」
「あ、ちゃんと覚えていたんですね」
それはもちろん。
加賀屋は自分のエナメルバッグを肩にかけた。彼も下校するつもりらしい。
教室を出ようと南京錠が意味を為さないドアに向かう。井口はすっかりしおたれていた。彼女が散々言ってきたことの仕返しで聞こえよがしに悪態をついても罰が当たることはないだろうけど、頭を垂れている彼女にそれを言うのはさすがに気が引けた。男らしくないし。
後ろをついてきている堺さんの足音が止まった。振り返ると、堺さんは井口の顔を覗き込むようにして、話しかけていた。
「今日はできませんけど、私に手伝えることがあれば、また言ってくださいね」
井口は驚いたように顔を上げたが、ゆっくりと首を横に振った。
「大丈夫。気にしなくていい。あたしの友達が手伝ってくれるらしいから」
多分、強がりで言ったわけじゃないのだろう。
それでも後ろ髪引かれるようで、ちょくちょく後ろを振り向きながら、堺さんがついてきた。
三人連れ立って廊下に出る。加賀屋は一緒に帰ってくれるそうで、それまで待つと言う。
「井口さん……。悲しそうな表情を浮かべていましたよ」
堺さんがまだ心配しているらしい。
「井口はもういいって言っているし、いちいち気にかけていたら身が持たなくなるぞ」
そういう意味では堺さんも真鈴と同じようにおせっかいなのかもしれない。でも、極端に利他的な性格が、今の彼女を形作っているのだろう。
堺さんは無理に納得するような曖昧な笑みを顔に浮かべた。それでも何かを言おうとしたみたいだけど、飲み込んだようだ。
六組の教室の前に来る。特に何の躊躇もなくドアを滑らせると、中にはポニーテールの後ろ姿をこちらに向けて、窓の外を眺めている女子生徒がただ一人いた。
次の章に続きます。




