六.花川春樹と終幕
前回の続き。最終話。
・花川春樹*一年六組。主人公。
・堺麻子*一年六組。人を疑ったりしない性格。
・加賀屋蓮*一年八組。春樹の唯一の男友達。
・真鈴あやめ*一年六組。ポニーテールがトレードマーク。
・花川椿*中学生三年生。春樹の妹。
[二日目・19:00]A
楢が消えたあと、自分の頬を触ってみると、いつもより少し熱かった。滅多にない事態に、体温が上がったのだ。
心の内を打ち明けてくれた楢卯月がしていたみたいに、僕も一度落ち着いて深呼吸をしてみる。
彼女みたいに、胸に手を当てて――
「ハル?」
「おわぁっ!」
様子を伺うような遠慮がちな声がしたほうを見れば、ポニーテールの少女、真鈴あやめがドアを半分程開いてこちらを見ていた。すごく驚いた。僕はこういう予測できないことが苦手なのだ。
少し不安になって、僕は訊く。
「……真鈴、さすがにずっとそこに隠れていたりはしてないよな?」
相手が首を傾げる。
「えっと、『僕、実はMなんだ』ってところからいました」
「そんな告白をしたことはない」
「ごめん、場を和ませようと……」
和むっていうか、凹むぞ、それが事実だったら。
真鈴は本当に申し訳なさそうに、上目づかいで僕を見る。
「ごめんなさい。最初は軽い出来心で、その、なんというか、えっと……。話、ほぼ全部聞いちゃった」
「……そうか。それはまあ、仕方ない」
「ホントに?」
ああ、と応えて、僕は入り口付近で立ち止まっている真鈴に近づく。
「まあ、もう後夜祭も始まるだろうし、僕は行くよ。真鈴は何の用があってここに来てたんだ?」
ハルがこの教室に入っていくのが見えただけ、と言って、真鈴は僕が廊下に出られるように距離をとった。窓から、ファイヤーストームの明かりが見える。彼女と並んで歩き出す。パタパタとスリッパが音を立てる。
「お前、楢と会わなかったのか」
話を聞いていたからだろう、真鈴は困ったような笑みを浮かべた。
「彼女、わたしに気づかずに行っちゃった。後方ドアの方から出てきて、前方で聞き耳を立てていたわたしの反対方向に歩いていったし。顔を手で押さえていたのもあるかも」
階段に差し掛かったところで、彼女はそういえば、と思い出したように言った。
「わたしの横でもうひとり会話を盗み聞きしていた人がいたんだけど、彼ね、なんか途中で泣き出しちゃって」
「誰」
「さあ、わかんない。男子生徒。楢さんを追いかけていった」
会話を聞いて、泣き出した男子生徒……。誰だかは、薄々わかるような気がする。でももしそうだとすると、可愛そうすぎる。本人に聞かせるには刺激が強い話だった。
「でもまあ、相変わらずだったね。推理。鮮やか!」
「そうか」
「ありがとね、ハル」
僕はよくわからない、という顔をしてみせた。
「ほら、楢さんがしたことを謝らせようとしていたじゃない。それが嬉しかったなあと思って」
本当に嬉しそうに、顔をほころばせる。僕は、真鈴のこういう屈託のない笑顔が苦手だ。目を合わせられなくなってしまう。
「ところでハル、質問があります」
かしこまった口調で言う。
「好きな娘って、誰?」
「あ?」
……しまった。そこも聞かれていたのか!
僕は焦りをおくびにも出さず(そういうつもり)に言う。
「それはまあ、あれだ」
「なあに?」
「……秘密だ。知りたければ推理でもしてみろ」
「ええー。わたしにはできないってー」
ヒントだけでも! とせがんでくる。安易にヒントなんて与えて、うっかり答えに辿り着いてしまったら大変だ。この気持ちだけは知られたくない。――特に、真鈴あやめにだけには。
「………………」
……いや。
それはおかしいな。
その考えは間違っている。
静かな校舎。僕と真鈴のふたりきり。
――僕のこの気持ちを彼女に伝えるには、絶好の、千載一遇のチャンスではないか?
「……なあ、真鈴」
彼女の名前を呼ぶ。ちょうど、二階に降り立ったところだ。
「ん? なあに」
口を開く。開いたまま、数秒。固まる。
なぜだろう、何も言えない。言葉が重すぎて、のどをあがってこない。
「真……鈴」
もう一度、彼女の名前を呼んで、そして、
今なら、言える。
「真鈴、僕は真鈴あやめのことが――」
「ああっ!」
真鈴が僕の腕をつついて、斜め下を指差した。一階への階段を下り切ったところに、みっつの人影が見える。三人とも、知っている顔だった。僕は思わず、のど元まで出かかっていた言葉を飲み込んでしまった。
真鈴が僕を見る。
「ハル、何を言おうとしてたのさ」
ため息をつく。手をひらひらと振る。
「いや、もういい」
僕は見慣れた三人を見下ろす。加賀屋蓮。堺麻子。そして花川椿。なぜ僕の妹がいるのかはわからないが、ひとつだけわかることは、量らずもこいつらに折角の機会を壊されてしまったってことだ。……いや、さっさと喋らない僕が悪いな。
三人のうち、ガタイのいい男――加賀屋蓮がこちらに気づいて、片手をあげた。
「おお、春樹。そこにいたのか。探していたんだぞ」
堺さんと椿も僕たちに気づいて、こちらを見上げる。白のスカートに、カーディガンという装いの椿がピョンピョン跳ねて手を振る。
「まっ、すずっ、さあーん!」
名前を呼ぶだけで、意味はない。真鈴も楽しそうに手を振り返している。
背に定規でも添えているんじゃないかと思うほど、背筋をぴんと伸ばしている堺さんが、僕に向かって言う。
「花川さん。なんだか何もかもが解決して安心しているような顔ですね」
「ははは。なんで堺さんはいつもそんなに勘が良いんだよ」
床に降り立つ。
窓から、ファイヤーストームの明かりが見える。今にも踊りたくなるような、テンポの良い音楽も聞こえる。それに釣られたみたいに、誰ともなく、僕たちはグラウンドに向かって歩き出した。校舎から出た途端、九月の涼しい風が前髪をなびかせる。
僕の隣の真鈴がとても幸せそうにニンマリと笑う。瞳にハイライトのように火の明かりが映っていて、とても綺麗だと思った。感慨に浸るように、ポニーテールの少女は言う。
「この半年弱の間に、楽しいことがたくさんあったよね」
「あったな」
面倒事に、面倒事に、面倒事に、そして、少しの楽しいこと。
「ということは、三年間だから、単純計算して、わたしたちには、この天国のような毎日が、少なくともあと五回分は残されているんだよ。ウキウキするね!」
おいおい、高校卒業するまでずっとこんな調子で面倒事に巻き込まれるのはごめんだぞ……なんて思っていたけど、真鈴のこの笑顔を見られるのなら、それはそれで悪くはないな。むしろあと五回分では足りないくらいだ。
そう思った自分に驚く。いつの間にやら僕はなんらかのターニングポイントを経て、変わってしまっていたらしい。
「どうしたの?」
はっとする。無意識のうちにため息が出ていた。真鈴が不思議そうに僕を見つめている。
はあ……。
どうしたもこうしたもない。
――僕の真鈴に対するこの気持ちも、まだまだ伝えられそうにないなあ!
やっと終わることができました。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。嬉しいです。
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これの続きとして、『ハルハニズム~この秋雨を忘れない~』を連載中です。よければどうぞ。




